第10回 年金問題を考える




  皆様こんにちは。5月もまもなく終わりですね。今年の5月は例年より寒暖の差が大きく、夏ではないかと思われるような日が何日かありました。風邪を引いている方も、結構いるようですね。
 さて、今回は私たちの年金と生活の問題について書きたいと思います。  最近の新聞に、1949年に生まれた人たちの人口が掲載されていました。270万人です。この人たちが、最も多い人口だそうです。そうなると、60歳から70歳までの10年の人たちの人数は、ざっと2千万人を超えているのではないかと思います。この2千万人の人たちが、戦後の高度成長期を引っ張って来た人たちと思います。70歳から上の人たちの人口は、約2700万人でしょうか。1970年以来、生まれる子供たちが減少してきています。最近の新聞報道によると、0歳から15歳までの、子供の数は1633万人とあります。ざっくり言って、毎年百万人程度の子供が生まれているのです。ところが、50年後には、人口が4千万人減少し、8700万人になるといわれております。確かに人口は減少しますが、その頃になると、バランスがとれて来るのではないかと思います。しかし、これからの30年が、日本にとりましては大変な危機に直面することになります。
 少子高齢化に伴い、次のような問題がまったなしとなります。医療費の高騰に伴い、これまで70歳になると、1割負担の医療費が2割負担となります。入院したくても入院できない人たちが増えてきます。海外諸国との競争から、コストカット・リストラが、ますます増えて行き、地方では雇用が減少します。あっても、非正規社員となり、若者たちが低賃金に苦しめられます。つまり、格差社会が増大していくと思われます。個人経営の商店はなくなり、残るのは、コンビニ・大店舗のスーパー、そしてカラオケボックスかも知れません(最近の調査では、35.2パーセントが非正規社員です)。
 子供が少ないのですから、これからは大学・高校・中学・そして幼稚園と閉鎖をしなければならないところが増えて行くと思います。お寺や教会も、信者が少なくなり、統合または閉鎖に追い込まれて行くのではないかと心配されます。私たちが大学進学の時は、百万人を越える人たちが進学していたのです。子供が少なくなり、やがては大学に行く人は、50万人程度になるのではないかと思います。それに加えて、896の村や町がそっくりなくなり、仕事を求めてもないので、若い女性たちは東京へ就職に出かけます。その結果、結婚をする人が少なくなり、生まれて来る子供は、ますます少なくなるのではないかと思われます。政府は、何とか1億人を目指して対策をとりたいと言っています。はたしてどんな政策があるというのでしょうか?
 さて、現在20代・30代の人たちにとっての大きな悩みは、将来の年金が問題ではないかと思います。現在、満額の年金をもらおうと思う人は、65歳からとなっております(年休受給者は2400万人となっていますが、その他、特別年金・生活保護費などを受給している人は、数百万人程度と思われます。)。私は60歳から年金を受給しています。3年刻みになっているので、現在53歳の人たちは、65歳にならないと年金を受け取ることができません。「それならば65歳まで働けば 良いではないか」という人が多くおります。もちろん、これは正論です。しかし、残念ながら、60歳ころから病気になることが多いのも事実です。また、高齢者が仕事をすればするほど、若者たちの仕事を奪うことになるのではないでしょうか?
 私の考えを書けば、60歳から年金をもらうかどうかの選択権を残しておいて欲しかったということですが、もはや夢と消えました。ラジオを聴いていると、70歳、75歳、最高は82歳のアナウンサーが、フリーアナウンサーとして元気に活躍しております。これはとても嬉しいことです。その反面、60代で亡くなる芸能人も沢山聞いております。栃木県出身の作家・立松和平さんは、あんなに元気だったのに、62歳で3年前に病死してしまいました。要するに、年齢と健康とは必ずしも一致しないということです。5月13日の新聞に、厚生労働大臣のコメントに、「これからの年金は、70歳から受給するか、75歳にするか、個人が受給する時を選択できるようにしてはどうか?」との発言がありました。また、高収入を得ている人は、年金を受給しなくても良いのではないかとの発言もありました。政府としては、できるだけ長く働いて、年金を払わないようにしたいということです。つい最近、65歳からの年金支給開始を、67歳・68歳にしてはどうか?70歳からにしてからではどうか?という動きがあります。そして、仕事をしている人は、70歳から受給するか、75歳からにするか、選択してもらおうという声が、自民党の中から出始めました。年収1千万円以上の収入のある人にとっては、それも良いかも知れません。最もその人たちにとって、40年以上も年金積み立てをして来たのですから、その分は返してくれよ!と、言いたいと思います。そのようなわけで、若くても、年を重ねても、生活が厳しいのは同じことなのです。
 さて、ここで視点を変えてみます。現在、日本の赤字国債、最近発表された学派、1024兆9568億円となりました。一人当たり8百万円とありましたが、赤ちゃんや幼児まて、借金に計算するのは、実にナンセンスとは思いませんか?返せるはずがないのですから。そのような子どもまでも、返済額に入れても無駄なことだと思います。実際の年齢の人に換算すると、何億円となるから、8百万円としているだけの話です。毎年の国家の予算が約95兆円ですが、そのうち、収入として国に入るのは、45兆円程度で、後は、国債の乱発で、借金の返済です。政府がしていることです。円安にして、株を上げて、税金を増やそう。さらに消費税を上げて、収入を増やそうとしています。国民の貯金が1400兆円あるので、これを株の運用資金にして、経済を活性化しようという動きもあるのです。しかし、これは、ハイリスクハイリターンです。国民の貯金をかってに投資することは大変危険なことです。最も、実はもうすでに、何パーセントかの貯金は投資に使われていると聞いております。現に、中小企業の年金が、投資のために流用されて破綻をしてしまいました。その結果、企業年金をもらえなくなった人たちが数十万人いると聞いております。
 そのようにして、若者たちにとって、就職・結婚はきわめて厳しく、子育ても、環境が整っていないのですから、少子化は、歯止めがききません。こんなニュースを知ると、若い人たちは、「俺たちは年金をもらえないのなら、国民年金を納める必要がないな。どうせもらえないのだろう・・・。」と、考えるのも良く理解できます。40パーセントの人たちが国民年金を納めていないと聞いております(納めたくても支払うことができない若者も沢山います)。そして、年収400万円以上ある人の中にも、国民年金を納めていない人が、14万人いるのです。政府は、近いうちにそのような人たちには、貯金や家の物を差し押さえようとしています。車やテレビ、何でも差し押さえられてしまうかも知れません。さらに驚いたニュースは、自動車税を納めていないと、これまた車を差し押さえて乗れないようにしてしまうのです。最近のニュースでは、警察が誤って、同姓同名の人の差し押さえをしてしまったという。とんでもない失策をしてしまいました。
 ここからは、政治と少子化と平和の問題に関連します。安倍総理は、集団的自衛権を内閣で決定しようとしています。また憲法も変えて、戦争に備えなければとの危機感をあおっております。そこで私は、はたと考えました。若い人たちが自分のこととして捉えたらどうなのだろうか?自分たちが結婚をして、子供たちを戦争に喜んで送り出すことができるだろうか?他国からの侵略には、戦って国を守らなければならないことはわかります。しかし、そのために、あなたの息子さんを送り出すことができますか?70年前の時代でしたら、お国のために、天皇陛下のために、生めよ、増やせよ、との大号令のもとに、多産の時代がありました。私の兄弟は9人でした。そのような家庭は1940年代には多く見られました。しかし、現代は自分の子供を戦争には送りたくない、そのためには子供を生まないことが最も良いことだと考えるのではないかと思うのです。全くいないわけではありませんが、私たちは過去の歴史から多くのことを学んでいますから、どうしたら、生活と命を守るか?それは熟考すればわかることです。自衛隊も、日本には25万人いるといわれていますが、戦争の危険があると思えば、自ら自衛隊に入る人も減少するのではないかと思うのです。インターネットを開くと、匿名を希望に、自衛隊員の意見が掲載されていました。それによると、「自分は自衛隊員だから、戦争になれば任務だと思って戦います。」というのもあれば、「自衛隊員ですが、災難救助は喜んでやります。でも、人を殺す戦争には行きたくありません。訓練で、人間の人形を撃つだけで心が痛みます。戦争は反対です。勝手に自分たちを戦争に行かせて欲しくない。」などの意見がありました。
 今回の集団的自衛権などは、憲法改正が難しいと思うやいなやの、ごりおしとしか思えません。憲法よりも、内閣の決定が優先するなどということは、前代未聞です。しかし、空気は恐ろしいというしかありません。学者の中にも、安倍総理を支持する人もかなりいるのです。憲法を改正するというのならば、国民の良識に任せて、それを公約にして、選挙をやるべきです。特に、20代、30代の人たちには、将来の年金と共に、命と生活がかかっているのです。「誰がやっても変わらないよ。同じだよ。」などと、寝ぼけているわけにはいかないと思います。解釈によっては、徴兵制度導入も可能となります。解釈によっては、何でもできるのです。
 第一次世界大戦は、ヨーロッパでの1発の銃声から始まりました。真珠湾攻撃から第二次世界大戦が始まりました。今回の集団的自衛権は、戦争をやるためのものではなくて、もしものための「抑止」なのだ。もっと国民を信じるべきだ。との社説も読みました。都合の良い時だけ、国民を信じなさい…。これはまともに受け止められません。時には、「原発を止めろなどとは、ヒステリーの連中がいうことだ」といっている。与野党の人たちもいるのです。政治家を信じられなくなったのは、原発問題、国会議員の定数削減、年金問題、TPP問題、どれひとつとっても、本当のことを国民にいわないで、外国に行った時に、本音を話すという、実に不可思議な現象です。
 年金問題から平和問題と変わってしまいました。年金も平和であるがゆえにもらえるものです。一度戦争が始まりましたら、年金などふっとんでしまうと思います。戦後まもなく、銀行が封鎖され、預金をおろすことができない時期もありました。権力の下では、どんなことでも可能になってしまう。人の命も紙1枚でどうにでもなることを忘れたくないものです。私たちの僅かな貯金の利子にも20パーセントの税金が引かれるようになっています。所得税で税金、貯金にも税金、これってダブルの税金ではありませんか?戦争中には、供出の元に、鉄の物が家から消えました。1944年には、犬、猫等が、兵隊さんの手袋、襟巻き、コートに代わったのです。絶対安心、絶対安全はありえないと堅く信じるしかありません。メディアが劣化し、政治が劣化しています。「時の流れに身を任せ」は、テレサテンさんの歌だけにしておきたいと思います。
 トルコでは、炭鉱が大爆発して沢山の人たちが亡くなりました。ナイジェリアの拉致されている276人の中高生の女の子のことも、毎日心配しています。そんなことが、ある晴れた日、突然に私たちの上にやって来ないという保障がないことを、今日も心にとめて生きたいと思います。「青天の霹靂」は、日本にもしばしばやってきているのです。次回は、6月14日です。




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