点毎創刊記念英国ツアーに参加して 



 皆さんご存じの視覚障害者のための点字の新聞「点字毎日」は、今年で創刊90周年を迎える。この新聞は、あの混乱した戦時中や物資の不足した戦後でも休むことなく、毎週発行されたという、世界にも誇るべき週間の新聞である。これを記念して、この新聞の発行のきっかけとなったルーツを訪ねるツアーが計画されたので、私はこれに参加することにした。期間は2012年8月27日からの7日間の英国ツアーだった。参加者は23人で、これは、クラブツーリズムのバリアフリー旅行センターが募集したものだったので、障害者に対して配慮されており、とても満足できたものだった。ロンドンは人口が750万人、成田からは約12時間の飛行、時差は8時間、通貨はポンドであり、1ポンドは135円だった。気候は日本の秋を思わせるくらいで朝夕は涼しかった。天気は変わり易く、晴れていたと思うと急に雨が降りだしたりした。湿度は低いのか残暑の厳しかった日本から比べると、からっとしておりとても過ごしやすかった。それで思いつくままに旅行を振り返り書いて見たいと思う。
 まず最初に、点毎創刊のきっかけとなった好本督(よしもと ただす)氏の足跡を訪ねるため、オックスフォードに行った。ここはロンドンから97キロ離れておりバスで2時間の旅だった。彼が2年間ほど留学していたのはオックスフォード大学だった。この一つハリス・マンチェスター・カレッジでは盲人の女子職員から話を聞いたり、在籍当時の写真や直筆の署名のある文書類を間近に見ることができた。留学していたのは、100年以上も前だったのに、古い資料が保存されていたのには驚きとともに感動した。日本ではこんなことがあるだろうかとこの国の歴史を大切にする心に触れたような気がした。彼は強度の弱視であり、「日本盲人の父」といわれている。英国にあって中村京太郎や岩橋武雄氏ら、盲青年の留学を援助し、点字新聞の発行を提案し、日本の福祉の発展に貢献したといわれる。英国の婦人と結婚しラシャの取引をする貿易商だった。何度か帰国して、盲人キリスト教の伝道に協力したが、最後は英国で亡くなった。
 次に彼が老後を過ごしたという住まいを訪ねた。周囲は自然の豊かな閑静な所だった。住宅はこじんまりした平屋で庭に小さな池があり魚が泳いでいた。もしかしてお孫さんたちにでも会えるかと思ったのだが、住んでいたのは子孫ではなく、もうすでに別人だった。私達は特に話を聞いたのでもなく、池の所に並び、母屋をバックに記念の写真を撮るだけで、すごすごとこの地を後にした。世の移り変わりとめまぐるしい時の流れを思い、さびしさを禁じえなかった。帰り際に、彼を知っていたという老婦人に会ったのがせめてもの慰めだった。
 次にパラリンピック関係について書く。ロンドンパラリンピックは8月29日に開会し、12日間続けられた。私達はこの開会式に参加した。これは午後8時から開始される予定だが、混雑を予想して4時間前から行動を開始した。午後、降っていた雨はだんだん小ぶりになり幸運にも式典前にはやんでくれた。会場のメインスタジアムまでは直通の地下鉄に乗って行った。10分ぐらいだったと思う。この駅から会場までは遠かったのか、大分歩いたように思う。入場に際しては安全確保のために、空港と同じように厳しい荷物と身体のチェックがあった。この時の夕食はおにぎり弁当とペットボトルの水だけだったが、水は持ち込めず、別に場内で買わなければならなかった。このドーム型スタジアムは広大なもので約8万人が入場できたという。私達の席は運悪く上方だったので、延々と続く階段を100段ぐらい昇らなければならなかった。どんどんと観客が続いているので休むこともできず、席にたどり着いた時には、みんな膝はがくがくで全身へとへとに疲れていた。会場にはどこからでも見える巨大な映像装置があり、大音響の音楽が常に流れていた。花火が上がり、踊ったり歌ったりのショウが次々と続いた。中でもビッグバンの研究で有名なスティーブン・ホーキング博士が車椅子で登場し、600人のダンサーによるダンスは特にすばらしかった。夜なので照明効果がきれいだったとか見えないのが残念だった。いよいよ各国選手の入場である。アルファベットの順に国名が呼ばれる度に歓声があがり、これがドーム全体に反響しすごい迫力だった。場内のアナウンスは全部英語だったので、よく聞き取れず、特に国名は分からなかった。日本を聞き逃しては一大事と全身を耳にして待っていた。やっと呼ばれた時には、準備して来た日の丸の国旗を振りかざし「日本万歳、頑張れ」とみんなで応援した。そのうちに聖火が入場し点火され、エリザベス女王の挨拶と続いて行った。これが4時間ほど続いたのである。私達はだんだん疲れて来たし、雨上がりとあって時々風が吹くと、急に寒さが身にしみて来た。内容についてはむしろ日本語によるラジオやテレビの放送の方がよく分かるような気がした。最後までいると帰りの混雑で危険が予想されるということなので、ガイドの誘導に従って、一足早く会場を離れた。それでもホテルに着いたのは 12時を過ぎていたように思う。実際の競技の応援には私は行かなかったのだが、参加した人の話によると、盲人の柔道の試合を観戦したとか。その日は、運よく前の客席を取ることができ、選手の荒い息遣いまで聞こえて、とてもよかったそうである。
 次にRNIB(王立盲人協会)訪問について書く。ここは図書の製作や貸し出しなど図書館の業務をはじめ職業教育、盲人用具の販売など盲人のために幅広い活動をしている所である。地下1階地上3階の大きな建物だった。ここでは英国盲人の福祉についてと、ブライユ点字が考案される前の文字の研究についての二つの講演があった。英国での文字の研究は30種類もあったとのこと、当時の資料が分厚い本になっており、これらに一人ずつ触ることができた。また古い英国の点字タイプライターやその他の器具にも触らせてくれた。このように古い資料を大切に保存していることに感心し、この協会の歴史の古さを実感した。帰りには盲人のための用具を販売しているショップコーナーを見学した。ここには沢山の盲人のための用具が売られていたが時計などサイズが大きくて、日本人には適しないように感じた。
 次にバッキンガム宮殿の観光について書く。ここには40年ぐらい前に来たことがあるがその時は衛兵の交代だけを見た記憶がある。「ザック、ザック、ザック、ザック」という行進の靴音が今でも耳の奥に残っている。今回は宮殿の中に入場できるので、期待に胸膨らみ、わくわくしてきた。宮殿に王家の紋章が上がっている時は女王様がいらっしゃるときとか、今日は英国の国旗がひるがえっていたから留守である。入場に当たっては、ここでも厳しい安全チェックがあった。列に従って入ると、イヤホーンつきの音声ガイド端末が全員に渡された。部屋に入る時に、端末の表面にあるボタンで部屋の番号を押すと説明が始まるのだった。日本語や英語などいくつかの言語を選ぶこともできた。部屋は広間を合わせると775室あり、中でも舞踏会室は幅18メートル長さ34メートルもある広大なもので素晴らしいシャンデリアがあったとか。また、他の部屋には王冠や宝石、絵画など美術品が沢山収められていたが、みなケースの中に入っていたので触れることはできなかった。観客は多かったがイヤホーンを使用していたのか、場内は割合に静かだった。部屋に入るたびに、私はその番号を妻に押してもらわなければならなかったので、だんだん面倒になり疲れて来た。それで途中を省略して早めに出て来た。床はふかふかのカーペットであり、大理石の壁、彫刻を施したドアなど絢爛豪華な宮殿だった。
 次に国会議事堂参観について述べる。ここに入る時も相変わらず安全チェックが厳しく、一人ずつ写真を撮られ、それを胸に下げての入場だった。議事堂は広大なもので、全部回ると約3キロは歩いたようだ。私達はぞろぞろと沢山の部屋を回った。上院下院の会議室ではガイドが丁寧に説明してくれた。上院は貴族方のために作られたので、下院に比べて一目で分かるくらい豪華だったそうである。机やいすなどを触ったが机の表面は牛皮で覆われていたし、椅子には彫刻がしてあった。天井のシャンデリアや床のじゅうたんもすばらしかったようだ。
 次にウェストミンスター寺院について述べる。これはロンドンの中心部のウェストミンスターにある寺院で戴冠式や結婚式など王室の儀式を行う所である。最近ではウイリアム皇子の結婚式が行われた。ここに入る時も安全チェックがあり、室内では男性は帽子を取らなければならなかった。礼拝堂には国王や王妃、著名な人達の立派な墓が沢山あった。正面には豪華な椅子やテーブルがあり輝いていたようである。
 次に大英博物館について述べる。これは約250年前に開館したもので、エジプトやギリシャ、アジアの各地の美術品や文化資料を収集している所である。私達はエジプトギャラリーを見学した。事前に許可をもらっていたらしく、視覚障害者は囲いのないものはすべて触ることができた。エジプトの象形文字を刻んだロゼッタの石(レプリカ)、大きな石のスカラベ(ふんころがし)、王家の石棺や石像などを触って来た。中には点字の英語で説明されていたものもあった。こんな大きなものをエジプトで収集し運んできたのであろうが、英国のその熱意と努力に感動した。
 次にマダムタッソー館について述べる。これは彫刻家のマダムタッソーが設立したもので分館が世界には9か所もある。ここには世界の著名な偉人達の等身大の蝋人形が林立していた。どの人形も特徴を表す服装、ひげやメガネ、杖、帽子などつけていた。肌の色も本人と全く同じだったとか。触って見るととても固く、蝋でできているとは思えなかった。日本の食堂のウインドウで見るメニューのレプリカのようなものだろう。チャーチルやチャップリン、プーチン、オバマ、ゴッホなどすごい数の人形があった。以前に吉田茂氏の人形があったとかガイドがいっていた。人形と一緒に写真を撮るために、観客の長い列ができていた。中でもマリリン・モンローの列は一際長かった。私もぜひ、セクシーな彼女の女体に触って見ようと思い、並んでいたがあまりにも時間がかかりそうなので、残念ながらあきらめて帰って来た。この他に恐怖の部屋というのがあり、遊園地のコーヒーカップのようなものに乗り見学するのだが、ギロチンなど世界の恐怖の醍醐味が沢山あったようだ。私には音楽が大きくうるさかったのでほとんど分からなかった。 
 次にアフタヌーンティーについて述べる。私達は昼下がり、あのシャーロックホームズホテルでイギリスのアフタヌーンティーを味わうことになった。丸テーブルにはサンドイッチやスコーンなどが並び、コーヒーやジュースなど飲み物は自由に選び頼むことができた。こうして1時間ほどみんなでおしゃべりをするのである。あまり話さなかった参加者と話すことができ、話に花が咲いた。
 私達はできるだけロンドンのいろいろな物を体験しようと心がけた。それで、あの有名な2階建ての赤バス(ダブルデッカー)に乗ってみた。ガイドのいうには乗ったらすぐ発車するし運転が荒いから気を付けてといっていたが、白杖を持っていたためかそれほどでもなかった。しかし、行き先や停車場所のアナウンスはないし、すぐ発車するので、盲人の一人での乗車は危険のような気がした。2階は見晴らしが良いのだろうが動いているから、上り下りは大変だろうなと思った。
 また世界で最初に作られたという地下鉄にも乗って見た。列車は特に変わっていなかったが改札は日本のように厳しくなく、簡単に自由に通ることができた。乗車券は券売機でなく、窓口で買うことができた。
 点字ブロックのことだが、交差点の所で警告ブロックを見た。これは日本のものと違い、もっと突起が大きく荒いようだった。日本でよく見る誘導ブロックは全然見なかった。また、音響式の交通信号は1か所だけ見ただけだった。それも小さな音で虫の鳴くような音だった。ガイドに聞いたがあまり普及していないようだといっていた。英国は福祉国家としては、世界の先端を行っていると思い期待してきたのだが、残念ながら感心するものには遭遇しなかったようである。むしろ、日本の方が歩きやすく住みやすいと思った。
 折角、ロンドンに来たのでぜひビッグベン(四角錐形の時計塔)の鐘の音を聞きたいと思っていた。ウェストミンスター寺院の観光の時にこの近くを通ったが、車の騒音があまりにも大きかったのか、よく聞こえなかった。微かに鳴ったような気がしたくらいである。この全体の形は、事前にミニチュアの模型を触ったので分かったが、文字盤は四方から見えるような塔になっていた。鐘は15分ごとに鳴るそうである。
 郵便ポストのことであるが、私の子供のころによく見かけた円筒型の赤い郵便ポストがロンドンにはあった。日本では今は箱型になってしまい、これらを見たことはない。これをゆっくり下から上まで撫でて見たが、当時の日本のものよりも大きく大変立派なものだった。とても懐かしかった。
 よく救急車らしい発信音の車が通ったので聞いてみるとやはりそうだった。警笛音は日本のものよりもやや低めの音で車は黄色だったという。国によって色は異なるようである。
 有名なテムズ川にかかるタワーブリッジにも行って見た。大きな橋の中央に3階建てくらいのタワーがあり、ここからはロンドンの街の風景がよく見渡せるようになっていた。テムズ川はそれほどきれいではなかったとか。
 食べ物についてだが以前はイギリスの料理はあまりうまくないといわれていたが、今回はそんなことはなくどこのレストランでもおいしかったように思う。ビフテキやタラの唐揚げ、大きめのデザートなどでみな舌鼓を打っていた。朝のバイキングでは、生ハムやキングサーモンが沢山あったので、私は久しぶりに食べ、満足した。新鮮な野菜類は少なかったようだ。
 ホテルの近くで「わさびずし」という寿司屋を見つけたので入って見た。最近は海外でも日本の回転寿司は人気がある。他の国で食べたことがあるが、チーズやアボカドなど、外国人に合わせたものが多く、物足りなかったものだ。しかし、ここはマグロなど魚は新鮮で日本的な味で、とてもおいしかった。
 以前に来た時にパブに入ったので、今度は行かなかったが、その時は昼食時にも樽からビールを注ぎ飲んだことを思い出す。特にどろっとした黒ビールの「ギネス」は名物だったように思う。
 お土産品についてだが、観光した所には必ず売店があり固有のものを売っていた。それ以外に今度はオリンピックのネイム入りのTシャツや学用品など、いろいろなグッズ類が売られていた。食べ物ではチョコレートやクッキーなど種類が多かった。私達は日本語のよく通ずる(三越)というデパートに行った。ここでは言葉で困ることなく、楽しく買い物ができたのでとてもよかった。
 今回の旅を思い出して満足でなかったものをあげて見ると、ホテルにシャワーだけで、お湯をためるタブがなかったことである。だから5日間も風呂に入れなかったのだ。この時ほど日本の温泉の有難さを感じさせられたことはなかった。部屋もベッドも広く立派だったのに!!こちらでは汗をあまりかかないのでそれほど必要性を感じないのだろう。また、飲料水だが蛇口からは直接飲むことはできず、必ずミネラルウォーターを買って飲むのである。日本以外の国はほとんどがそうである。やはり日本の水道は素晴らしい。どこへ行っても蛇口から水がほとばしり、いつでも飲むことができるのだから。今日もこの水道に感謝してつたないレポートを終わりとする。

 

 
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