第2回 景気と病気
まず、前回のクイズのことについて書きます。ある病院で看板を出したら、次の日から患者がピタリと来なくなりました。さて、その看板には何と書かれていたのでしょうか?
答えは、「ちゅうしゃ きんし」でした。
先日ラジオを聞いていましたら、ある評論家が、「景気の気は、気持ちの気ですから、今年の景気も気持ちがどうなるかですね」とのおもしろいコメントがありました。そこで私は、ふと、病気の気も、気持ち次第か?と考えました。そのような訳で、今回は、今年の日本の景気がどうなるかについて、私の40年の経済の歴史を辿っての、経験的経済予測を立てたいと思います。外れてもペナルティーはお許しください。皆様もこの際、阿部のミックスの言っていることが当たるか外れるか予想を立ててみませんか。
話は今から37年前の1976年になります。私が、盲学校の教員として働き始めた頃から、先輩の先生方の職員室でのお話を聞いていました。すると、「土地だけは絶対に上がることはあっても下がることは無いから、買うならば早ければ早い方がいいんだな」との言葉を聞きました。その頃、土地に対する絶対的信頼がありました。神話とも言っても良いでしょう。丁度、2年前の電力会社の原発と同じように「絶対的神話」でした。私は、3年間実家のある、宇都宮市今泉新町から盲学校に通いながら、必死になって貯金をしました。3年後の、1979年に結婚をしました。盲学校に通勤しながら、家賃を支払うつもりで土地を買って家を立てられないものかと願っておりました。そんな折も折、1980年に、私たちの住んでいる駒生町から歩いて数分の所に、土地売却のアドバルーンが上がっていました。妻と私は早速、現地調査に行きました。南面道路の良い土地はすでに売却済でした。14区画の売却でしたが、数箇所まだ売り地がありました。これまで貯金をした額は3百万円でした。それで家を求めることは不可能に近いものがありました。しかし、若いうちには苦労をしても、お粥をすすっても何とかなるものだと思って走り始めました。結局、願いは叶いました、住宅金融公庫共済組合、足利銀行から1200万円を借りたのです。利息は、住金は5.5パーセントでしたが、足利銀行は8%を超えていました。今から思えば、父親に3%くらいで頼めば、借りられるかと思いましたが、ここまで世話になったのだから、親には迷惑をかけたくないとの気持ちが強かったかと思います。80年の11月3日に、鈴木先生ご夫妻に来ていただいての、ささやかな感謝の食事会をもつことができました。鈴木先生は、「阿久津君は、まだ28歳だろう。早すぎるね。無理をしないようにね!」との、アドバイスをいただきました。ところが、その年の12月23日に、先生は突然天国へ旅立ってしまいましたのですから、ことにはタイミングがあるのだと感じないではいられません。私たちが土地を購入したのは、一坪14万5千円でしたが、50坪を買うのがやっとでした。駐車場っのことは、軽自動車が1台停まれば良いか程度のスペースでした。これが後になって、大きな失敗であることが分かりました。家の方は、24.5坪で、一坪の単価は、29万円でした。総額、1500万円でした。そのうち、手元にあったのが、300万円ですから無謀と言えば無謀でしたね。
その頃はインフレの時でしたから、給料が上がることを、計算していたと思います。土地は絶対に下がらない、インフレだから給料は必ず上がるとの言葉を確信していました。確かにそれからの12年間は、毎年物価は上がり、土地もグングンと上がり続けました。給料もぞれに呼応して上がって行きました。92年までの12年間は夢のようでした。12月の年末には、人事院勧告に従ってのベースアップがあり、4月から12月までの給料の上がった分を受け取ることができました時には、1月、受け取る給料の70パーセントの時もありました。私たちが取得した宝木町1丁目は、80年度を境にグングン、バブルとなって上がりました。90年に、我が家から歩いて3分のところで売り出された住宅の値段は、何と、45坪の土地と家で5千万円になっていました。「こんなに高い家を買う人はいないよね。」と、妻と私は話していました。10年間でほぼ4倍になってしまっていたのでした。ところが、お金持ちはいるもので、その売り地も、6区画ありましたが、売り尽くしました。私は興味半分で、90年頃に住宅会社に、「今、我が家を売却したらいくらになりますか。」と、聞いてみましたら、坪単価40万円と言われました。「ああ、あの時に買っていておいて良かったね!」というのが夫婦での会話でした。
ところが91年頃からバブルが弾けました。これまで上がり続けていた株が、あれよあれよと言う間に下がり始めました。私は株には全く関わりを持ちませんでしたが、ニュースは聞いていました。当時民営化されたNTTの株がバブルの時には、上がる上がる、1株が119万円だったのが、記憶では318万円まで上がりました。「ああ、自分も借金をしてでも良いから買っておけば良かったなあ」などと、つぶやいたこともありました。良い話には飛びつきたいものです。そのNTTの株も、バブルが弾けると下がり始めました。現在いくらなのか分かりませんが、318万円の株を大切に持っている人はいないかと思いますが、タレントが「記念になるから壁に貼ってありますよ」と聞いたことがあります。株式も最高値を付けたのは、1989年12月29日で、3万8915円87銭でした。有名な経済学者は、5万円までは間違いなし等とラジオで豪語していました。この株価暴落を始めとして、92年から物価が急速に下がり、デフレが始まりました。円が強くなり、円高ドル安が止まるところを知りません。輸入の恩恵を受けて、98年には、ガソリンの値段が、リッター85円という時もありました。
その頃、確か93年頃と思いますが、本県選出の経済企画庁長官が「経済は底から横ばいとなり、これから景気が回復する」と言いました。また一昨年の暮れには、野田総理が「福島原発は終息しました。」という発言がありました。実に無責任な発言でしたね。来年度の教科書には、放射能漏れという言葉が、削除されるという噂を聞いていますが、事実を歪曲してはなりません。八重の桜ではありませんが、「ならぬはならぬ」です。嘘を書いてはならぬ!と、思います。
バブルが弾けて20年が過ぎました。この間、土地の値段も下がり続けています。神話は神話で終わりました。足利銀行も倒産し、関東バスも倒産しました。私の友人の一人は、足利銀行で働いていましたが、退職後も2千株を持っていました。気がついたら倒産となり、手元には2千円しか戻って来なかったとのこと、退職する時に売っておけば…とのため息をついていました。
我が家も駐車場が無いために、親戚の人や友人が車で来ても、車を停める場所が無くなりました。路駐をすると、隣の家の人が車を出すたびに、ピーピーとならされました。退職を5年前にした時、私たちは、土地を売却して、近くに売り地が出ているのをチャンスと思って、2度目のチャレンジに飛び込みました。1坪22万5千円でした。車を3台は停めたいと思って、60坪を買いました。前回と同じように多額の借金をしました。最終的に返済は、私の退職金でした。
2007年の暮れに土地を購入し、08年の3月には、住宅を建てることができました。ところが、今まで住んでいた中古住宅がなかなか売れません。新聞広告料は無料です。候補者は何人かいましたが、28年住んでいた家は、駐車場のこともあり、売却が難しいのですね。そこで、やむなく、新しい家に引越しをしてから、家を解体して「更地」にして改めて新聞広告を出しました。4月からの広告でしたが、9月1日になって、やっと買い手が見つかりました。業者の人と話をしましたところ、「阿久津さん、買いたいという人がいれば売った方が良いですよ。その後の保証は全くありませんからね。」との助言でした。結局私たちが契約をしたのは、1坪当たり18万円でした。それが良かったのです。9月15日に、アメリカのリーマンブラザーズが、64兆円の負債を抱えて破綻してしまいました。それ以来、土地は今日まで下落を続けています。今ならば、14万円くらいになっているかも知れません。
ここまでが私の経済的体験です。もう20年余に渡り、不景気が続き、デフレが止まるところを知りません。阿部総理は、2%のインフレを測り、経済の成長を測りたいというのです。それならば、2%の給料もアップしないと、国民の給料はこのままどころか、消費税は来年から8パーセントに上がります。もうすでに今月から、東日本被災復興税が、2.1パーセントアップされ、来年の6月から住民税も上がります。昨年の経済成長率はマイナスになると思います。ですから、東日本の復旧のための投資や、消費税が上がる前の住宅建設のためにかけこみ乗車を含めても、インフレは、プラス0.5パーセントないし1%が良いところでは無いかと思うのが私の素人予測です。
不景気のことを、英語でdepression(デプレッション)と言います。これは、心が落ち込んでいる時、うつ的な時を言います。景気と病気は関係があるのですね。景気が良くなるのはOKですが、会社が内部に溜め込む、内部留保ではなくて、社員に給料を上げて欲しいです。それと同時に病気にならずに、元気・陽気・やる気で生きたいですね。
★メモ★
不景気とアイドル歌手のヒットは関係があるようです。ここ20年間でヒットしたアイドル歌手は、AKB48、モーニング娘、おニャン子クラブ、浜崎あゆみ、安室奈美恵、男性ではスマップ、嵐、エグザイル等です。
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