富士山




 日本の名峰富士山、一度はこの足で登ってみたいと思っていたところ、新聞に富士登拝のツア―募集を目にしたので、お父さんと二人で早速申し込み参加しました。お天気も良くるんるん気分で、5合目で杖を2本買い求め焼印をしてもらい、6合目、7合目、8合目と、焼印を押してもらいながら順調に登って行きました。8合目でご来光を拝み9合目、鳥居が目の前に見えてきました。「お父さんもうすぐ頂上だねというと」、お父さんが「疲れた、気持ちが悪い、もう俺は限界だ、またくればいいんだから下りたいと」いう、仮眠もせずいっきに登ってきてしまったので無理もないと思った。私は天気も良く気分も悪くないし、頂上に登りたかった。父さんはみんなに迷惑をかけると申し訳ないからという私は、複雑な気持で下りて来ました。バスのなかで添乗員さんが頂上まで登った人と聞いたら40人の内4人だった。また、挑戦すればいいんだと思った。昭和52年7月30日の事である。
 2度目の挑戦は平成3年7月29日、当時8歳と11歳の息子とお父さんと4人で参加し登りました。天気にも恵まれ、息子たちも初めての富士登山、なんだかんだと、いいながらも順調に8合目太子館小屋にたどり着きました。仮眠を始めたところ添乗員さんが、頂上からの連絡によると雨や、風が強くて人が立っていられないほど危険だと言う、少し様子をみてみるというのです。「みんな、なんだそれと」いっていました。そのうち小屋まで強い雨が降りそそぎ、頂上まで登る事が出来ず雨の中、子供達はカッパを着て、傘を差して、下山しました。子供たちはもうこないと言った。(無理もない11歳の息子は、高山病にかかったみたい、頭が痛いとしくしく泣いていた。)私は、また挑戦すればよいと思った。
 3度目の挑戦は平成7年8月10日、新宿のお母さんに、富士山に登ってくるからねと、電話すると「そう、じゃ奥宮のお札を受けてきてくれない」と言われ、いいよ、「奥宮のお札は頂上まで登らないと受けられないからね、うちはまだ誰も登っていないのよ」、私は新宿のお母さんが元気なうちに登ってお札を手渡したいと思った。これもまた、8合目の小屋から頂上が悪天候のため登れないと言う事で下山する事になりました。私はなんて運が悪いんだろうと、がっかりもいいところ、がっかりで口では言い表せない気持ちでした。
 15年8月9日、これもまた、台風のため出発する事ができずバス会社で、全額費用を返すということ。これもがっかり、また挑戦すればいいんだと思った。
 4度目の挑戦は、16年8月7日、バスが5合目に着くやいなや何でもこいの天気で、大雨に,ひょうと、雷でゴロゴロ、こんな悪天候で登れるのかと心配でしたが、先立ち人の案内で予定通り登り始めました。突きさすような雨、道は川のようで靴の中まで水が入り、雷はピカっと光ったと思ったらものすごい勢いで「ドッカーン」先立ち人は、ロープに触らないで下さい、傘は差さないで下さい感電するからねと、先立ち人の注意を受けながら8合目元祖室小屋へと登って行きました。小屋に着き、食事を済ませ仮眠部屋へと案内され寝る準備です。リックからは水が垂れ、靴下はポウポウで、部屋はむんむんして臭い。そこへごろ寝です。ごろ寝もいいところ、隣の人の足が私の顔と口元にくるのです、これには困りました。口をハンカチでおさえて仮眠しました。小屋の屋根は雨の音でバタバタ、ほんとうにどうなるのかと思いました。そのうち雨の音もしなくなり、夜10時頃、外へ出てみると空は満天の星、私は嬉しくて、うれしくてバンザイをしました。真夜中の12時頂上を目指して小屋を出ました。4度の挑戦で先立ち人が付いたのは、初めてでした。予定通り浅間神社奥宮の鳥居をくぐり、3時40分頂上に着きました。頂上は8月でも薄暗く、気温も7度と低く体に、ホッカロンを入れても温まらず寒くて、さむくて売店で買い求めたホットカンコーヒで、両手を暖めたり、顔につけたり、お腹の中に入れたり、足につけたりと、飲む頃にはぬるくなってしまいました。そうこうしているうちに4時、浅間神社の扉が開き、お札を売り始めたので感無量の気持ちで家内安全、交通安全、そして幸せをかき集めるようにと、ちよっと欲張りして、頂上の焼印してあるししゃくも買い求めました。浅間神社奥宮の大きな鳥居の前で記念写真も撮りました。そうこうしているうちに、先立ち人がそろそろご来光ですよ、移動します。一番良いところに場所を構え、太陽が出てくるのを今か、いまかと待ちました。すると雲海の中からオレンジ色の光が差し始め5時10分大きな、おおきな真っ赤な太陽が顔を出しました。みんな「バンザイ、バンザイ」と何回も何回も、バンザイをしました。私は感激のあまり、頬に涙が伝わっているのを感じました。だって4度目の挑戦でやっと夢にまでみたご来光を仰ぎ見る事が出来たのです。その時こう思いました。日本の百名山全部登り終えた時の気持ちと同じ位の感動だと思った。頂上からの眺望もまた格別で、街の夜景もダイヤモンドを散りばめたように、キラキラと光、とても綺麗でした。また、登ってくる人たちのヘッドライトの光がダイヤのネックレスを一連にしたようで、これもまた、格別で感動しました。最初に登ったとき買い求めた杖に頂上の焼印をしてもらい、ご来光の感激を胸に下山を始めました。
 雲ひとつない晴天に恵まれ、足元の草花を観察したり周りの風景をこの眼に焼き付けながら下りてきました。これは、登った人にしか味わう事の出来ない最高の気持ちで、また明日から、どんな事があっても頑張れると思った。帰って来てから、友達にも頂上からのお土産を手渡しました。新宿のお母さんにも、娘さんと一緒に行き手渡しました。お母さんは、両手でお札を持ち深々と頭を下げ、「大切に祭らせてもらいますと」納めてくれました。(平成17年12月19日)
 頂上には、ブルトウザーが何台も置いてあるのには驚きました。登山道も、登るたびに整備されており立派な道です。時間があれば、お鉢巡りもしたかったです。息子が、「2007年」のカレンダー売り場に富士山があったから買ってきたよ。「お母さんにあげるね」とくれたので、早速、一枚、いちまいめくってみると、4度挑戦した事を思い重ねながら,四季折々の、素晴らしい富士山の姿を見て、2007年の書き出しにしてみようと思い書きました。
 世界遺産に登録しようと15年も地元の人たちは頑張っているが、賛否両論あるようです。また夏山シーズン、22万人の登山者を魅了するのですから、歌の文句ではないが「富士は日本一の山」です。登ってみたい山の一番も「富士山」、一番高い山も「富士山」です。
 以前は、周りに高い建物もなかったので私の家からも、冬場空気の綺麗な時には、南西よりに夕方朱に染まった「赤富士」が良く見えました。富士山が良く見える条件は、@雨上がりの時、A空気が乾燥している時、B冷え込みの厳しい時、AとBが重なると遠くまで見えるということです。「成せば成る何事も」、4度の挑戦ご苦労さん、富士山ありがとう。



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