一日一生(12月号前編)
私の読書ノート「血脈」



 皆様お元気ですか?今月は、特別号として、2会書きます。後編は、クリスマス頃に書きます。
 佐藤愛子著「血脈」
 音声による読書のために、主として人名を平仮名にしました。(文中敬称略)
 この本は、佐藤愛子が65歳から77歳までの12年間をかけての超大作であります。明治・大正・昭和に渡る佐藤家の話になります。上・中・下と三巻合わせると1800ページになります。愛子が、最後に書いていますが、人は暴露本と思うかも知れませんが、佐藤家に起こった事実をありのままに書いたものです。菊池寛賞を受賞しています。読み方によっては、大正時代・昭和の人々の生活に事細かに書いてあるので、大変参考になります。特に、第二次世界大戦における国民の悲惨な生活を知ると、戦争をしてはならないということを、痛切に感じました。
 ここでは、佐藤紅緑(こうろく)という、明治・大正の有名な作家についての話から始まります。
 紅緑は、青森県弘前市の出身の影響があるのか?正義感が強い反面、頑固一徹の国粋主義者。作家には没頭し、大正・昭和に少年たちの心おどる小説を書いて一世を風靡します。他方、家庭のことは省みませんでした。3人の女性と次々と結婚をして、いったい何人の子供がいるのかと思うほど子だくさんです。
 最初の本妻・はるとの間には、長女・きみこが誕生しますが、肺病のために若くして亡くなります。ハチロウが長男で、たかし、わたる、ひさしが生まれます。2番目の妻・いねとの間には、ゆきお・よしおの男児が生まれました。3番目の妻・しなとの間には、さなえ・愛子がうまれます。この作品は、その一番下の佐藤愛子がおよそ90年に渡っての、佐藤家の歴史を書いたのです。
 結論から書くと、親・兄弟・姪のほとんどが亡くなってからの話なので、家族の人たちの目に止まることはありませんでした。
 ハチロウの話に入る前に、兄弟のことを簡単に書きます。直ぐ下の弟・たかしは、とっても優しい人でしたが、仕事を続けることはできず、父親の名前を使っては借金をしまくります。時には、たかしが死んだとの電報が紅緑の所に届きます。諸生がかけつけると、借金をしていたので、それを払ってほしいといったようなことが何度もありました。最後は、愛人と広島に行き、原爆で若い命を亡くします。
 わたるは、軍隊に入りますが、フィリピンで戦死します。
 ひさしは、若いうちから家を離れ、女性との生活に没頭します。彼女と心中しようとしますが、ひさしだけが亡くなり、女性は生き残ります。
 2番目の妻・いねとの間に生まれた、ゆきおとよしおは、それぞれ立派な人生を送りますが、二人とも比較的早く病死します。
 そして、3人目の妻・しなとの間にうまれた、娘二人、さなえは、結婚して48年、親の反対を押し切って結婚をします。70歳の時に、心の病になり、心不全で亡くなります。
 愛子は、2どの結婚をしますが、いずれも離婚し、40歳の頃から今日にいたるまで、小説家として健在です。2000年に、この「血脈」が完成したのでした。
 愛子は書きます。「自分は読者のコトなど考えません。他の人がどんなことを感じるか全く考えません。私が書きたいから書くのであって、他人の評価は気にしません。気にしたら小説家は何も書けませんからね。」と、断言するのです。
 林真理子は、小説家になるということは、裸になるということです。経験をあるから書く事もあるし、全く経験しないことも書くのですと、対談で語っていました。
 さて、話を血脈に戻します。
 長男ハチロウハ、祖父から数えて8番目なので、ハチロウと名前とつけました。佐藤八郎という詩人が群馬県にいたので、彼はカタカナにしました。
 生来、父親の影響を受けて文才はありましたが、佐藤家は、世の中の常識が非常識、佐藤家だけの非常識がすべてでした。
 ハチロウハ、学校が大嫌い、中学校では、7回、停学・退学を繰り返しました。中学校卒業のために、父親が、お金で卒業証書をもらったとありました。喧嘩ずき、泥棒モすれば万引きもする。東京にある刑務所に何度入ったことか?
 ところが、ハチロウハ、一向に気にかけず、かえってそのことを、自分の売りのネタにしてしまうのでした。彼は、饒舌、さわやか・笑いに変えて、人気者になるのです。ハチロウがいるだけで、周りが明るくなり、絶えず笑いがあふれます。詩や童謡、歌謡曲を書き始めると絶好調になります。
 戦争中になると、二人は若いでヒット曲を飛ばします。戦後まもなく、あのリンゴの唄を作詞します。昭和のはじめには、「小さい秋見つけた」を書き、多くの人たちに親しまれています。
 しかし、ハチロウには、誰かが絶えず傍にいないと不安でたまらないという、病的なものがあります。家を省みることはなく、結婚をして、子供が生まれてもほとんど家にいることはなく、多くの女性の家に出かけて行きました。
 愛子は、兄・ハチロウのことを、最高のエゴイストと書いています。外へ出かけると、周りの人をどのように話したら楽しませるかについてすべての神経をそそぐのでした。
 ハチロウノ最初の妻・くみことの間には、ただしの他に4人の子供が生まれます。二人目の妻との間には、しろう・ごろうが生まれます。3人目の妻との間には子供がいませんでしたが、ハチロウトノ生活は最も長く、最期は、その妻・蘭子に看取られるのです。
 ハチロウノ子ども6人は、彼があまりにも偉大な詩人だったこともあるのか、それぞれ父親への尊敬よりも、家を顧みない父親への憎しみからか、様々な問題を引き起こす連続でした。
 その結果、長男・ただしは、生涯定職につくことはありませんでした。ハチロウの死後、裁判での遺産相続を持ち込みますが、若くして心筋梗塞で亡くなります。
 一番下の息子・ごろうも、若くして家を出て、女性の家に次々ところげこみ、ハチロウよりも早く、アル中で死にます。
 ハチロウノ業績が認められ、勲三等・瑞宝賞を受賞します。昭和天皇の御前で、徳川夢声と2時間話をさせてもらったり、日本中の偉大な詩人になります。
 やがて叙勲をもらうことが決まりました。それもつかの間、心臓急停止という病で突然亡くなるのです。そして、叙勲の賞状を受け取る日に、ハチロウの死にぶつかってしまいます。その日、ダークダックスは、お祝いのお金を持って訪問しようとしますが、突然の訃報を聞いて、路上で、お祝いの袋の中を、香典に入れ替えたという、笑うに笑えない逸話があったそうです。ハチロウならば、多いに喜ぶことでしょうね。
 ここで、佐藤ハチロウの主なところを書きます。佐藤ハチロウ(1903―1973)、詩人。東京に生まれる。本名佐藤八郎。その他、沢山のペンネームを有する。『リンゴの唄』の作詞、テレビのタイトル詩「おかあさん」により、多くの人に親しまれた。芸術選奨や紫綬褒章(しじゅほうしょう)を受け、新人養成のため木曜会を結成、『木曜手帖』を創刊。44年(昭和19)日本童謡協会をつくり会長となり、46年日本音楽著作権協会長に就任。73年、勲三等、瑞宝章(ずいほうしょう)受章。没後、東京都文京区弥生(やよい)にサトウハチロー記念館が設立されたが、96年(平成8)には岩手県北上市へ移転した。[藤田圭雄]
『サトウハチロー童謡集』(1977・弥生書房)
 『サトウハチロー・ユーモア賞説選』全20巻(1976〜79・岩崎書店)。以上yahooからの引用。
 ハチロウと言えば、お母さんの詩人として、あまりにも有名です。なんと優しい詩人なのだろうと、私は今日まで信じていました。この本によると、あのお母さんへの詩は、母親への慕情を空想して書いたとあります。むしろ、母親を憎んでいたとありました。
 しかし私は思うのです。ハチロウハ、詩集に書いたお母さんを望んでいたのではないでしょうか?叙勲よりも、優しい、自分だけを愛してくれる母が欲しかったのではないかと。
 人の心は複雑です。親子関係、兄弟関係、社会の問題は昔も今も何ら変わることがないと感じました。
 佐藤愛子の主な本
 戦い済んで日が暮れて、直木賞。
 血脈、菊池寛賞。
 晩鐘、女流文学賞。
 90歳、何がめでたい2016年ベストセラーえ



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