第18回 私の読書ノート@




 4月も早いもので下旬に入りました。学校生活にも生徒のみなさん、なれてきたかと思いますが、私の経験では、大学生活もそうですが、ゴールデンウイークが終わらないとエンジンがかからないのではないかと思います。4月には、学校や職場になれることですね。我が家の高校生になった娘も、先週は、クラスメイトの名前を覚えて友人関係を作るのに苦労をしていましたが、2週間目に入り携帯電話を手に入れて、嬉しそうにメールのやり取りを始めました。18日から19日にかけて、那須方面での宿泊学習、クラスのみんなと仲良くなるための交流宿泊のようです。さて、今回は私の読書の中から何冊かを選んで書きたいと思います。
 今回は、視覚障害者をテーマにした物語を中心に書きます。
1 H. G. ウェルズ著「盲人国」(The Blind Country)
★あらすじ★
 一人の男が南米・コロンビアの山に登ります。ふとしたことから、崖から落ちてしまいました。命は助かりました。彼が落ちた所は、目の見えない人たちが生活をしている「盲人」たちの村でした。彼がいくら、「あなたたちは目が見えないけど、私は目が見えるのです。」と、言っても、村人たちは、「この男は、われわれには分からない不思議な言葉を使っているな。捕まえて閉じ込めなさい。」ということになりました。いくら彼が目が見えると主張しても受け入れられませんでした。それはそうです。彼らは物を見たことも一度もないのですから、見えることは全く意味のない言葉でした。
 たった一人、綺麗な女性がいました。彼は彼女とたびたび話をして、二人は恋愛をして結婚をしたいということになりました。しかし、盲人たちは、この村で暮らすならば、目玉をくりぬいて我々と同じにならなければだめだ、ということになりました。最終的には、彼はある朝、その村を出て山を登り、脱出するというストーリーでした。
 この物語は私に多くのことを教えてくれました。見えない人が、見える人を理解しようとしてもいかに難しいか、また、見えることを視覚障害者に理解させようとしても、きわめて難しいということです。
 次のような話をアメリカに行った時に聞きました。 アメリカのリハビリテーションセンターで訓練を受けている人でした。若い男女が、ドアを閉めて抱擁をしていました。センターの先生が、生徒に注意をしました。するとその男性は、「先制僕たちはドアを閉めていたのにどうして分かったのですか?」…
 つまり、ドアを閉めていても窓から見えるということを、生まれつきの視覚障害者にはなかなか理解できないということです。カーテンを閉めないと見えると見えてしまうとことも、知識として知らないと分かりません。また、この世の中では障害者は、圧倒的に少数派です。多数派である健常者から見れば、視覚障害者の言うことや行動が、時には非常識であったり、社会適応が十分になされていないと思われることもあるかと思います。また反面、視覚障害者に限らず、少数派の人たちが、声を出さない限り理解をしてもらうことは困難です。声を上げても、わがまま・かって・自己中心と思われることも多々あるかと思います。しかし、この「盲人国」では、どんなに見えると主人公が言い張っても、たった一人なので受け入れられませんでした。ウェルズは、目の見えない人を良く観察しました。そして、考え方も立場を変えると正論も誤りになり、非常識が常識になることを示唆しているかと思います。その他、ウェルズは、とても発想の豊かな作家で、「透明人間」、「タイムマシン」等の本を書き、最も有名な作品は「ジキルとハイド」であります。この物語は、化学薬品を使って、人間が変わるというストーリーですが、現在、世界でも広まりつつある心の病と類似している点もあります。「タイムマシン」では、未来へ2回旅行をします。最後は、確か2万年先の時代にタイムトラベルします。そこにはもはや人類は誰もいませんでした。2メートルもあるような、巨大な蟹が、海の中を歩き回っていました。核戦争によって、人類が滅びることを暗示しているように感じました。
 ウェルズ、1866年から1946年の作家、イギリスのSF作家としての第1人者。
2 浅田次郎著 「巡り合い」
★あらすじ★
 ある東北の温泉地でマッサージ師として働いている全盲の女性がいました。マッサージの仕事があると、旅館から彼女の住む山の麓まで車で迎えに来てもらって仕事をしていました。その夜は、吹雪の夜でした。彼女は、旅館からの送迎の車に乗って、部屋に入って男性にマッサージを始めました。その客は、東京から来ており、医者をしているというのです。しかも、眼科の医師というのです。彼女は、それを聞いてふと30年前のことを思い出しました。それは、彼女が大学生の時に、網膜剥離を起こして失明をするという、辛い宣告を受けました。ボーイフレンドは、「僕は、君が見えなくなっても、君には変わりがないのだから結婚をするよ。」と言います。しかし、ある時、彼の母親から電話があり、会うことになりました。そして二人は、レストランで合いました。彼の母親は、「あなたの目が見えなくなったことはとても気の毒だと思いますが、息子との結婚はあきらめてください。少ないけど、治療に使ってください。」と言って、お金を差し出します。彼女は、自分はそんなつもりで付き合って来たのではない!迷惑をかけてまで結婚をする気持ちはないから、安心してください。」と、言って二人は別れるのでした。彼女がマッサージをしている客、それが30年前の彼であったことに気づいて愕然とするのでした。どうして分かったかというと、彼の体、そしてにおい、声がよみがえってきました。結局、彼女は、何も告げずに仕事をして、その旅館を出るという話でした。物語についての感想は書くまでもなく、各自が味わえば良いかと思います。
 浅田さんは、実に人間の心理を深く描写していると感じました。最近は聞いて楽しむ朗読の番組も、NHKばかりではなくて、民間放送でも放送されるようになりました。NHKでは、土曜日の朝、8時5分から「ラジオ文芸館」の番組があり、アナウンサーがとても質の良い作品を取り上げています。また、日曜日の夜、ラジオ第1放送で、夜の7時20分から50分まで「新ラジオ名作劇場」という番組で、西田敏行さんと竹下景子さんが、とても良い作品を演じています。民放では、栃木放送で土曜日の夜6時半から7時まで、藤沢周平さんの作品を朗読しています。時間帯が変わる時もあります。その他、FM放送では、毎週土曜日の夜10時から50分間「FMシアター」という番組では、ラジオドラマを放送しています。一般の人たちからの脚本によるドラマや、海外のドラマを放送しています。
3 これからの読書法について
 視覚障害者にとって読書法も時代と共に多様性をもつようになりました。これまでの点字図書を読む読書の他に、テープ図書を聴く読書、それも、3年前から日本点字図書館では、テープ図書を止めて、全てデイジー図書に切り換えましたので、これからはデイジー図書や、音楽CDを活用しての録音図書となって行くと思われます。さらに加えて、インターネットやパソコンを使っての読書法も普及しつつあります。例えばテキストファイルでデータを受けとってパソコンに読ませて読書を楽しんでいる視覚障害者もいます。また、ホームページにアクセスすると、音声で聴くことができるサイトもありますし、NHKのラジオ深夜便を始めとして、ラジオでの朗読など、後から放送を聴くことができる番組も増えて来ました。速報ニュースでは、各種新聞の速報によってニュースを知ることもできるし、ラジオやテレビでは取り上げないニュースをインターネットで知ることができるようになりました。朝日新聞の「天声人語」は、毎朝インターネットで音声によって読むことができます。人名や地名は極めて怪しいところがありますが、天声人語は、大抵の場合、ふりがなが振られていますので分かりやすいと思います。
 このようにして、読書にしても、時代と共に変化してきております。どれが良いとか悪いとかをいう時代ではなくて、自分にあった方法で読書を楽しむのが良いのではないかと思います。メル友の中には、そのようにして、私には普段気付かないとても良い記事を送ってくれる人もいるので感謝です。私の場合は、点字と音訳図書を内容によって使い分けているというのが現実です。ラジオを聴いていると、メールでラジオに投稿するのを楽しみにしているリスナーが沢山いて、しばしば名前を聞くことがあります。その人達は、そういうことを通しての喜び・楽しみを味わっているのだと思います。読書は心のオアシスです。この同窓会のホームページを活用して、感動した本の感想など分かち合うことができたら楽しいことと思います。



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