第19回 懐かしの歌謡コンサート




 皆様、こんにちは。お元気で10月をお迎えのことと思います。今年も残すところ3ヶ月となりました。8月から9月にかけて、ゲリラ豪雨によって、広島県では土砂崩れで74人の尊い命が奪われました。
 また、9月27日には長野県御嶽山が、大爆発をして、60人におよぶ人たちが一瞬にして命を奪われました。「想定外」と、よく聞きますが、想定外は想定内と覚悟をしなければならない事件が次々と起きています。幼い子どもが、誘拐されて命を奪われるニュース程、悲しいニュースはありません。1年間に90件におよぶ誘拐事件が起きているのですから、保護者は、命がけで幼児を守る覚悟が必要かと思います。台風も18号が月曜日からやって来ました。19号も心配です。来週は、プロ野球の「クライマックス」です。楽しみがやって来ます。
 さて、今回は去る6月27日に、10年振りに楽しんできた、歌謡歌手のコンサートについての感想を書くことにします。
 その日、私は知人に声をかけていただき、宇都宮市文化会館で催された、歌謡コンサートに行くチャンスが与えられました。最も強く感じたことは、プロの歌手として生活して生きていくことの難しさを改めて教えられたことでした。
 第1部は、俳優で有名な松方弘樹と浅丘ルリ子を中心にした舞台劇が披露されました。松方弘樹といえば、映画で有名な人ですが、現在は70歳を超えているとのことでした。織田信長と、斎藤道三の対面をモチーフにした物語で、名演技でした。およそ1時間の芝居でしたが、私の好きな戦国時代の話なので良く理解もできましたし、S席でもあって、ステージでの動きも手に取るように知ることができました。
 30分の休憩後、歌謡歌手たちの合同出演でした。このグループは、松方弘樹一座で、全国を回っての、いわば営業といえます。宇都宮で64回目と言っておりました。現在は、CDの売り上げも落ち込み、テレビやラジオでの歌番組も激減しているので、このように、営業をしないと生活が成り立たないことが良く分かりました。
 まず最初に登場したのは、「あずさ2号」で有名な狩人でした。1曲だけ大ヒットした歌手は、このようにチームを組んでの巡業なのですね。狩人は、兄弟で、1977年にデビューしました。してその最初の曲が、あずさ2号でした。その後、コスモス街道という歌も出ましたが、次第にヒットしなくなり、兄弟が袂を分かっての解散をして、単独で活動をしましたが、やはり飛ばず、売れずということで、5年前から再び活動を開始しました。「あずさ2号」は、とても良い歌で、二人の声も昔とほとんど変わっていませんでした。37年前の我が青春時代にプレイバックでした。この歌が終わると、私が経験したことがない現象が起こりました。それは、狩人のファンから、花束の他に、幾つかのお土産が舞台へと運ばれました。お菓子、餃子などと聞きました。人気歌手の場合は、このようなものは、楽屋の方に持って行くと聞いていますが、珍しい光景でした。
 2番手は、私の全く知らない女性歌手でしたが、場を繋ぐということ、名前を知ってもらうということかと思いますが、1曲だけ歌って退場しました。
 そして、次に登場したのは、1972年に「雨」でデビューして、大ヒット、レコード大賞新人賞となった、三善英史でした。彼は1954年、生まれですので、今年60歳になります。18歳の時に脚光を浴び、その後、多少ヒット曲はありましたが、テレビ番組では、タレントとして出てくるようになりました。ヒット曲が1曲あれば芸能界では生きていくことができるといわれますが、やはり厳しいものと思います。それでも、彼はNHKの「のど自慢」などのゲストとして時々聞くことがあります。その日は、「雨」を含めて2曲歌いました。持ち時間は10分と思いますが、母親を介護しての苦労話が話の中心でした。
 さて、その次は私のかつてのお気に入りの「チェリッシュ」でした。ご存知の方も多いかと思いますが、70年頃にデビューし「テントウ虫のサンバ」、「白いギター」等でヒットしました。男性は、影で支えるような歌声でしたが、その日も同じ雰囲気でした。二人は結婚をして、35年を過ぎ、孫もいると話していました。幸せな夫婦です。「24時間、生活と仕事をするというのは大変なことですよ」と、ユーモアを交えての話と歌の10分間でした。
 そういえば、70年代には、男女ペアの歌手が次々と誕生しました。ヒデとロザンナ、トアエモア、ダ・カーポ等が、ヒット曲を出しました。そして、彼らの多くが無事ゴールインしました。ヒデは、癌のために亡くなり、ロザンナの悲しみと悲嘆は筆舌に尽くせないものがあったと聞いています。その後立ち直り、テレビのタレントとして、出ていましたが、最近は声を聞いておりません。
 そして、松方弘樹が再登場して、全国行脚の苦労話をし、歌を歌いながら、舞台を降りて、観客の大多数である女性たちと握手をして回りました。その時間は約20分程度だったかと思います。
 最後は、小林旭と浅丘ルリ子でした。小林旭は77歳になり、美人女優と言われている浅丘ルリ子も、現在は74歳になっています。二人の声は年齢を感じさせない程の若さとパワーに満ちていました。インターネットで調べると、小林旭は、身長180センチ、体重90キロとありますから、堂々とした体格であることが分かりました。38年11月3日生まれなので、実際は今年で76歳になりますが、本人が77歳と言うのですから、数えてということになりますね。60年代は、映画の帝王でした。浅丘ルリ子も同じ頃、女優としては、トップランナーだったと思います。この二人は当時日活の大スターでした。小林旭は、70年代になってから、映画が下火になると、演歌歌手として、「昔の名前で出ています」、「熱き心に」なとのヒット曲が多数でました。その日も、ヒット曲を歌って私たちを喜ばせてくれました。
 浅丘ルリ子は、1940年に生まれています。身長159センチ、体重35キロとネットにはありました。そこで、小林旭が以下のようなことを話しました。「確か60年頃のことだけど、僕とルリちゃんが一緒にロケーションするために、全国を回りました。でも、ルリちゃんは、手も握らせてくれなかったね(会場から笑い声)。あれは、宮崎県の山奥でのロケーションの時、道がデコボコで、夕方になっていました。車が行く先々には、人の山また山。そして、細い山道の途中で、車が故障してしまいました。その時、ファンの多くが車を取り囲み、恐ろしくなりました。ルリちゃんは、19か20歳だったかと思うけど震えていたね。そのうちに、バリバリという音がしたかと思うと、車のフロントガラスが割れてしまったんだよね。やがて、白バイとパトカーがやってきて、僕たちは警察署に連れて行かれた。何も悪いことをした覚えはないのに、いったい何事かと思ったよ。すると、警察の所長さんが出てきて、旭さん、今日は大変な思いをさせて申し訳ありませんてした。まあ、ゆっくりお茶でも飲んでくださいと言ったんだよね。まあ、それはありがたいと想っていたら、目の前に、1冊の本が置かれた。なんだろうかと見ると、なんと二人のサインをして欲しいという、色紙の山だった(笑)。あれには本当にまいったね。ルリちゃんは、人気絶頂だった。僕なんか相手にしてくれなかったからね。これに対して浅丘「そんなことはありませんよ。」、小林「あんなに沢山の映画を作ったのに、ラブシーンは、一つもなかったからね。石原裕次郎が羨ましかったよ。こうして手を握れるのも今だからできることなんだ……」。というような、エピソードが語られました。とにかく、小林旭は76歳とは思えないパワフルなステージでした。
 実は今回、インターネットで、二人のことを調べてみました。すると、小林旭と浅丘ルリ子は、映画ではラブシーンのような場面はなかったが、連続する日活映画の時に、自立結婚というべき私生活を送っていたとありました。私はこれを知って驚きました。舞台の上の会話と降りた時の生活は全く違うのですね。これって、どちらが真実なのでしょうか?おそらくどちらも真実なのではないでしょうか。さすが、大スター!舞台の上では二人とも名演技をして、観客を楽しませてくれていたと思わずにはいられません。
 皆様、良くご存知かと想いますが、小林旭は、62年に美空ひばりと短期間でしたが結婚をしました。浅丘ルリ子は、71年から2000年までの29年間、石坂浩二と結婚をして、離婚となりました。まさに人生山あり、谷ありのドラマですね。
 そして、現在はどうなっているか?若き日の二人が、リセットして、楽しくパフォーマンスをしているのではないかと思います。懐かしいコンサートから、今まで知らなかった世界を見たような気がしております(全文継承略)。
 最後に今回の感想を書きます。ひとつは、観客の大多数、おそらく80%が60代、70代の女性だったと思います。それは、コンサートに限らず、文化講演会、ボランティア研修会等でも同様です。レストランでも元気な声は、女性たちが圧倒的です。我ら60年代の男性は、家の中で、新聞を読んだり、テレビを見ているのでしょうか?聞くところによると、ゴルフをする人、釣りを楽しむ人、ジムで体を鍛える人が、かなりいると聞きますが男性の多くは、単独行動が多いように感じました。
 もうひとつは、女性たちが多いので、休憩時間に、トイレに行くのが大変だといいます。それはそうでしょうね。長蛇の列てす。それに比べて男性のトイレは比較的閑散としています。セクハラも何もなく、「失礼します」と言って、男性のトイレに入るオバさま方もいると聞いています。男性が女子トイレに入ったら、警察に捕まりますが、女性が男子トイレに入っても許されますね。そこは、やむをえないことかと思います。女性のためのトイレを、3倍位作れば良いと思います。野球場も女性のトイレが込み合って大変だと聞いています。
 私たち男性シニアも、仲間意識をもって行かないと、寂しい老年となってしまいます。golden yearsというのですから、お金を使わなくても、楽しい仲間作りと活動をしたいものです。そういう意味では、日曜日の教会での交わりは、とても貴重で感謝な時だと改めて痛感しました。
 次回は、10月25日にお会いしたいと思います。季節の変わり目です。風邪に注意しましょう。




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