五竜岳〜鹿島槍ヶ岳



 ウィンズツアー山渓部企画による五竜岳〜鹿島槍ヶ岳縦走≠ノ2012年9月8、9、10日(月)2泊3日の予定で天気に恵まれた思い出に残る山行を楽しんで来ました。
 8日宇都宮を3時15分に出発をして佐野により添乗員の松本さんと参加者を乗せ添乗員2名と参加者10人の12名は五竜岳の登山口長野県五竜とおみスキー場へと途中休憩を入れながらバスに乗り向いました。エスカルプラザ、ゴンドラの始発駅に7時30分に着き靴を履き替え、準備運動をして8時のゴンドラに乗り、リフトに乗換えをして今晩の宿五竜山荘へと足を進めて行きました。地蔵の頭8時40分、タムラ草を見つけました。見返り道8時52分、中遠見10時10分、大遠見山10時51分、尾根歩きだから天気が良いと素晴らしい山々が目の前に見えるのにね〜と松本さんが言うが、生憎のガスが山全体を覆い、やせ尾根の処もあるので足元注意で山荘へと向いました。滝の音がしました。天気が良ければここから五竜山荘も見えると言うが残念ながら何も見えません。白岳遠見尾根分岐13時15分、唐松岳へ行く分岐です。五竜山荘に13時20分に着きました。手続きを済ませ部屋を案内され荷物を片付けて小屋の外へ出ると16時頃、一瞬ではあるがガスが切れ唐松岳から五竜岳が見え、登って来た遠見尾根も良く見えました。夕食は17時カレーです。山で食べる食事はとても美味しいです。明日は五竜岳から鹿島槍ヶ岳八峰キレットに挑戦して2座を目指します。体力温存の為早めに休みました。
 9日5時20分にご来光を仰ぎ準備運動をして5時35分五竜岳を目指して山荘を後にしました。眩いばかりの朝日が五竜岳から唐松岳を照らし360度の大パノラマを堪能しながら6時45分頂上に着きました。頂上からは真っ青な空の下に男性的などっしりとかまえた後立山や鹿島槍ヶ岳が見え参加者全員感動し「ばんざーい、ばんざーい」記念撮影をして頂上を後に鹿島槍ヶ岳へと足を進めて行きました。険しいガレバや岩場の難所を何箇所もクリアし北尾根ノ頭まで下りて行きました。お腹が空いたので後立山を見ながらお弁当を半分食べました。ここからは尾根歩きが続き最高の眺望ですがガスが立ち込み始め山は10時までだねーと言いながら、ガレバの足元に注意をしながら八峰キレット小屋に10時55分に着きました。お天気も良くすれ違う登山者にどちらに泊まったのですかと聞いたら「八峰キレット小屋」と言いました。山と山のわずかな面積の間に建つ八峰キレット小屋です。ここからが一番難所の八峰キレットの始まりなので、水分補給と身体の休憩で時間をとりました。八峰キレット小屋は食事やコーヒーが美味しいと言う評判の小屋で、目の前に立山連峰が見え眺望は素晴らしいです。ここからが難所のキレットの始まりです。「一歩一歩鉄の梯子や、キレットに架けられた渡り橋、足元を確認しながら次のキレットまたキレットと難関を全員無事にクリアする事が出来ました。お天気次第で難関の足元は危険度が違うのが良くわかりました。経験と知識は身に付いた財産だと思いました。鹿島槍ヶ岳の吊り尾根に12時50分、頂上には13時30分に着きました。私は鹿島槍ヶ岳で目標だった百名山達成なのです。頂上に私が足を踏み入れると皆でトンネルのアーチを作ってくれ蔓延の微笑みで祝ってくれました。前日、五竜山荘で参加者全員横断幕にお祝いの寄せ書きを書いてくれたのです。祝いの横断幕と夫が用意してくれた祝い酒で「おめでとう〜乾杯〜」で記念撮影をしました。
 思い起こせば10年前下野新聞に「百名山を応援しますユーアイ観光」そして一年間の山の予定表が載っていたのです。私は早速予定表を切り抜いて登りたい山に○をつけてみましたが、職場がスーパーなので土、日は休暇をとるのも気が引け、一年目は 3座しか登れませんでした。10年かかりましたが目標を達成する事が出来て嬉しく私を陰ながら支えてくれた人達に感謝とお礼を申し上げます。頂上でゆっくりと時間をとりたかったのですが、ガスもかかっており今晩の小屋まで時間がかかるので早目に下りました。下りる途中邪魔な雨がパラパラと、すると参加者の梶山さんが「どうか小屋に着くまで雨さん降らないで神様お願いしますと」お呪いをかけてくれたのです。布引山14時46分、冷池山荘に15時43分に着きました。着くやいなや大雨、梶山さんのお祈りは神様に届きました。夕食の時ウィンズさんからの記念品とお祝いを松本さんから頂きました。最高の笑顔と拍手で祝ってくれました。食堂にいた周りの人もおめでとうの言葉をかけてくれました。一生忘れる事の出来ない思い出ができました。「ありがとうございます」。明日のため早目に休みました。
 4時に目を覚まして窓を開けると満天の星、種池山荘の明かりが遠くにキラキラと、今日は天気に恵まれるな〜と締めくくりを祝ってくれているように思えました。ご来光も最高でした。朝食を済ませ5時30分小屋を後にしました。爺ガ岳が朝日に照らされキラキラと輝いていて「気よつけてな〜」と言っているようでした。高千穂平7時5分、振り返って観る鹿島槍ガ岳は朝日と青空に映え最高に輝いて見えました。西俣出合9時、大谷原登山口10時と順調な足取りで1時間も早く下りてきました。待っていたバスに乗り、大町の薬師温泉で疲れと汗を流し、空いたお腹を満たし「わしゃー満足だ〜」と宇都宮へ無事に帰って来ました。
 100座を思い起こせば、合羽に突き刺さるような強雨の中の山行「空木岳」、悪天候により引き返し3度目の「薬師岳」吹雪により引き返し2度目の「浅間山」、8月4日の炎天下こんな思いをして登るんだらもう山は登らないと思った「会津駒ヶ岳」、頂上に着きびっくりした「安達太良山」、頂上に着きお弁当を広げるやいなや急に降ってきた雨と雷の「八ヶ岳」、熊の子供が木によじ登る姿を目の前で見た「トムラウシ」、頂上からはっきりと見えたロシアの国後諸島の「羅臼岳」、目的の山が見えず「まだなの、まだなの」と言いながら登った「雲取山」、裏と表の山容が違う「鳥取の大仙」、スリル満点登り応えのあった鎖場の「石鎚山」、小屋を2時30分に出発をして鹿の泣き声を聞きながら登った屋久島の「宮之浦岳」、山一面ピンク色の深山霧島の咲く素晴らしい山「阿蘇山」と「九住山」、登った人だけが味わえる天空の楽園「苗場山」、一面のお花畑「荒川三山」、天気に恵まれ白馬三山が目の前に見え夕日の沈むのを見届けた「白馬岳」、固有名詞の花が18種類と御池巡りやお花畑巡りの出来る「白山」、最北端の山「利尻岳」、家族で登った「男体山」、三男をおんぶして登った「茶臼岳」、夜行3泊4日の大縦走の「飯豊山」、雲竜小屋でヒマヤラの体験談を小屋の管理人に聞いた「大朝日岳」、ハラハラドキドキ晴天に恵まれた日本一難所の「槍岳」、山の頂上で御神酒を頂いた「立山」、4度目の挑戦で頂上に登り付いた天下一の「富士山」、雪解けの下山道滑って転んだら泥だらけになってしまうと慎重に足元注意で下りて来た「筑波山」、砂風呂に入り夕日に映える山を観る「開聞岳」、ちょっとだけよと本当にちょっとだけ見えた猪苗代湖「会津磐梯山」、山の頂上から上越新幹線が見えた「魚沼駒ヶ岳」、天気に恵まれた憧れのやま「剣岳」、落石で怪我人がヘリで救助をされる所を見た「奥穂高岳」、高山病にかかってしまった「木曽の御嶽山」、蛇紋岩の大きな石に足を滑らせ手首を骨折してしまい指導員も下りたので参加者だけで山行し早池峰ウスユキソウが見られた「早池峰山」、ニセ巻機本当の巻機山はどこなの小雨降る中寒くて震えながらおにぎりを食べた「巻機山」、あそこに雪を被った様に見える山はと聞いたら「甲斐駒ヶ岳」と、強風でへばりつきながら登った「間ノ岳」、日本で二番目に高い山期待をして登ったのに頂上はガスの「北岳」、晴天なのに頂上に着いたらみぞれの「四阿山」、雨も降らないのに避難小屋で砂嵐のため合羽を着た「八甲田」、山小屋コンサートを初めて聞き感動した「常念岳」、木々の立ち枯れは気味悪い〜「大台ケ原と大峰山」、伊勢湾台雨風のつめ跡だそうです。不気味な噴煙の音の「焼岳」、紅葉の真只中帰りゴンドラに乗れず薄暗い中を歩いて下りた「谷川岳」、山に日本武尊の銅像が建つ「武尊山」、小屋のご主人に登頂記念を添え書きしてもらった「雨飾山」、宇都宮は大運寺の住職さんの息子さん双樹智道さんに山岳ガイドをして頂いた北海道の「幌尻岳」、年数をかけ自然が造り出した造形美の玉子石をこの目で確かめた「平ヶ岳」、登っただけで何も見えなかった山もあります。紙面には書かなかった沢山の山もありますがどの山も素晴らしく、心と身体と頭の中には残っており、私の10年かけて築いた忘れられない大切な財産です。
 2002年一座の「蔵王」、5月から始め百座の鹿島槍ヶ岳で達成したわけですが、けして一人で出来たわけではありません。ましてや重度の子を持つ親、行政資源を使い施設の受け入れで安心して登れ「あいあい会」があって本当に良かったです。山仲間も沢山できました。高山植物の名前も沢山覚えました。これも私の財産です。指導をしてくださった臼田先生、渡部先生、松本さん、山田さん、お世話になりました。
 日本には名の付く山が2万座あるそうです。これからも身体と相談をして登り続けたいと思います。ありがとう御座いました(2012年11月7日)。


      


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