第13回 九州への旅




 今年の3月17日は、日曜日になります。実は、妻と私の結婚記念日が3月17日です。今年で34回を迎えます。人生、山あり谷あり。「上り坂・下り坂・真っ逆さま」もありましたが、今回は春を迎えての新婚旅行の思い出を書くことにしました。
 1979年3月17日(土曜日)私たちは、日本キリスト教団四条町教会で結婚式をしました。野本牧師からは、その前に「けんかシーシー50年、まあ、仲良くやってください。」との、励ましとアドバイスをいただきましたが、正にその34年間でした。50年ともに元気ならば良いのですが、人生「俺たちには明日はない」かも知れません。今日、そして今を大切に過ごしたいと願っております。
 3月18日(日)、私たちは、教会での礼拝を終えてから九州へ向かって出発しました。羽田空港から大分空港へ向かいました。4泊5日の旅行でしたが、移動はすべてタクシー借り上げにしました。タクシーはホテルに行く前に、みやげ物売り場に向かいました。大分県は温泉と竹で有名だそうです。その土産物売り場で、私たちは幾つか珍しい物を選らんで、自宅に郵送してもらうようにしました。
 19日(月)、その日は、別府温泉の見学でした。地獄谷といわれる所があり、足元からグツグツという音と共に、強烈な硫黄の臭いが鼻をつきました。それがあちこちにあるのです。そんなところに落ちたら、生きて帰ることはできないと恐ろしさを感じました。。地熱で、湯で卵を売っていたので、一つ食べました。
 次は、有名な猿山の見学です。数百等のサルたちが山で生活をしていると聞きました。襲われないかと私はおっかなビックリで、山を歩きましたが、遠くで、キーキーと泣くサルの声は聞きましたが、猿たちには猿の生活がありますので、私たちには興味を示すことはありませんでした。ご存知のように、猿たちは、ボスを中心に猿軍団を組織して、ボス同士の権力闘争以外は平和に暮らしているようです。「猿は、来るものはこばまず、去るものは追わず」と言ったかどうかは定かではありませんでした。
 次に行ったのは、手で触ることのできる魚の博物館でした。全て特殊な材料で、海にいる魚の実際の形に触れることができました。イヤホンを使えば、それぞれの魚の生態についての特徴の説明付きのとても良い施設でした。たとえば、マグロ・スズキ・ブリ・カツオ等、現物に近い魚の大きさに触れることができて、嬉しくなりました。マグロは刺し身や寿司で口には入りますが、その大きい魚にはなかなか触れることができません。カジキマグロの大きいこと、確か、ヘミングウェイの「老人と海」の魚は、カジキマグロではなかったかと思います。
 次に、大分から、熊本県を目指して車は走りました。まず最初に行ったのは、阿蘇山でした。前年噴火して、新婚旅行の二人が遭遇して亡くなってしまったという実に悲しいニュースを思い出してしまいました。ですから、噴火口までは近づくことができず、足元にころがっていた阿蘇山の石に触れて退散しました。お昼は、熊本で有名な馬刺しを食べました。西欧では馬刺しを食べませんし、私も初めて食べました。やわらかい味がして美味しいと思いましたが、正直、私にはマグロの刺し身が美味しいと感じました。
 さて、熊本の夕べも近づいて来ました。タクシーは、水前寺公園へと向かいました。歌手で有名な水前寺清子さんの出身地です。私は、ここには興味がありました。庭園は広々としており、いたるところから水の音が聞こえていました。ガイドの運転手の話によると、湧き水が豊富で、地元人たちはそれを飲んで、健康の源にしているとの話でした。熊本は、戦国時代には加藤清正が治め、後に、細川家が長い間、藩主として治めました。一つ不思議に思ったのは、水前寺公園には神社があり、加藤清正と細川ガラシャが祭ってあると聞いたのです。加藤清正は、熱心な日蓮宗の門徒と聞いており、細川ガラシャは、明智光秀の娘・おたまで、細川忠興と結婚をしましたが、キリシタンとなりました。そして、関ヶ原の戦いの折に、石田三成に人質となり、焼き殺されたと聞いております。日蓮宗とキリスト教の信徒を神社に祭るとは、本人もさぞかしビックリしているのではないかと思いますし、日本の宗教感の曖昧さに、どうも納得できないのを記憶しております。熊本城は、加藤清正が建てたと聞いておりますが、その石垣のすばらしいことにはビックリしました。うまく説明ができませんが、一つ一つの石垣が、大きい石を重ねての堅牢なお城であることが分かりました。
 熊本県には、公害の発祥地とも言うべき、水俣病があります。今でも、裁判になっているものもあります。タクシーの運転手が、次のようにいいました。「水俣病は確かに酷い。だけど、それが元で、家庭内でのいざこざも耐えないのだよ。保証金がもらえる人ともらえない人の間で、複雑な人間関係があるのだよ。」
との話でした。なんとも切ない話でした。あれから34年、今では、福島原発を巡っての保証に関して、類似したような話があります。原発の距離によっての保証の問題、心は複雑です。その夜は、熊本のホテルに泊まりましたが、そこで働いていた人が、室内で何かをこぼしましたが、その女性、思わず「たまがった!」と、言いました。宇都宮では「たまげた」でしょうか?驚いたという言葉ですが、地元の方言を聞いて嬉しくなりました。
 3月20日(火)、三日目です、タクシーは、熊本から長崎に向かって長いドライブです。5時間くらい乗ったでしょうか。阿蘇山を見ながら島原半島へ車は走りました。熊本では、野焼きといって、広い土地を焼いて草を焼き払い、それが肥料になると聞きました。いたるところから、モクモクと空に向かって煙が立ち上っていました。やはり大高原地帯なのだということが分かりました。野焼きで、虫たちを処理して、新しい草原にするのではないかと思います。島原には、フェリーで行くこともできると聞きましたが、車の中から、海を見ながら、移り行く数々の島を妻は楽しんでいました。私は1639年の、島原の乱のことを思い起こしていました。天草四郎時貞(あまくさしろうときさだ)を中心に、キリスト教禁止令に反抗して、城に立てこもり、徳川幕府と戦ったキリシタンでした。全ての人たちがキリシタンではなかったかも知れません。大阪夏の陣で敗れた浪人、貧困にあえぐ農民たちもいたかも知れませんが、多くはキリシタンが集まり、ゼウス(イエスキリスト)様のために戦い、死んでもハラソ(パラダイス)に行けると確信しての戦い、私ならば逃げ出していたのではないかと思いました。当時の人たちの素朴で純粋な信仰に、私はしばし沈黙の時でした。島原の乱では、3万人が死んだと聞いております。そうこうしている内に、車は長崎県に入りました。夕方にもなっており、観光旅行は4日目ということにしました。
 3月21日(水)、長崎市内の観光ですが、グラバー亭、浦上天主堂、オランダ坂、眼鏡橋等を見学してから、原爆記念館へ行きました。なんと言っても原爆記念館では大きなショックを受けました。写真を見ることができれば、それはさらにリアルな光景が目に入ったことかと思いますが、私にも分かる幾つかの物を触れることができました。一番心に残っているのは、記念館の外に立っている石の柱でした。原爆のために、グニャリと曲がっていました。その時の凄まじさは、その石の柱に触れて全てが分かったような気がしました。後日、ニュースで聞きましたが、1945年の8月9日、米軍は、福岡県の小倉市に原爆を落とす予定でいたそうです。ところが、曇り空のために、いったんは引き返そうかと思ったそうですが、晴れて来たので、軍港の多い長崎に原爆を投下することに変更したと聞きました。人間の罪の深さを痛感し、胸が苦しくなりましたが、やはり行って良かったと思います。その日のお昼は、長崎ちゃんぽんを食堂で食べました。こってりとしていて美味しかったです。さすが地元だと思いました。案内をしてくれた長崎出身のタクシードライバーによると、「長崎市民の半分はキリスト教の人が多いのです。ですから教会も多いのです。」との説明がありました。カトリックの人たちが多いと思います。
 3月22日(木)、私たちは、長崎空港から飛行機に乗って、無事、帰途に着くことができました。九州に行ったのは、その一度だけでしたが、多くのことを学んで来ることができました。
★メモ★
 戦国時代、織田信長は、キリスト教を保護し、宣教師たちとの交流を積極的に進めました。文化を導入し、鉄砲による戦争で、次々と勝利しました。
 豊臣秀吉は、「キリスト教が一夫多妻ならば、わしもキリシタンになっても良いがのう。」と、冗談を言っていたという話もあります。
 当時、人口は3千万人といわれており、その内、宣教師の働きにより農民や女性たち、武士たちの間にもキリスト教が広がり、キリシタンの数は、ピーク時には30万人とも言われています。宣教師たちは、医療と教育で宣教活動を進めました。特に、戦争で無造作にいたるところに死んだままの人たちを、宣教師たちは、一人ひとりを大切にして、墓に葬ったと言われています。宣教師にも、ポルトガルから来た宣教師、スペインから来た宣教師によって、その方法はかなり違っていました。ポルトガルの宣教師は、日本人の文化を尊重し、貧しい生活に順応し、日本の人たちから尊敬されました。差別に苦しむ女性たち、農民たちに広がっていきました。
 著書「クワトロラグッティ」は、戦国時代の様子が詳細に書かれております。その本によると、信長の家来にも、数多くのキリシタンがいました。九州でも、大名たちがキリシタンになり、15人の少年がローマ法王に謁見をしました。しかし、その頃は、日本では、豊臣秀吉によって、さらに徳川家康によってキリスト教禁止令が発布されていました。




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