第23回 ノーマライゼーションについて考える




 皆さんお元気ですか。29日から入梅となりました。週末にはもう6月です。今年も暑くなるかも知れませんが、元気に夏を迎えたいと思います。さて、今回はノーマライゼーションについて考えたいと思います。この言葉は、もう30年前頃から聞かれるようになりましたが、実際のところは、なかなか難しい問題です。その根底には、心の奥底に潜む人間関係にあるからかと思います。
 「ノーマライゼーション」と聞くと、多くの場合、政治のこと、企業での障がい者への対応、教育を受けること等に連想されてしまいますが、本当は、人の心にあるのではないかと思います。今、インターネットやツィッターでは、乙武洋匡(おとたけひろただ)さんの「イタリアンレストラン入店拒否」について、喧々囂々(けんけんごうごう)の話題になっております。簡単に説明をいたします。「五体不満足」で有名になった乙武さん、早稲田大学を卒業後、スポーツライター、小学校の先生などをして、現在は作家・タレントとして活躍中です。日常生活は、100キロの電動車いすで、全国をかけまわっています。ことの発端は、5月のある日、乙武さんは、女性の友人と、東京銀座にあるイタリアンレストランに行こうとしました。1週間前には店に電話をしましたが、彼が車椅子を使用している障がい者であることを言わなかったのです。そのようなことをしなくても問題がなかったから…とブログには書いてあります。そしてその日の夕方、乙武さんは、電動車いすでレストランの前に来ました。玄関には3段の階段がありました。女性が、2階にあるレストランに事情を話して、乙武さんを2階まで移動を手伝って欲しいと頼みました。店内はかなり混んでいたようです。10分待っても誰も来ないので、その女性が再びレストランに行って頼みました。すると、店長が出てきて、「車椅子で来るときは前もって予約をするのは常識でしょう。私たちのレストランはそのようなスタイルでやっております。今回は対応できません。」と、語気鋭く話したとのことです。乙武さんは、この店長の態度にプッツンしてしまったようで、家に帰ってから、そのことをブログに書き込みました。そのことがきっかけとなって、乙武さんへの批難のメールが殺到しました。つまり、店の名前まで出すのは失礼ではないか。自分にも責任があるではないか。人に世話になるのだから、前もって車椅子で行くことを話すのが当たり前ではないか……とのメールで炎上する程になりました。乙武さんは、ブログの最後では、自分としても思慮の足りないことに猛省していると書いているのです。
 この話を読んで、皆様はどのようにお感じになりますか。乙武さんが、車椅子で行くのでサポートをして欲しいと言っておけば問題はなかったかも知れません。また、そのレストランには、店長ともう一人の店員の二人しかいないことも、乙武さんをサポートできない原因にあったと思います。私の住んでいる近くのファミリーレストランでは、日中は、料理を作る人が一人、註文を聞いて運んだり、レジで計算をする人が一人です。夜6時になると、2人・3人程度で満席の客の仕事をこなしています。乙武さんには、そのような厳しいレストランの状況が、わからなかったのかも知れませんが、マスコミでのオピニオンリーダーとしては、勉強不足と言われてもしかたがないと言わざるを得ません。視覚障がい者が一人で知らない店に入った時は、最近親切に対応してもらえると思いますが、車椅子での移動や、乙武さんのように、抱きかかえての移動等は、現在の人出の足りない店では対応ができないのも無理からぬことと思います。しかし、ここで他に方法はなかったのか?といいますと、冷静に考えれば方法はありました。例えば、通りがかりの人たちに、手伝ってもらうことの依頼をしても良いのではないでしょうか?また、店内にいるお客様に依頼をお願いしてはどうでしょうか。お客様たちに迷惑をかけたくないからそれはできないというのが、日本の「スタイル」となっているのかも知れません。混んでいる電車に、ベビーカーと一緒に乗り込む母親と子どもが乗ると、冷たい視線を感じると聞きます。知らない人とは関わりたくない、余計なことはしないほうが良いといったようなことが、社会に蔓延して来ています。それは、様々な社会での事件を耳にしているので、それぞれが自己防衛の気持ちになってきているのではないでしょうか。最近、このように社会がギスギスして、みんながイライラしているように感じます。
 ここで、アメリカで起きた同じような話を紹介いたします。昨年の夏、栃木YMCA主催の講演会に、マイケルヒングソンさんという方が来られました。彼は全盲で盲導犬を使って、各国を回って講演活動をしていました。マイケルさんは、2001年の9月11日に、ニューヨークの貿易センターで仕事をしていましたが、あの9.11事件の時に、盲導犬と共に貿易センターから脱出して、九死に一生を得た人です。そのマイケルさんの講演の中で次のような話がありました。確か、カリフォルニア州でのことと思いますが、車椅子の人が、レストランに入りました。すると、店長は、この店では、車椅子はお断わりと「けんもほろろ」に追い返されてしまいました。それを聞いたマイケルさんたちは、ツィッターで、車椅子利用者に、今度の土曜日の夜、○○レストランに集合するように動員をかけました。さらに、新聞社に連絡をして、これまでの経過と共に、土曜日の夜に、そのレストランで車椅子の人たちのパーティーがあることを話したそうです。さて、その土曜日の夜、10台におよぶ車椅子の利用者がレストランに押しかけました。おまけに、新聞記者も来ました。レストランの店長は度肝を抜かれましたが、ニコニコと笑って、「私たちのレストランは、車椅子のお客様大歓迎です!」と、話したそうです。先に書いた乙武さんのイタリアンレストラン入店拒否と事情は異なる点もありますが、日本とアメリカでの文化の違いかと感じます。
 ノーマライゼーションと言いますが、障がい者のために、企業では、ユニバーサルデザイン・バリアフリーの名の下に、シャンプーに切れ目をつけたり、缶ビールに「おさけ」と表示したり、携帯電話の5の所にボッチを付けたりといった改善がなされています。教育界では、保護者と本人の希望によって、障がいのある児童が、一般の小学校に入学できるようになりました。障がい者とそうでない人たちが共に生活すること、「共生社会」、それが「あたりまえの社会」、つまりノーマライゼーションという理念に裏づけされていると思います。最近は、インクルーシブ(包括的)教育といわれるようになって来ました。確かに、これは理想的な社会システムと思います。ところが、社会の実態は、その理想には真逆の方向に向かっております。以下は、統合教育を受けた3人の人から聞いた話です。
 小学校では、視覚障がい者に怪我をさせてはいけないからとの理由で、その児童のお世話をする当番を6年間決めていた学校もありました。いわば、かばん持ちまでさせていたのです。またある児童には、「あなたは、盲学校で勉強をした方が、点字や歩行訓練も受けられるし、同じ障がいをもっている人とお友達になれるから、盲学校の方が良いのよ!」と、何年も言われ続け、その人は5年生から盲学校に転入してきました。友達からも意地悪を言われ、いじめを沢山受けたと言っていました。
 一口にノーマライゼーションといいますが、実態は極めて難しい状況にあります。「ノーマライゼーション」と、言っているマスコミで、いったいどれだけ障がい者を雇用しているでしょうか。各都道府県で、障がい者の雇用は低水準にあるではありませんか。ノーマライゼーションの心は、一人ひとりの心にあるバリアを取り除くことから始めなければならないと痛感しております。
 今年の4月、私は弱視の友人と東京高田馬場へ会議に行って着ました。その帰り、山手線高田馬場から池袋までの短い時間でしたが、私が白い杖を持っていたこと、足がかなり不自由なことをみてとった大学生と思われる女性が、サッと私に席を譲ってくれました。次に、池袋から大宮までの高崎線では、若い男性が「どうぞ」と、言って席を空けてくれました。そして、大宮から宇都宮までの新幹線の自由席は混んでいましたが、無事座ることもできました。20年程前には、このようなことはほとんどありませんでした。シルバー席の前に行っても、席を立つ人はほとんどいませんでした。しかし、最近は宇都宮駅を一人で歩いていると、声をかけてくださる人がずいぶん多くなってきたことを感じます。そればかりか、視覚障がい者の手引きの仕方も知っていて、「私の肘につかまってください。」とまで、言ってくださる人にも出会うことがあります。社会的ノーマライゼーションは間違いなく普及しつつあると感じます。問題は、それぞれの心の中にあるバリアを取り除くことかと思います。
 乙武さんのブログを読んで、私との違いを一つだけ感じたことがあります。それは、乙武さんは、車椅子を利用していますが、自由に行きたい店を選んで行っています。私たち視覚障がい者の多くは、あまり知らないレストランには行きたがらないということです。それよりも、お互いに顔なじみのお店に行って、楽しい気持ちで食事を楽しみたいという気持ちが強いということだと思います。乙武さん、今回のことで、「はじいるばかりです」と書いていました。37歳の乙武さんには、これからも、社会でのオピニオンリーダーとして活躍して欲しいと願っております。それと同時に、乙武さんが、本人の意識とは別に、障がい者の代表として社会の人たちから注目されていることを自覚して欲しいと願っています。
 ここで、私の友人からの感想を紹介いたします。私は、バスの中でものすごく威張っている障がい者に会うことがあり、とても腹立たしく思っています。運転手さんが汗だくになって車椅子を持ち上げてくれるのに感謝の一言もなく、席に座ったとたんドリンクを飲み、空き缶を放り出して黙って運転手さんに手伝ってもらい、降りていった姿を見たことがあります。乗客は皆憤慨していました。「人間にはいろいろありますからね」という運転手さんの言葉を聴いてなるほどと思いました。障がい者に文句を言ったらやばいことになる。ということで、我慢している人が多いのではないでしょうか。私はむしろこのレストランの店長に拍手を送りたいと思います。
 では最後に、乙武さんのオフィシャルサイトをご紹介して今回は閉じたいと思います。
 オフィシャルサイトはこちら



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