一日一生(8月号)
引越しあれこれ




 早8月になりました。西高東低でしょうか?西の方は連日、35度になろうかという猛暑、関東地方は、8月になりましたら、秋を思わせるような日が1週間程続いています。暦の上では、もう立秋になるのですが、去年のように、東北・北海道の冷夏にならないように祈っております。ジャガイモができなくて、ポテトチップスも品不足でしたね。それに加えて、たまねぎなど野菜不足でした。
 さて、今回は我が家の引越しについて書きます。我が家は、結婚をしてから、3回引越しをしました。始めに書きますが、これは、経済的に豊かだからではありません。それぞれ、目的が変化したことによるものです。
 1回目は、1979年、結婚をした時は、駒生町にある貸家でした。6畳2部屋と、4畳半の部屋でした。先輩の使用していた貸家が、私どもの結婚とほぼ同時期に空きましたので、スムーズに借りることができました。家賃は、2万3千円だったと記憶しています。
 それからわずか1年8ヶ月でした。住んでいる直ぐちかくに、売地のアドバルーンが、妻の目に留まりました。いずれかは、一軒やに住みたいと願っていたわたしたち。貯金もたいして無いのに、分譲地を訪れて、業者に聞いてみました。手元には300万円だけあったのです。結局、共済組合、住宅公団、足利銀行からめいっぱいかりまくりました。土地と住宅合わせて、1500万円でした。本当に借金が返せるかなあ??と、心配もしましたが、土地の値段は上がることはあっても、下がることは無いから…との、先輩たちの声に押されて、エイッとばかりに、決断しました。
 1980年の11月には、恩師・鈴木先生ご夫妻に来ていただいて、祝福のお祈りをしていただきました。鈴木先生は、「阿久津君たち、早すぎるのではないか?」と、心配をされました。ところが、その年の12月23日、鈴木先生は、突然襲ってきた心筋梗塞で召天されてしまったのでした。信じられませんでした。66歳の若さでした。今年、私もその66歳になったのです。
 それからの28年間、わたしたちは、その家に住みました。その間、里親に子どもを二人、養子・養女と迎えました。また、里親として、女の子を8年あずかったり、短期間の子どもたちを7人受け入れたり、人生、山あり谷ありでした。
 97年には、妻の実家の兄が64歳で亡くなり、義母が我が家に来ることになりました。義母とは10年間、共に生活し、孫たちがおばあちゃんからかわいがってもらい、色々なことを教えられました。最後の5年間は、脳梗塞にかかり、辛い経験をしましたが、我が家にとっては大変尊い経験でした。この間に、80年から10年間は、恐ろしいほどのバブルでした。その恩恵を受けて、給料が上がり、返済も思っていたより順調でした。
 さて、2008年、今から約10年前、我が家は新たなる決断をすることになりました。それは、我が家には、駐車場が、1台しかとめられなかったのです。そのためにお客さんが来たびに、道路に駐車すると、ピーピー・パーパーと、音が鳴りだし、移動をしなければならなくなりました。不便きわまりありませんし、精神的にもイライラします。
 そんな折、近くにまたもや売地がでました。バブルもはじけ土地は、下がる一方です。買うなら今だ!私たちは、退職4年前、その退職金を目当てにして、またもや借金をしたのです。そのころの利子は、28年前とはまったく変わっていました。80年の時は、住宅公団の利子は5.5%、足利銀行にいたっては、年利8.8%でした。それが今では銀行の利子は3%、共済組合は2.5%だったとおもいます。その時は銀行からは借金をしないで、共済組合から多額の借金をしました。そして08年に、我が家から歩いて数分の所に、土地と家を持つことができ、駐車場3台は駐められるようになりました。部屋数も増やして、5人で生活するのには丁度良いか環境でした。また、私が盲学校に通勤するのには、最も適していました。一人で行動できることが視覚障害者にとって嬉しいことです。
 では、それなのに、何故、今回10年足らずで、しかもマンションへ引越しをする決断をしたかということになります。三つの理由があります。
 その1、昨年までは、高校生の里子を預かっていましたが、それも終わり、3人の生活になりました。義母とも別れ息子も5年前に病のために、天国へ旅立っていきました。3人では、その家は広すぎると感じるようになりました。
 引越しのその2は、私たちも、高齢になりました。毎週・日曜日には教会へ行きますし、水曜日の夜には祈祷会があります。これまでにも教会のみなさまには送迎の奉仕をしていただき助けられて来ました。しかし、いつまでも頼りにばかりしてはいられないと思うようになりました。多くの場合、夫が車を運転して教会に来られる夫妻も夫が病気になったり、亡くなったりすると、教会に出席するのが困難になります。
 そこで私たちは、教会へ歩いて行くことができたら良いなあ?と、願うようになりました。教会から250メートルの所にマンションがあり、妻が見つけて、どうぞ、この場所が与えられますようにと祈り始めました。私は反対ではなかったのですがマンションができて、10年だから、空くのには、1年か2年は待たなければならないだろうと、のんびり考えておりました。
 ところが、今年の6月に不動産から「阿久津さん、空いてるマンションがありましたよ。」との吉報がはいりました。しかも、2階です。足の不自由な私には、いざというときには、階段を一度だけ下りれば脱出できます。よっしゃ!神様にお任せしよう!と、3度目の決断をしました。
 退職して早5年、手元にそれほどお金があるわけはありません。老後のために、多少はありました。しかし、それは極めて危険な買い物とは思いますが、現在住んでいる、家をリフォームして、売却すれば、なんとかなるのではないか?との、期待です。これまでも守られて来たのですから、神様が必ず助けてくださるとの祈りと願いを持って決断をしました。
 その3の理由は、高齢化社会を迎え、一戸建ての家が、古くなればなるほど売却が困難になることは、08年に経験しました。あの時は、家が売れなかったために、新地にして、08年の9月10日に売却にこぎつけました。それから五日後、リーマンブラザーズが倒産して、株が暴落し、土地も暴落へとむかいました。九死に一生得たような思いでした。
 このようにして、今回、はからずも終活として、マンションへ引越したのでした。やがて、娘一人になったら、家の売却は大変なことになるでしょう。マンションの方が、売却はより簡単と思います。
 聖書には「全てのことが働いて益となる」とあります。経済的余裕などありませんが、目的によって、引越しをした38年間のレポートになりました。
 マンション生活ですが、私のために用意されていたのではないかな?と、思うほどバリアフリーされていました。エレベーターは、音声ガイドがありました。12階建てのマンションですが、乗るところ、エレベーターの中にも、点字の表記がありました。本当に感謝なことです!自分の部屋からエレベーター、そして、玄関までの道も、一人で歩けるようになりました。
 私自身は、幼い頃から、寮生活をしていますから、共同生活は嬉しいことです。隣近所の人たちとの交流はほとんどありませんでした。エレベーターで、知らない人と会うと、こんにちは、大丈夫ですか?などと、優しい声をかけていただきます。あー、感謝だな!嬉しいな。人の声を聞くことができることは、私にとっては、何よりも嬉しいことです。マンションの住民の中には他人とかかわりたくない人も沢山いると思いますが、子どもの声が聞こえたり、犬の声も聞こえます。生活の様子を共有できることは、私にとって幸せなことです。
 今年、最も大きなニュースとなりました。後は、リフォームと売却がスムーズに行くようにと祈るばかりです。売ることの難しさを学んでいます。それだからこそ、日本の消費が伸びなくて、景気も、政府や日銀の予想通りには行かないのだと感じております。
 私の読書ノート
1 藤堂志津子著「秋の猫」柴田錬三郎賞
 今年は加計学園の問題で、日本のニュースがほぼ1年かけ回りました。
 この本は、愛犬・愛猫を主人公にした短編が5編書かれております。皆様、犬と猫どちらが好きですか?犬も猫も、共に暮らすと時には大切な子どものように、恋人のように感じるものですね。動物の好きな方にはお勧めです。
 私は、三頭の犬と生活を共にしました。盲導犬ではありませんでしたが、やはり家族の一員と大切な存在でした。今ではおりませんが、マンションの上野方で、犬の鳴き声を聞くと嬉しくなります。6千年以上前から、人間と生活を共にしていると聞いております。
2 林真理子著「我らのパラダイス」
 この本は、高齢者の生活に的を当てての物語です。東京で生活するハイソサエティーの老人たちの共同生活、セブンスターズでの生活が主となります。
 お金があるから幸せかと思いますが、かならずしもそうとはいえませんね。また、高齢化を迎えると病になり、子どもたちや嫁の介護の問題、認知症などの悩みも出てきます。介護も家族だけに任せておくことは悲劇になります。
 それらの問題に問いかける本です。人ごととは思えません。
 林さんは、今年63歳、私とほぼ同年代、老人ホームを取材しての本と思います。男女の恋愛のリアリズムとは一味違う本になりました。
 さあ、夏も間もなく終わり、秋になります。読書の秋です。大いに読書をしたいと考えております。
 高校野球、スポーツの秋でもあります。昨年、54年ぶりに、栃木県代表の作新学院が優勝をしました。今年も…と、願いたいところですが、惜しくも一回戦敗退となりました。
 今年の夏も平和な中に過ぎて欲しいと願っております。次回は、9月にお会いしましょう。



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