第29回 愛犬と共に30年




 みなさん、こんにちは。お元気ですか。本格的な猛暑がやって来ました。7月21日の参議院選挙が、カウントダウンになりました。選挙に出る人にとっては、関ヶ原の戦いかも知れませんが、私たちにとっても、今回は特に大切な時と思います。向こう3年間は選挙がないと思われます。さて、今回は話題をガラリと変えて、我が家の愛犬との30年間の思い出を書きます。
 この30年間に私が犬と付き合ったのは3匹になります。最初の犬との出会いは、1984年のことでした。私の行っている教会の信徒で、川上さんという人がいましたが、ある時「我が家の近くで、野良犬が5匹の犬を生みました。保健所に連れて行かれるのは可哀想です。皆さんの中で、どなたか面倒を見てくださる方はいませんか?」との話がありました。私は子どもの頃から犬が大好きでした。実家で飼っていた犬は、残念ながら交通事故で亡くなってしまいました。今から50年も前のこと、農村地帯では、夜間は犬の天国です。鎖を放たれて、犬たちは自由気ままに夜遊びを楽しんでいました。
 さて、川上さんからの問いかけに、私たちの教会では、平山さんと我が家が犬を育てることにしました。平山さんの所は、メスで「リサ」と名前を付け、我が家はオスなので、6歳の息子が「チロ」と名づけました。5匹の犬たちは、幸いに、受け入れてくれる家がすべて見つかりました。85年の正月が明けた頃、チロが我が家にやってきました。生まれてまだ2ヶ月程度なので、母親から離れるのは早すぎたかも知れません。そこで、妻が牛乳を温めて飲ませたりして可愛がりました。誰よりも喜んだのが、3歳の娘でした。オスのチロに向かって娘は「チロちゃん、赤ちゃんを産まないの?」等と話しかけていました。息子の方は、当初、犬は苦手な様でしたが、次第になれていきました。チロとの生活は、99年までの15年間、私には本当に楽しい生活でした。チロは雑種とは言え、とても賢く優しい犬でした。子どもたちが幼かったので、犬の世話は私が主にしました。
 私は、朝6時に起きて、愛犬と近くの公園に散歩に行きます。鉄棒に鎖を繋いで、ポケットからラジオを出して、6時半からのラジオ体操を10分しました。それから、森の中の道を散歩して帰りました。チロが1歳を超える頃から、私の気持ちを読み取って、黙っていても、公園に連れて行ってくれ、帰りも、私のお気に入りの森の道をズルッと回って家につきます。夕方は、私が家に帰るのが比較的早かったので、チロと共に散歩です。時には、いつもとは違う遠いコースを選んでの散歩でした。朝のラジオ体操の時は、公園の近くに住んでいた、親戚の女の子が、毎朝あいさつに来ました。午後の散歩には娘を含めて5・6人が、ゾロゾロと散歩に付き合ってくれました。チロは、体重15キロありました。ほとんど病気もしないで元気な人生(犬生)でした。妻と娘が交代でご飯を与えていましたが、散歩と体を洗うこと、そして、ブラッシングは私の仕事でした。私が34歳から49歳まででしたから、最も元気の良い時だったと思います。
 チロは、目が茶色で他の人が見ると、ライオンのようで、怖いという印象を与えていましたが、実におとなしい性格でした。例えば、ドッグフードを、おわんに入れてやると、チロは全部を食べないで残しておくのです。そうすると、近くに来た小鳥が、それをいただきに来るのですが、チロは、気にしないで鳥たちにえさを食べさせてやっていました。私が一番苦労をしたのは、5月ごろになると、犬の毛が抜け代わるのですが、毛はものすごく多くて、ブラッシングをすると、ふわふわと抜けて、私のズボンは毛だらけになりました。くしには、毛がタップリ溜まります。それを袋に何回も入れないと、綺麗に抜け代わりません。だいたい三日ぐらいかかりました。時々、くしに毛が引っかかって痛いのです。「キャン」と小さく泣きますが、おとなしくジッとしていました。チロにとってあまり嬉しくないのが、夏、ホースから出る水で体を洗うことでした。1週間に一度、シャンプーで背中を中心に水をジャブジャブとかけて洗います。尻尾から顔まで、そして胸、腹と全身を水で洗うのです。その時、私は近くの木の枝に繋いで洗うのですが、洗い終わると、体を振って、水を跳ね飛ばします。そのようにして、体を乾かすのですが、私のすることには全く嫌がらずにジッとしていました。私が出勤する時には、私の足音が聞こえなくなるまで「いってらっしゃい」と吠えて、帰りは、100メートル先までくると「お帰り」の挨拶で迎えてくれました。チロの話だけで終わりになってしまいますが、犬を褒めることだけはお許しいただきたいと思います。因みに、平山さんの所に行った「リサ」は、チロの上を行き、平山さんが、行く、コンビニまで案内してくれたというのです。盲導犬の訓練士の福岡さん、思わず「平山さんの犬は盲導犬になっていますね」との感嘆の言葉でした。
 チロが6歳の時、筑波で、動物の研究をしている友人から娘に電話がありました。「犬の薬の開発のために動物実験用の犬なのだけど、とても可愛いんだよ。でも、このままだと、処分しなければならないんだ。阿久津さんの所で引き受けてくれないかな?」との話でした。我が家には、もう1匹犬がいました。しかし、犬好きの娘、即座に「その犬欲しいです」と即答してしまいました。私たちもそのような話を聞くと、可哀想でミスミス命を亡くす犬を見捨てる訳にはいきませんでした。結局、我が家で育てるということになり、92年に、3歳になるメスのビーグル犬「マリン」と共に暮らすことになりました。娘は大の犬好き、本人も戌年産まれなのでした。彼女が4歳になりたての頃、娘がいないと心配していたら、チロの小屋で、寝ていたというエピソードがあります。マリンが来てからは、チロの世話はこれまでどおり私、マリンの担当が娘になりました。小学3年生になっていたので、娘には、マリンは友達であり、良い遊び相手でした。自分は将来、盲導犬の訓練士になるんだと高校生になるまで真剣に考えていたくらいです。
 チロとマリンの生活は7年間一緒に暮らしました。チロはマリンにも優しく接してやっていました。マリンは体重12キロくらいだったと思います。ビーグル犬は「森の鈴」と言われるそうで、声は高い声でした。チロは、15年生きて、99年の7月に亡くなりました。私も愛犬の傍に寄り添ってジッと座っていました。チロは妻のやるアイスクリームを、美味しそうに食べました。別れの時が近づいていたのも、彼自信も分かっていたと思います。私の手をさかんになめていました。「ありがとう」と言っているのだと私には感じました。マリンは、それからさらに8年間生きました。そして、娘が筑波で、学生生活をしていましたが、冬休みが終わり、2002年1月8日、筑波に行った翌日、静かに息を引き取りました。妻が「マリン」と呼ぶと、マリンは顔を上げて妻の顔を見てからガックリと倒れました。それも「お母さん、ありがとう」の気持ちではなかったかと思います。
 今、我が家にいるのは、3匹目のスコッチテリア「ラブ」です。今年の7雑9日で、9歳になります。04年に、我が家で迎え、チロやマリンとは違って、家の中で暮らしている坊っちゃんです。「スコッチテレヤ」のところがあります。この犬種は、あまり長生きができないと聞いています。ラブは、妻を最もしたっています。えさをもらい、散歩をしているのですから、至極当然と思います。妻がラブと、呼ぶと走ってやってきます。きゅうり、ビスケット、ヨーグルトが大好き!散歩と言えば、尻尾を振って喜んでいます。ラブの散歩の時は、妻がなかなか帰らないのです。愛犬たちの散歩の時間に出会うと、犬を通しての井戸端会議が始まってしまうようです。たまに誰もいない時、私がラブを散歩に連れて行こうとして、ラブを呼ぶのですが、近くにはきても、私に捕まえさせないで、後ずさりします。私が視覚障がい者なのをちゃんと分かっているのです。私と遊びたい時、私がご飯を食べている時だけ、私がご飯をこぼすだろうと思って、体を寄せて来るのです。ラブにとっては、私が一番格下と思われています。
 このように、3匹の犬と共に暮らしてみて、家族と犬の相性が違うことを教えられました。犬は、狼から犬に進化したと言われています。1万年以上も人間の友として生きてきました。イソップの童話では、犬は欲張りのように書かれています。川を覗いたら、肉を加えている犬をみたために、もっと食べようと思って口を開いたら、その瞬間、口から肉が川に落ちた話は有名です。しかし、犬は情に厚く、人を愛していると思います。高校時代の英語の教科書に以下のような話がありましたので、ここに紹介いたします。
 A Faithful Dog(忠実な犬)
 これは今から200年程前のこと、アメリカの話です。一人の男が馬に乗って旅をしていました。馬の背中には、沢山のお金が袋に入っていました。疲れを感じた男は、馬を木に繋いで一休みすることにしました。タバコに火をつけて一服していました。そこへ、どこから来たのか1匹の犬がやってきました。「なかなか利口そうな犬だな!」、男はそう言って、ズボンの中にあったソーセージを犬に与えました。一休みして、男は馬に乗って出かけようとしました。すると、犬がワンワン吠え始めました。その男は、もっと食べ物が欲しいのかと思っていましたが、旅を続けることにしました。すると、その犬が吠えながら後を追いかけ、馬の前に立ちふさがりました。「うるさい犬だな。俺の仕事の邪魔をするな。」男はそう言って腰から拳銃を抜いて、犬を目掛けて銃を発射しました。犬は、鳴きながら戻っていきました。その時、男は、はっとしました。馬の背中にくくりつけたはずの大金の入った袋がないのでした。男は、馬の向きを変えて、先ほど休んだ所に戻りました。そこには、彼の大切な大金の入った袋があり、先ほどの犬が倒れて死んでいました。犬は、飼い主ばかりではなく、人間に忠実なのですね。「フランダースの犬」も悲しい話ですが、パトラッシュの存在で、主人公ネロが、貧しく苦しい生活の中で、どれほど慰められ、励まされたか分かりませんね。
 我が家も、3匹の犬に慰められ癒された幸せな人生だったと感謝せずにはいられません。私は、今では病気のために、犬と散歩はできませんが、私の健康のために助けてくれた「チロ」に感謝しています。犬も歩けば棒に当たるは、二つの意味があるそうですが、犬と歩けば何か良いことにあうよと、理解したいですね。
 あなたは猫派、それとも犬派ですか?



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