第15回 イースターに寄せて




 3月もいよいよ今週で終わろうとしています。桜の花も、宇都宮では満開を向かえ、来週には散り始めるのではないかと思います。ところで、キリスト教会では、今週はとても大切な週となっております。29日(金)が、イエス・キリストが十字架に磔られた日、31日が「イースター」(復活祭)の日になっております。そこで今回は、そのことについて書きたいと思います。
 日本では、人口の1パーセントほどにあたる百万人が、クリスチャンと言われております。幼稚園や教会学校、ミッションスクールや大学で聖書を読んだり聞いたりした人は、その10倍を軽く超えていると思いますが、残念ながら、クリスチャンとしては、少数派となっております。そのために、幾つかの誤解があるようです。たとえば、13日の金曜日にキリストが十字架に磔られたのではないかということがあります。例の「エクソシスト」や「13日の金曜日」の映画もあります。そこで13日の金曜日には、何か悪いことが起きるのではないかといったような迷信となりましたが、これは間違いです。後半で、私の出席している四条町教会の牧師に、クリスマスとイースターのことについて、歴史的背景を書いていただきましたので、それを掲載いたします。
 キリストが何年何月何日に十字架で磔されたか?ということは、私に取りまして関心のある一つのテーマでした。たまたま読んだ本によると、AD27年、4月9日の金曜日という説もありますが、確証はありません。どうしてかと言いますと、キリストのいたイスラエルは、AD70年に、ローマ帝国によって国そのものが滅ぼされ、ユダヤ 民族は世界中に散らされて行きました。彼らは、世界で迫害と差別の中を生きつづけ、1948年に、イスラエル国として再建されたのです。ですから、歴史的資料は極めて乏しかったと言わざるをえません。頼りになるのは、ユダヤに残された資料、ローマ帝国に残された資料が基になるかと思います。しかも、ローマ帝国は300年に渡り、キリスト教徒を否定し、迫害を続けた連続でしたが、AD392年に、ローマの国教として公に認知されるようにいたりました。
 さて、キリストが十字架に磔にされて殺されたという歴史的事実については、イスラエルとローマの記録にも残されております。といいますのは、キリストが十字架に磔られた時には、二人の強盗も一緒に磔にされました。聖書では、最も最初に書かれたものが、「マルコによる福音書」といわれています。これは、キリストが十字架に磔られてから30年後に、1番弟子のペテロが話し、マルコが書き残したものといわれています。ペテロは、イエス・キリストと共に過ごし、最も近くにいた人でした。カトリック(教会)では、第1代のローマ法王として定めております。
 キリストは、神を冒涜したという大罪で十字架に磔されましたが、ユダヤ教の律法では、神の冒涜罪は、実は十字架刑ではなくて、石打ちの刑罰にあたるのです。しかし、不当な審判と国内での暴動を恐れて、二人の強盗と共に、本当に短時間、1日もかけずに十字架に磔て殺してしまいました。キリストの遺体は金曜日の夕方、ヨセフという人の墓に葬られました。そして、三日目の朝、日曜日の早朝、二人の  女性がキリストの墓に香料を塗るために行ったところ、地震が起きて、墓石が動き復活したキリストに出会うという劇的な話が、
福音書に書かれております。その詳細は、聖書の書かれた時代に違いがあるので、多少異なることもありますが、いずれもキリストの復活については、マタイ・マルコ・ルカ・ヨハネの4福音書に明確に記されております。
 さて、そのキリストの復活については、聖書の中でも、当時の支配者たちは、「あれは弟子たちがキリストの体を持ち出して、復活したとでっち上げた」という話も書かれてありました。また、弟子でさえも、キリストが復活した等という夢物語は私も信じない、本人に会って、そのわき腹に自分が触れてみなければ信じないと言ったことが、トマスという弟子のことまで記述されています。確かに、キリストの復活を信じることは、難しいことと思います。しかし、この復活の話がなければ、キリスト教は、単なる物語で終わっていたことも事実かと思います。現在、世界全人口70億人のうち、カトリック教が12億人、プロテスタントが6億人いるといわれています。アフリカ・南米・ヨーロッパには、キリスト教徒が増えつつあります。今回、ローマ法王に選ばれた人は、アルゼンチンという南米から初めて選ばれました。キリストが復活し、昇天して、私たちに聖霊を送ってくださっているということ、これがキリスト教の生命線と私は思います。
 以前、友人から次のような質問をされました。「阿久津さんは、クリスチャンというけれど、キリストの復活を本当に信じているのかい?一度死んだ人が生き返るなどという非現実的なことを信じているのかい?どうしてそんなことが信じられるのか、私にはとても理解できないね。」との、率直な質問をされました。私は、そういうことを聞いてくださる方に感謝をします。なぜならば、そのように聞いてもらえるということは、その人が心のどこかで、キリスト教に対して関心をもっているから聞くのだと思ったからです。そうでなければ、私をからかうかどちらかです。私は前者と受けとめて以下のように話をしました。「私は、最初は信じられませんでしたが、今は信じています。私たちの命は、地上での命ではなくて、むしろ死後の方がはるかに長いと信じています。ですから、人の知恵では信じられないようなことがあったとしても、信じようと思えば信じられのだと思うのです。私があなたを信じるといっても、それは目には見えませんね。世の中には、目には見えないけれども実際に存在するものは沢山あるのではないでしょうか?例えば、愛・希望・望なども、目には見えませんがとても大切なもので。信仰もその一つだと思います。信じる人には信じられますが、信じたくない人には、信じられないのではないでしょうか。私たちに不可欠な空気も、酸素・窒素の割合は、絶妙な比率からなり、神が創造されたものとしか思えない程です。」著名な作家・遠藤周作さんも、カトリックの信者になりましたが、復活が最も大きな壁になったというのです。しかし、彼がキリスト教徒になる決心をさせたのは、聖書を読んでいて、キリストが十字架に磔られる前の弟子たちの生活は、情けない弟子、意気地なし、弱虫の弟子たちでした。ところが、復活したキリストに出会って、彼らは全く別人の様になりました。代表的なペテロは、勇敢に福音を語り、最後は逆十字架にかけられて殉教したというのです。その話を読んで、遠藤周作さんは、これは 間違いないとの確信を得たと聞きました。代表的な作品に、「沈黙」があります。
 ところで、キリストの復活に関して、最近私が新たに知らされたことがあります。それは、精神的な病から来るものですが、その人は、目に全く障害がないのですが、目の前の物が見えないという病気があると聞きました。また、私の体験ですが、その人の名前を隣で、何回呼んでも返事をしてもらえないことがありました。どうしてかと聞きましたら、私の声が聞こえないというのです。聴覚には何ら問題がないのですが、人の声を聞きたくないと思うと、どんなに大きな声を出しても聞こえないという人に会った経験をしました。聖書の中でも、二人の弟子が旅をしていた時に、復活したキリストに出会いました。その二人は、その話し相手がキリストだと全く気がつきませんでした。夕方になり、食事をしている時に、イエスキリストであることが分かったというのです。私はその話を読んで、どうしてこんなことがあるのかな?と、長い間不思議に思っていましたが、先に書いたこと、目の前にコップがあっても、目に入らないということがあると聞いて、聖書の話を理解することができました。そんなことはない、聞きたくないと強く思い込むと、見えなくなったり、聞こえなくなることがあるのですね。そういえば、テレビに集中していれば、いくら家族の人を呼んでも聞こえないことがありますからね。錯覚や思い違いということは多くあるものです。
 私は、人生60年を越えました。ペテロが、30年前のことを思い出しながら、その弟子マルコに話した経験は、30年・40年経っても、ハッキリと記憶していることが良く分かりました。戦争体験者は60年経っても忘れることはありません。キリストの弟子たちが、復活のキリストに出会ったというのは、夢や幻ではなかったと私は信じています。彼らは、3百年におよぶ虐殺を含む迫害を乗り越えて、決してあきらめないで、信仰を守り抜いたために、今日のキリスト教徒18億人がいるのではないかと思います。キリストが何年の何日に十字架に磔にされ、何日に復活したかよりも、復活したキリストを信じ、生かされている今を生きることの大切さを実感しております。人間に永遠を思わせる力を神が与えてくださいました。それを単なる希望と思うか、望みとおくかで、今ある人生観にも違いがあるのかと思います。イースターの喜びを、世界の人たちと共に喜べることは、大きな感謝です。以下に、四条町教会の平山牧師の提供していただいた史料をここに感謝して紹介いたします。
 1971年、編集責任者:馬場嘉市の「復活日」についての記述が、コンパクトですが、よくまとまっていました。以下の通りです。なお、この大辞典は修士課程の1年目(1983年)のクリスマスに、わたしが崖から飛び降りるくらいの決意で、自分で自分に買った記念すべき1冊です。恐ろしく高価でした。もう30年も前の話です。今見ると、執筆者の中に野本真也先生のお名前もありました。以下、原文をそのまま引用(外国語の表記は英語のアルファベットに平山が書き直しました)「ふっかつび 復活日 Easter イエス・キリストの復活を記念する教会の祭日で、教会歴中で最も古い祭日とされる。イギリス、アメリカではEaster、ドイツではOsternと呼ばれ、チュートン人の春の女神Eostreから派生した名称とされる。ギリシア語ではpascha、フランス語でpaquesと呼ばれるのはアラム語の<pasha'>を多少なまって発音したもので、一般にパスカ(pascha)と呼ばれる。この語はユダヤ人の過越しの祭りをさすヘブル語と同一で、ちょうどこの時にキリストの復活が起こったので、その復活の新しい意味を込めて、この古い名称がそのまま踏襲されるに至ったのである。
 これが祭日としてキリスト教国で守られるに至ったのは2世紀の頃からで、毎年何月何日と一定していたわけではなかった。しかしその日を基準として四旬節が決定され、この時は特に洗礼、懺悔者の慰め、囚人の釈放、貧者の救済、教役者への慰安などが行われた。ローマ・カトリック教会や聖公会ではその会員が復活日に聖体礼典に陪することを要求され、日、月、火曜には特別礼拝が守られる、17世紀にこの祝祭を守ることを公然と拒否していた非国教徒も、その反動的な熱が冷めた今日ではこの祝祭を守っている。異教の祭日は春分の前後に多かったので、教会はこのあるものを復活日に習合し、そのあるものは中世にいたって自然に廃されたのであった。復活日に鶏卵を贈るのは、卵が復活を象徴するからであると言われるが、これは比較的近世の付会であって、大斉(四旬節)の間には卵を食べることが禁じられ、復活日にはそれを食べてもよいことになるというのが本来の意味であった。復活日の社会的重要さは、キリスト教国はそれが影響して大学その他の諸学校の学期の区切り、その他の商取引にも一区画となることである。8世紀以降、キリスト教国では復活日の当日を計算するのは3月21日以後の最初の満月の後に来る第1日曜日ということになっている。ゆえに、それは3月22日以後で4月25日以前ということになる。つまり復活日を決める教会歴は満月をもって計算する太陰暦によるのである。しかしじきについては、小アジアにおける十四日教徒(Quarto decimans)は、ユダヤのニサンの月の14日後、すなわち15日目に、それが何曜日にあってもかまわず、その日に復活日を守った。西方教会はニサンの月の14日の後の日曜日と定めている。325年、ニカイア会議では復活日は日曜日に行うことに定めたのであるが、東方教会では西方教会とは別の日にこれを守っている。」
 なお、ニコライ堂のホームページで見たのですが、ロシア正教会のクリスマスについて、以下のような説明が書かれてありました。そのままコピーして貼り付けておきます。
 「ロシア正教会や他幾つかの教区では、クリスマスを1月7日にお祝いしています。これは、ユリウス暦という、グレゴリオ暦(16世紀に制定され、今の我が国でも採用されている暦)よりも古い暦を使っていることによるもので、2005年現在、ユリウス暦とグレゴリオ暦の差が13日存在します。つまり、ユリウス暦の12月25日=グレゴリオ暦の1月7日ということになります。ユリウス暦とグレゴリオ暦の差は年を経て大きくなる性質のものですから、古くから一貫して13日のずれがある訳ではない事に御注意下さい。日本正教会では大体、12月25日に祝われます。日本正教会では基本的に教会の暦はユリウス暦を使用しています。しかし、日本正教会では、降誕祭(クリスマス)は12月25日にお祝いしています。これは、神父が兼任管轄していることによって日にちを繰り下げるなどする地方教会のケースを別にして、唯一の例外と言って宜しいかと思います。日本では「クリスマス=グレゴリオ暦(つまり日本で一般に使われている暦)で12月25日」という観念が広く定着している事を鑑み、宣教への配慮から12月25日に降誕祭を祝う事が教会で祝福されています。ただし、兼任管轄されている教会の場合、クリスマスの奉神礼が日にちをずらして行われていることがありますのでご注意下さい。

 いずれにしても、教会の二千年におよぶ歴史の中で、クリスマスを祝う月日も決められてきました。そこに、神さまの御心が表わされていることを受け止めたいと思います。







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