第16回 里親としての人生




 皆様は里親と聞いて、どのようなイメージをもっていらっしゃいますか。まずは、私が里親になった動機について書きます。
 今から数えて32年前のこと、1981年は「国際障害者年」でした。この年、宇都宮にボブ・デヴォルトさんという方が来ました。この人は、自分たち夫婦の間に子どもがいましたが、驚いたことに6人の子どもたち(しかも彼らは体に重い障害をもつ子どもたち)をベトナムやカンボジアから養子・養女として家庭に受け入れていました。デヴォルトさんは、私にこんなことを言いました。「日本では、自分たちに子どもがないと養子を迎えるようですが、これは大きな間違いです。自分たちに子どもがいないからもらうのではなくて、日本にも外国にも家庭を求めている子どもたち、幼いがゆえに両親を求めている子どもたちが沢山いるのです。どうしてそれらの子どもたちの叫びに耳を傾けないのでしょうか。」私と妻とは、そのデヴォルトさんの言葉に強く心を揺り動かされました。そしてその時、デヴォルトさんに同行していた大阪にある家庭養護促進協会のIさんのアドバイスを受けて、早速、栃木県に里親としての登録を申請しました。この時にも、私たち夫婦は、真剣に祈りました。私の目が見えないために許可されないかもしれないと思ったからです。しかし、その不安もやがて喜びへと変えられ、半年後、県知事から許可の連絡がきました。
 1982年(昭和57年)の3月24日、妻と私は大阪へ向かう新幹線に飛び乗りました。そして翌日、Iさんのお世話で、とある乳児院を訪れました。そこには、0歳から3歳になる子どもたちが50人程いました。私たちが行くと、バラバラとかけよってきました。その一人を抱き上げると、「私も、僕も」と言わんばかりにそばによってきて離れません。これこそデヴォルトさんの言っていた「声なき声、叫び求める声」だと思いました。できることなら、そこにいる全部の子どもたちを家に連れて帰りたい衝動にかられました。
 それから2ケ月後、私たち二人の間に2歳11ケ月になる男の子が養子として与えられました。さらに2年後の1984年には、2歳8ケ月の女の子も我が家に迎え入れることができました。その後、もう一人の女の子を里子として8年間生活し、彼女が11歳になった時に、母親の元に帰りました。我が家とは近い所に住んでいましたので、今でも、交流が続いております。今年28歳になりました。
 それがこの32年間の主な里親としての経験ですが、これまでに、母子家庭で、入院するために預かって欲しいという児童相談所からの依頼によって、長い時は半年、短い時は、二月や三月の子どもたちを我が家で受け入れて、数えると10人位になるかと思います。また、「触れ合い里親」としては、夏休み・冬休みを利用して、養護施設から二泊三日程度のショートステイとして、6人の子どもたちを我が家に来てもらいました。その中には、成人になっても交流が続き、24歳になる娘は、「ここは私の実家だよね。」と言って、結婚後も子どもを連れてやってきます。
 これらの経験から多くのことを学びました。特に、二人の子どもから、私たち夫婦は沢山のことを教えられました。子どもをもつ親はみなさんそうかと思いますが、親を間近に見てつぶさに観察しているのは子どもたちです。「子どもは親の背中を見て育つ」といいますが、正にそのとおりだと思います。息子から私が指摘されたことは、「親父は理屈っぽいな」との言葉でした。学校で教師をしている人の多くに見られると聞いていますが、学校で生徒たちに教えていると、その雰囲気で家に帰り、その気持ちで話をしてしまっていました。そうなると、子どもたちにも、教えてやらなければという意識が、無意識に働いていたのでした。そんな私の悩みをきいてくれた友人、その人の父親が校長先生をしていたのですが、「阿久津さん、家ではあくまでも父親なのですよ。教師であってはならないのです。父親は、自分の子どもが何を考え、何を言いたいかを良く聞いてください」との、大変ありがたいアドバイスをいただきました。それから私は、家に帰ったら、学校のことを忘れて子供たち中心の考え方をするように努力しました。それでも、「やっぱり親父は理屈っぽいなあ!」と、何回も言われました。どうしても説明的な話になってしまうのです。子どもの問いかけには、ズバリ短く結論から入ることが必要なことを教えられました。理由は、子どもたちにはあまり必要がないことを知りました。教師を親にもつ子どもには眼に見えない大きなプレッシャーがあるのです。自分の親が教師だから迷惑をかけてはいけない、悪いことやいたずらをしてはいけない!と子どもたちは考えているのです。それだけではなくて、小学校時代には、「あなたのお父さんは学校の先生をしているのだから、勉強をしっかりしなさいよ。」とも言われていたようです。小学生の時はじっと耐えていましたが、息子の場合は中学生になってから、「俺は俺だ」との自我が芽生えました。これは我が家のことばかりではなくて、多くの若者たちから、親が二人とも教師をしていて、いつも留守番ばかりさせられて寂しかったという声を聞きました。祖父母が多くの場合、家庭をサポートしているのですが、それでも子どもたちには寂しいのですね。子どもが家に帰った時に、「お帰り」という母親の声が子どもたちの心に安心感を与えるのではないかと感じます。教師と同様に警察官の子どもたちにも精神的プレッシャーがかかるようです。私が書いているのは、特別なケースかも知れませんが、20年前に日本中に増えていた暴走族の中には、勉強についていけない教師や警察官の子弟が多くいました。その結果、ある青年は、オートバイの事故で若い命を亡くしたニュースを聞いています。そのような話を聞くと、私もひとごとではないな?と、反省をしておりました。
 さて、話を里親に戻しますと、ここ10年間で、社会情勢が厳しくなり、家庭環境もさらに厳しくなって来ているように感じられます。リストラによる生活苦、そして、子どもとどのように接したら良いか分からない若い両親たちが、子どもたちに暴力を振るっての様々な問題がおきております。家庭内暴力、子どもへの虐待の増加が、この10年間で2倍3倍と増え、児童相談所は、自分たちの家庭も見られず、24時間体制です。特に夜中に警察に電話があれば、警察官と児童相談所の職員の皆さんが現場に急行しなければなりません。正に、警備保障会社と同じではないかと感じる程です。
 ニュースを聞いていると、10代後半の親、20代・30代の親が、自分になつかないからという理由で、幼い子どもに食事を与えなかったり、殴ったり、蹴ったりの暴力をして、親は逮捕され、子どもは児童相談所の保護を受けています。核家族の結果によるのもありますが、ストレスを弱いものに対してまともにぶつけているように感じてなりません。DVを受けた子どもたちが、大人になって、同じようにDVをするという連鎖があると聞いています。昔ならば、隣近所のおじさんやおばさんが、止めにかかったのですが、最近では、うっかりすると命まで狙われてしまうぶっそうな時代となり、近所のことにも余計なお世話はしないようになってしまい、共同体の意識が町からは消えつつあります。本当に残念なことです。
 さて、そのような里親をしている私たちの家にも、今年新たな動きがありました。児童相談所からの依頼によって、今年高校生になる女の子と共に生活することになりました。昨年盲学校を退職した私ですが、長年、中学生や高校生と一緒に生活した者ですが、不安がありました。しかし、生活を始めると、盲学校の時の感覚が戻って来ました。教師ではなくて、父親としての関わりの感覚です。現代のJK(女子高校生)がどんなことを考え、どんな生活をするか、教えてもらって学びたいと思います。気持ちのせいか、私の心にも元気と喜びが沸きあがってきました。
 最後に皆様にも里親になって欲しいというお願いをしたいと思います。家庭を求めている子どもたちが沢山います。少子高齢化を迎えており、家庭には一人か二人の子どもの家が多いかと思います。里親になるためには、各市町村の福祉課に登録します。一定の条件が満たされれば、県知事から認可されます。独身の方でも、里親になることができます。実際は、里親になるための研修を受けてからということになります。里親として子どもを受け入れる時には、児童相談所のアドバイスを受けてのマッチングが行われます。18歳まで養育する里親もありますが、家庭の事情によって一時預かる、短期里親もあります。また、先に書きましたように、学校の休み中を活用しての「触れ合い里親」と言って、養護施設から三日間程度ホームステイする方法もあります。さらに、里親を助ける里親も今では求められております。里親が病気になったり、どうしてもその日は子どもの面倒を見られないという時には、レスパイト(休息)というのがあって、里親を支援するシステムもあります。
 今では、里親の更新制度が5年に1度あります。私も今年はその年になっていますので、もう一度勉強しなおしたいと願っております。全国には、3万人の子どもたちが、養護施設で生活をしております。2年前の東日本大震災では、両親を二人とも亡くした子どもが300人います。その他、前述したように、劣悪な家庭環境の中で、虐げられている子どもたちが沢山いることを心に留めていただければ幸いです。
 我が家の娘の入学式は4月6日です。多少の心配はありますが、16歳になる彼女は、どきどき・ハラハラではないかと思います。そんな時、よりそって共に生きたいと願っております。「来てくれてありがとう」です。盲学校の入学式は4月9日と聞いています。新しい出会いと喜びの年となりますように、エールを贈ります。







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