第27回 傍観者の利己主義
6月もいよいよ終わりですね。学校では期末テスト、そして、生徒たちには待ち遠しい夏休みも間近です。今回は、まず最初に、芥川龍之介の「鼻」から話を始めます。物語は、「今昔物語」から、芥川が書き換えたと言われております。
時は、平安時代の頃です。住職をしていた、禅智内供(ぜんちないぐ)に一つの大きな悩みがありました。それは彼の鼻が実に扱いにくいという代物でした。唇の上に、腸詰のように、大きくぶらさがっていました。ご飯を食べるときも、向かい側に座ってもらってご飯を食べさせてもらわなければ食べられません。内供は、何とかしてこの腸詰のような鼻を治したいと、あらゆる努力をします。中国から、よく効くと聞けば薬を取り寄せたり、お湯を沸かして、熱くして、弟子たちに踏みつけてもらったり、涙ぐましい努力の結果、ある日、内供の鼻が治っていたのです。内供は心から安心しました。これからは、誰もわしを馬鹿にしたり、笑ったりしないだろうと安堵しました。ところが、しばらくすると、どういう訳か、あちこちから、内供に対して、クスクスと笑ったり、軽蔑の目で、彼の顔をまじまじと見られるようになったのです。あれほど苦労をして治った鼻なのに……。内供は次第に不安になりました。そして、鼻が治っても、わしの鼻を笑うのなら、いっそもとに戻したいと願うようになりました。そしてある朝のこと、内供は、自分の顔の異変に気が付きました。見ると、鼻の上には、懐かしい腸詰の鼻が戻っていたというのです。内供は、これで良かった、もうわしのことを、誰も笑ったり馬鹿にしたりはしないだろう!
だいたいそのような話です。これは、高等学校の国語の教科書にも取り上げられている、有名な話です。この話のテーマは、世間の噂を気にしている、内供の心の揺れを滑稽に描いているようでもあります。つまり、世間の目を気にしているために、人は、影響されやすいとも理解できます。しかし、芥川が伝えたかったのは、内供自身の問題よりも、世間の見方、つまり人は、他人の不幸を哀れむ時もあれば、幸福になれば、心から喜ぶことのできない性格をもっているという、傍観者の利己主義をテーマにしております。
ある哲学者は「同情は最高の好奇心である」と、書いています。全くその通りとは言えないと私は思いますが、人間の心理をついているとも理解せざるをえません。「人の不幸は蜜の味」というのは、マスコミ・週刊誌のセールスポイントです、芸能人のスキャンダル等、私たちには何の関係もないのですが、これこそ現代版の「傍観者の利己主義」と、私は理解しております。東日本大震災等のとき、悲しみにくれている人に向かって、マスコミの記者が、「どなたが亡くなられたのですか?補償はもう終わりましたか?」との問いかけ、家族を亡くした人の気持ちを、これっぽっちも考えておりません。自分の身内が突然の事故で命を亡くした人に、このようなことを聞くのは、まさに「傍観者の利己主義」です。
現代社会では、知らない人とは関わりたくない、思いがけない事件に巻き込まれたくないとの意識が、日本中に蔓延していると思います。先月のニュースでも、東京のある駅でのこと、ある人が、通り魔に刺されて道路に倒れていました。周りには沢山の人たちが遠巻きにして見ていました。しかし、誰も声をかけない、誰も救急車を呼びませんでした。そこへ通りかかったのが、ある新聞記者でした。その人が、すばやく、救急車を呼んで助かったとのニュースがありました。この話を聞いて、私は、世の中、本当に世知辛いものになったと痛感してしまいました。大都会であればあるほど、朝のラッシュアワーの中では、みんな新聞を読んだり、スマホでメールを書いたり、他の世界から自分を守るために、隣をシャットアウトしているのです。そればかりか、小学生まで、スマホを見ながら駅のホームを歩いていて、ホームから転落してしまいました。幸いにして、電車にひかれないですみましたが、最近、道路や駅の中を真っ直ぐ見ないで、スマホを使いながら歩いているので、視覚障がい者の中では、ぶつかられたという話を聞きました。自分さえよければ他の人はどうでも良い、それどころか、他者のプライバシーに入り込み、パソコンのIDやパスワードを盗み出し、その人になりすまして、クレジットカードから暗証番号を盗み出し、かってにお金を引き出したり、真に恐ろしい世の中になりました。
傍観者の利己主義から、現代は、他人を落とし入れて楽しむという、悪行が増加しています。先週のニュースに「痴漢プレイ」という、これまた恐ろしい話が出ました。和歌山県の電車内での話です。ある女性が電車の中で、痴漢に遭いました。その犯人は、25歳の介護士でした。警察が逮捕して調べると、ツィッターに、「私に痴漢してください。何時何分の電車に乗っていますから、痴漢して良いですよ」とのツィッターでした。それを読んだ25歳の介護士が犯行に至ったのです。この話、実はその女性は何も知らなかったし、ツィッターなどに書いていませんでした。毎朝同じ電車に乗っていた別人が、その女性になりすまして「痴漢プレイ」のツィッターを勝手に書き込んだのです。こうなると、傍観者の利己主義どころか、傍観者の犯罪です。そして「私がそれをしました」と、警察に出頭したのは、何と国税局の職員だというのです。唖然、愕然です。
スマホの普及によって、盗撮がとどまる所を知りません。大会社の社長、裁判官まで逮捕されてしまいました。スマホでは、手を加えると、シャッターの音がならないようにもできるそうです。アメリカでは銃乱射が横行しています。それは、銃が悪いのではなくて、銃を所持している人の問題といわれています。しかし、スマホにしても、そのように盗撮を容易にさせてしまうメーカーが悪いのではないかと思いますが、スマホが悪いのではなくて、スマホを所持している本人の問題と、メーカーがいうことは、「火を見るより明らか」です。何もそこまでしなくても良いのではないかと思います。昨年、盗撮で逮捕された人は、236人でした。しかし、ついついの盗撮は、その百倍は下らないといわれています。私たちのプライバシーは、もはやないと覚悟しての生活となりました。インターネットで調べたことも、全て保存され、この人は、何を注文しているか、どんなことに興味をもってインターネットで調べているか、メールはどんな人に送られているか?、調べようと思えばできるのです。その証拠に、私が毎日開いている、ニュース速報などを開くと「あなたへのお勧めのサイトは」等というのが来るのです。これは、コンピュータ管理ですが、携帯電話も同様です。先ごろ、国会で「マイナンバー法」が通過しました。これによって、数年後、私の貯金、通院する病院、病名、全てが分かりますが、盗み出されることも覚悟しなければなりません。それだけならばまだしも、勝手に銀行から、お金が引き落とされるようなことにならないかと心配されます。もはや傍観者の利己主義どころではなくて、利己主義、無責任の犯罪の時代がやってくることを覚悟しなければなりません。特に障がい者にとっては、便利なこともありますが、反面、本当に危険、落とし穴から身を守らなければならないと感じます。そして、危ない電話には注意をしなければなりません。
さて、1年の半分が過ぎようとしています。7月21日の選挙では、傍観者にならないで、投票に行く人が沢山いることを願っています。傍観しているだけでは、何も変わりませんからね。そして、選挙にも行かないで政府を批判することこそ、芥川龍之介の書いた「鼻」と同様「傍観者の利己主義」となってしまうのです。
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