第9回 認知症について




 2月もいよいよ来週で終わります。今年の冬は、厳しく長い冬でした。12月1日に雪が降ったので、とても分かりやすい冬の開幕でした。さて、なごり雪は、何時になることでしょうか。10年程前には、4月になって、桜の花見の頃に雪が降ったこともありました。今週の23日と24日は鍼灸師、あん摩マッサージ指圧師の国家試験ですね。1年に一度の試験。盲学校の皆様には、体調を整えて是非必勝をされることをお祈りいたします。
 ところで、高齢化社会を向かえ、認知症になっている人は、今や3百万人を超えると言われています。昔は、無趣味で頑固な人がなりやすいと言われていました。警察官や教員等、特に気をつけなければならないと聞きました。しかしこれも循環器障害から来るものと、アルツハイマーからなるもの、その他、精神的ショック等、様々な原因が挙げられます。私の母・義母も、最後は認知症で、それぞれ93歳で天国へ旅立ちました。平均寿命では、女性が世界1、男性が世界3位と言われています。かつて、ロナルド・レーガン、アメリカ大統領が、認知症になった時に、自分が認知症になったことを公表し、世界の人たちに「私は、みなさんのことを忘れますが、皆さんは、私のことを忘れないでいただければ、こんなに嬉しいことはありません」と、言ったことを思い出します。
 さて、今回は、松川先生のホームページから引用させていただき、皆様と共に、認知症について考えたいと想います。
 湘南長寿園病院の院長であられるフレディ松川先生の著書「ここまでわかったボケる人ボケない人」の最後にフレディの遺書として「私を介護してくれるあなたへのメッセージ」というのがあります。長文ですが紹介させていただきます。
 フレディの遺言(http://website.infomity.net/c0002264/link_4020.html)
 「もし私が、痴呆症老人になったら、その時、私を介護してくれるあなたに、次のようなことをお願いしておきたいと思います。これらのお願いは、決して難しいことでもなければ、あなたを精神的にあるいは金銭的に苦しめるものでもありません。ほんのささやかなお願いですので、ぜひ聞き届けてください。どうぞよろしくお願いいたします。
 私が医者であったことをまず忘れてください。知識は遠いかなたへ消え去り、今では人の助けなしには一日も暮らせない別の人間になってしまっているのです。そんな私にあなたは静かに話かけてくださいね。決して大きな声で私に話さないでください。あなたが大きな声で話すと、たとえあなたが怒っていなくても、私はあなたになんだかとても強く叱られたように感じて怖くなってしまいます。本来、やさしいと思っていたあなたに、「えっ、なに!おじいちゃん」「なにやってるのよ!」などといわれるたびに、私は恐怖におののくのです。あなたが何か、わたしにさせたいのであれば、静かにゆっくりと話してください。また私は変なことを言うかもしれません。たとえば「蛇がいる」と私が言ったら、「何を言ってるの、蛇なんかいないわよ!」と大声で言うのではなく、「どうしたの?蛇はどこにいるの?」「どうしたいの」「じゃあ、蛇をどかせましょうね」とやさしく尋ね、そして、私が何を要求しても、その要求をまず受け入れてほしいのです。私が「ごはん、まだか」と聞いた時も、「さっき、食べたでしょう!」と大声で叱るのではなく、「おなかが空いたの?じゃこれ食べる?」といって、クッキーの一枚でも私に与えて下さいね。三度の食事のたびに、箸をうまく使えなくなり、食事をこぼしたりします。ですから、指を使ってたべることもあるかもしれません。その時は、無理に箸を使わせようとせず、そのまま自由に食べさせて下さいね。また、疲れてバジャマに着替えることもなく、そのままの姿で寝てしまうかもしれません。布団の上で寝ないこともあるかもしれません。その時も、布団をそっとかけてくれるだけでいいのです。
 あなたを悩ますことの一つに、私はあなたに「家に帰りたい」と言うに違いありません。その時の私の心の中は、とても不安定な状態にあるのです。ですから、私が「家に帰りたい」と言ったら、家に帰る帰れないと言う問題ではなく、まず私が不安を抱えているということをわかってください。そしてしばしば、私は自分の感情のコントロールがうまくできません。ですから、大変に気難しくなって、その日の気分によって、意地悪なことをあなたに言ってしまうかもしれません。また、あなたの気に入らない事をするかもしれません。実はそのときの私の気分は最悪で、私自身もその気分が嫌で嫌でしかたがないのです。でもどうしようもできない。そこで、ついあなたの言うことに反発したり、意地悪をしてみたりしてしまうのです。そんな私の心の内を理解してください。その理解がボケた老人には一番必要なものなのです。
 そして私の病気の最大特徴は、とても忘れっぽくなっていることです。あなたが何度、怒っても、なんで怒られているのか忘れてしまいますし、あなたが怒ったこと自体も忘れてしまいます。ですから、あなたが怒ったこと、大声を出したことを「なんで、あんなに怒ってしまったのだろう」などといつまでも後悔しないで下さいね。私は、とうに、そんな事も忘れているのですから。もちろん、忘れっぽいために、水道を出しっぱなしにしてしまったり、火の始末もできなくなってしまいます。ですから、そういうことを私ひとりでさせないで下さい。できれば、一緒にやってくれたら、こんな安心なことはありません。私を、正常だった時と同じ人間だと思わないで下さい。私は何をやっても忘れるという病気なのだ、ということを決して忘れないでください。困ったことに、いま目の前にいる人が誰だかわからなくなります。でも、誰だかわからなくても、私は、私の目をしっかりと見て優しい声で話しかけてくれる人が大好きです。私は、その人が誰であれそういう人の言うことを聞こうとします。
 私に何かさせたかったら、ひとつずつさせてください。短い言葉で「ごはんよ」と優しく言うだけでいいのです。また、私が何かあなたに尋ねたら、やはりひとつずつ短く答えてください。長い説明をされても、私にはそれを覚える事ができないからです。私に何か話しかけようと思ったら、私を見て、私の体にふれながら、微笑みながら話してくださいね。私の心がさびしい時、私は自分が育った時代、青春時代の音楽をとても聞きたくなります。それが何という曲だったかは、思いだせませんが、ただ介護してくれるあなたと、その音楽を一緒に聴いたり、歌ったりしたいと思っています。私の知性は、確かに衰えています。だから感性にたよって生きていかなくてはなりません。その分、感性は磨かれているかもしれません。ですから、音楽以外でも、美しい夕焼けをみるとか、おいしい食事をするとかということをとても愛おしく思っています。ひょっとしたら、正常だった時よりももっと感性は鋭くなっているかもしれないのです。
 私に懐かしい音楽を聞かせてください。美しい風景を見せてください。素敵な匂いを嗅がせてください。着心地のいい洋服に身をつつみ、おいしい食事を味わわせて下さい。
 私が痴呆症老人になった時、私は優しい人に囲まれて、残りの人生をごく自然に過ごしたいと思っています。ですから、たとえアリババと40人の盗賊に囲まれたとしても、私は盗賊の中でも、一番優しそうな人のそばにいたいのです。
 どうか、私を介護してくれるあなたが、「ボケた心」を理解している優しい人であることを祈っています。




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