第16回 栃木愛信会の歴史を辿る




 皆様、こんにちは。8月も残すこと1週間となりました。世界のいたるところで内戦が続き、それらを結び合わせると、第3次世界大戦になりかねないような雰囲気です。日本もその中に入ろうとしているのではないかとさえ思ってしまうのは、私だけでしょうか。
 今回は、私の身の回りで起きている出来事について、書くことにします。「我が人生旅日記」、「もみじの人生日記」でも、しばしば書きましたが、栃木県立盲学校の同窓生を中心に活動している、愛信会の歴史の歩みについて、転機を迎えましたので、そのことについて書きます。
 愛信会は、1949年に栃木盲学校の教師として赴任された、鈴木彪平先生の働きによって誕生しました。詳しくは、我が人生旅日記の第40回をご一読いただけましたら感謝です。先生は、49年に、私たちの盲学校の英語の教師として来られました。54年から56年までの2年間、アメリカのフルブライト留学生として、単身留学をされましたが、76年の3月に退職されるまでの27年間、栃木盲学校で、当時としてはまれな事例として全盲の英語の教師でした。そして、私たちに大きな影響を与えてくださいました。自宅を開放して毎週土曜日の午後、バイブルクラスといって、聖書を生徒たちに伝えました。先生から導かれ、宇都宮市にある、四条町教会に出席して、洗礼を受けた教え子は40人にもなりました。その教え子たちが自主的にグループを立ち上げたのは、1951年のことで、今年で63年になります。当時このようなバイブルクラスは、栃木盲学校だけに限らず、全国の盲学校に沢山存在しました。
 これには幾つかの理由が挙げられるかと思います。それらを私が全て理解しているわけではありませんが、明治以後の日本の盲人の教育と福祉には、キリスト教が大きな役割を果たしています。そのため、日本各地にキリスト教を土台とした盲学校が作られたり、熱心な盲人クリスチャンが始めた盲学校がたくさんありました。その殆どは現在は県立になっていますが、横浜訓盲学院は今もミッションスクールとして存在しています。この学校はドレーパー宣教師の夫人が創設した盲学校でした。また、福祉の分野でも日本を代表する施設はクリスチャンが創設したものが殆どです。例えば、日本点字図書館、大阪ライトハウス、東京光の家、熊本ライトハウス、東京世田谷区にある鍼科学研究所(信愛福祉協会)等があります。そのような歴史があって、戦後の盲学校では、クリスチャンの教師がたくさんいて、それぞれの盲学校でバイブルクラスが盛んでした。鈴木彪平先生がリーダーとなって盲学校のクリスチャン教師の会もありました。ですから、鈴木先生が、バイブルクラスを始めても、学校の中から止めさせようという動きはありませんでした。むしろ、生徒の中には、鈴木先生の働きに対して批判をする生徒がいました。その筆頭が、小森貞二さんでした。ところが数年後、小森さんも教会に行くようになって、洗礼を受けたのですから、人生は人との出会いによって変わるものです。
 そのような背景があり、先生の家でのバイブルクラスは25年間続きました。1960年頃から、盲学校を卒業した人たちの間から、「同じ信仰を持つ人たちが集まって、人生を語り、互いに祈りあえるような家が欲しいね。」という話し合いがなされて、愛信ホームを持ちたいという願いがおこされました。60年から78年までの18年間、当時の愛信会の青年たちは、給料の中から献金をしたり、教会の皆さんに募金をお願いをしました。また小森さんが、桜美林短大の助教授になっていましたので、色々なルートから、明治大学マンドリン部によるチャリティーコンサート、東京電気大学によるコンサート、本田路津子さんとトップギャランによるチャリティーコンサート等、皆で力を合わせての資金作りに奔走しました。思いがけないところでは、TBSラジオの朝の番組から、10万円をいただくという嬉しいこともありました。私たちの祈りと多くの人たちの協力とお支えをいただいて、ついに、1979年の5月3日に現在宇都宮市になっていますが、白沢町に57坪の土地を取得し、鈴木先生の多額の献金を基に、32坪の平屋建ての家を建てることができました。
 このように、教師と教え子たちが1つになって、1件の家を建てるということは、日本でも珍しいことと思います。それから、こんにちに至るまでの35年間、愛信ホームでは、会の活動ばかりではなくて、様々な目的のために使われました。そのようにして、79年にオープンした栃木愛信ホームは、会員の交わりだけではなくて、多くの目的にも利用されました。栃木YMCAの職員が3ヶ月ホームに宿泊したこと、日本に来た留学生が、盲学校の理療科の学習をする時に、週末は愛信ホームに宿泊をしました。また、盲学校の高校生と一般高校生の宿泊キャンプ、四条町教会学校のキャンプにも使っていただいたこともありました。YMCAでは、86年よりフィリピンのタラ村との交流キャンプが開始されましたが、その事前打ち合わせのために、愛信ホームには20人を超える人たちが宿泊しての事前研修会も行われました。とても懐かしい思い出となっています。
 さらに、元盲学校の理療科の教師の福本ご夫妻が、愛信ホームを利用して、83年から毎週日曜日の朝、地元・河内町の子どもと成人に福音を宣べ伝えるために、礼拝を30年に渡って活動していただいたことは、愛信ホームにとって大きな喜びであり感謝でした。ところが、鈴木先生は、ホームが出来て僅か2年もたたない80年12月23日に、心筋梗塞のために突然召天してしまいました。しかも、鈴木先生の社会における業績が認められて、読売新聞から福祉賞を受賞するという、喜びの最中の出来事でした。悲しみのどん底にあった私たちでしたが、助け合い支えあって会の活動を続けていく決心を新たにしました。
 ホームができて、今年で35年になりました。建物が老朽化し、私たちの友人たちの中から、この10年の間に10数人が亡くなってしまいました。また、同様に私たちも高齢化を向かえました。そこへ、関東バスも、かつては1時間に4本走っていましたが、今では1時間に1本走る時もありますが、日中は2時間に1本となりました。そのような出来事が続き、私たちは、愛信ホームを閉鎖する決心をしました。
 6月23日・月曜日、私たち27人、マイクロバスをチャーターして、北山霊園に向かいました。恩師・鈴木先生が眠る、墓前にて、長年大阪の寝屋川で牧師をしていた、亀山光男さんの司式によって、礼拝をしました。亀山さんは、鈴木先生によって信仰に導かれ、関東学院の神学部に進学し、大阪寝屋川バプテスト教会で45年間牧師になった方です。その後、私たちは愛信ホームに向かい、昼食をとり、午後は「思い出の愛信ホーム」について語り合いました。そして、閉会礼拝は、やはり私たちの大先輩で、45年間、東京練馬区にある、ホーリネス教会で牧師をしていた、小林猛さんの司式によってのメッセージによって、ホームの閉所を迎えました。物事には始りがあるように終わりもあります。10名を超える人たちが先に旅立ちました。ホームの目的も立派にはたしたことと思います。しかし、これで、終わったわけではありません。ホームは愛信会のものですから、このままでは空き家になってしまいます。7月に入ってから、私たち会の役員がホームに足を運び、これまで使っていたものを処分しなければなりません。一つ一つには思い出があります。個人の家とは違い、10人が宿泊できる建物ですから、食器をはじめとして、多くのものがありました。私たちは、日にちを決めて、何度となく、ホームに出向き、車を利用して運び出しました。椅子、テーブル、布団、その他もろもろです。冷蔵庫と洗濯機は、自立支援センターが引き取ってくださいました。最後は、NPO法人「しごとや」という所の人たちが定額で運び出してくださいました。そして、7月28日には、あれほど沢山あった荷物が、ガランとした建物になりました。新しい家を建て上げる喜びを知っている私たちにとりましては、絶えられないような寂しさです。しかし、できるときにやらなければならないのも現実の問題だと痛感しました。8月からは、この建物を不動産屋と契約して、解体しなければなりません。その後、新地にしての売却があります。
 いずれにしても、このホームとはお別れをして、私たちの愛信会は、新たな第2の出発をすることになります。現在も愛信会には、家族会員として、30人がいます。鈴木先生が育て上げたこの愛信会を、これからも、強い信仰の絆によって、共に歩んで生きたいと願っております。私は、6年前に、一度我が家を解体・売却して、現在のところに引越しをいたしました。長年住んでいた家がなくなるのは実に寂しいことです。このような経験をしている方も沢山いらっしゃることと思います。
 1973年に、栃木県立盲学校が、8キロ程西の福岡町へ引っ越しました。その時、私は大学生でしたが、新しい盲学校で、仕事を始めた時に、喜びと共に、かつて駒生町での古くはありましたが、懐かしい盲学校のことを思い出して複雑な心境になりました。現在、住んでいる所が、駒生町の元盲学校から歩いて10分のところにいますから、私は幸せなのだと思います。世の移り変わりを目の当たりに見ることができます。
 栃木愛信会は、家を手放しますが、仲間との活動は、身軽になって今後も深い友情と信仰を持って地上での旅路を歩みたいと願っております。その旅を終えたならば、私たちは天国での再開を楽しみにしているのです。
 35年前の79年という年は私にとりましては、忘れられない時でした。その年に結婚をしました。そして愛信ホームの開所式を迎えたのでした。巷では、キャンディーズの「春一番」が大ヒットしていた年でもありました。
 次回は、9月13日です。秋本番となります。



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