第31回 私の読書ノート(2)




 参議院選挙も終わり、8月になりました。投票率が、52.61%と戦後3番目に低いことに、残念に思わずにはいられません。1945年までは、女性には選挙権がなかったのですから、唯一の政治に参加するチャンスがあるにも関わらず、人口の半分の人たちが棄権しました。これから日本でおこることの責任は、投票した人、しなかった人の全てに関わって来ると覚悟をしなければなりません。そのことについては、改めて33回の時に書きたいと考えております。
 さて、今回は戦争にまつわる本について紹介をさせていただきます。
1 野坂昭如著「火垂るの墓」
 この本をお読みになった人も沢山いらっしゃることと思います。映画にもなりました。時は、第2次世界大戦中のこと、所は神戸の話です。主人公は、中学生の清太と、幼い節子です。清太の父親は軍人で、海外で戦争中でした。母親は病気で亡くなり、母方の叔母の家に預けられました。最初の頃は、叔母の家では、清太と節子のことを大切に待遇してくれましたが、戦争が次第に激化し、神戸大空襲を機会に、食べ物も少なくなると、清太の家に送られて来た食料を、叔母たちが食べるようになり、清太と節子は、結局その家を出ていかなければならなくなりました。清太は、妹のために食べ物を調達しますが、最後は金もなくなり、ドロップだけが残りました。そして、節子は夏の夜、幼い命を亡くすのです。節子を火葬し、ドロップの缶の中に、小さい骨だけとなった節子を入れてやるのでした。蛍の飛び交う夜でした。節子の命も、蛍のように短い命でした。その後、清太も神戸の駅で力尽きて死んでしまいました。これでこの物語は終わりました。
 この物語は、野坂さんの経験に基づいた作品です。妹さんが戦争中、若くして亡くなりました。そして、彼も少年時代、苦しく貧しい生活を送りました。これは、物語ですので、すべてが史実とはいえませんが、筆者の反戦への気持ちが伝わってきます。8月15日になると、野坂さんは、防空頭巾をかぶるという習慣を継続しています。平和への祈りだと思います。
2 妹尾河童著「少年H」
 この物語も、本人の体験に基づく物語です。妹尾さんは、何故か、母親の考えで「H」という頭文字を、洋服に縫い付けられて「H君」と呼ばれていました。父親は、消防団に勤めており、母親は熱心なクリスチャンでした。父親も、クリスチャンでしたが、この二人には多少異なる意見をもっていました。父親は「時代がこういうときなんやから、あまりキリスト教の事ばかり言うたらあかんやで。」と、母親に話していましたが、母親は、「何を言うてんの、神様が一番やで」と、言い通しました。戦争が激しくなり、父親は消防団で仕事をしていたので、戦争に召集されることはありませんでした。しかし、キリスト教徒ということが分かり、父親も数日間、憲兵隊から厳しい取調べを受けました。消防団員として、働いているので、父親は間もなく家に戻ってきました。少年Hは、両親がキリスト教徒ということで、友人たちから、からかわれたり意地悪をされましたが、H君は、明るく生きていきました。物語の中には、赤紙を受け取った青年が、出兵する途中、脱走して自殺するという出来事もありました。戦争に行って死ぬことが怖かったのです。そのような話は、当時、かなり多くあったようです。「非国民」、「売国奴」と、周りの人たちから非難されることを恐れて、国民の多くは、大本営の放送を信じ、日本は必ず勝つと信じて疑いませんでした。
 私がこの本で、驚いたのは、小学校では、軍事教練のひとつとして、授業の中で、リヤカーを戦車に見立て、生徒たちが校庭に穴を掘り、リヤカーが来たら、その穴に隠れるという、来る日も来る日も繰り返し練習をしたということでした。H君は、毎日飛来する米軍機を山の上から見て、これじゃ、アメリカには勝てないと、子どもながらに思ったそうです。戦争が終わってから、少年Hの家庭は、ご多分に洩れず、苦しい生活でした。長屋の生活でしたが、父親は、ミシンを使っての洋服屋を始めました。戦争で親や兄弟を亡くした家は貧困のどん底でした。H君の家で魚を焼いていると、隣の家の壁に穴が空けられ、子どもたちの羨ましそうな二つの目がこちらを覗いていました。母親は、直ぐに、その家族を招き入れて、少ない食べ物を共に分かち合いました。そのような、貧しさの中でも、助け合う、心温まる物語で終わっているのに慰めを感じます。
 戦争中、キリスト教は、敵国の宗教だからということで、弾圧されました。また、国に協力させるために、様々なキリスト教団体を一つに統合させられました。憲兵隊に逮捕されたキリスト教信徒も沢山おり、拷問を受けて、獄死した人もいると聞いております。「取調べでは、天皇陛下と、イエス・キリストのどっちが偉いのだ?」との質問が繰り返し問いかけられました。「恐れ多くもそのような質問には答えられません。比較になりません。」と、答えるように、多くの教会では伝わっていたそうです。しかし、牧師の中には、「唯一の絶対の神と、人間の天皇とを比較するなどということは問題になりません。」と、答えるとそれは、非国民だということになり、投獄されました。戦後、その敵国であったアメリカと、今では唯一の友好国となっているのも、不思議な関係と思います。国民が、自分の判断で考え意見を言えない、言論統制の恐ろしさを思わずにはいられません。戦争中、視覚障がい者も様々な協力をしました。国のために使ってもらおうと、戦闘機を1機寄贈しました。また、軍人たちのために、マッサージの奉仕をしました。そして、視覚障がい者は聴覚が優れているので、米軍機を聞いて、日本に接近したら報告するようにとの命令もあり、岐阜県立盲学校では、そのための特別訓練がなされました。最近、米軍機を録音したレコードが発見され、飛行機が地上1千メートルから5千メートルまでの音の違いが録音されており、視覚障がい者は一生懸命に聞き分ける訓練をして、生徒の中には、それができた人もいたと聞いています。
3 アーネスト・ヘミングウェイ著「誰がために鐘は鳴る」
 これは、1937年のスペイン内乱に、作家本人が出向き、取材を元に書き下ろした長編小説です。映画にもなりました。アメリカの若き青年、ロバート・ジョーダンは、スペインのゲリラたちと共に、人民戦線に参戦し、フランコ政権と戦います。三日間の物語です。目的は、鉄橋を爆破するという目的なのですが、その間に、マリアという女性と恋をします。マリアは、地元の村に住んでいますが、愛を告白するロバートに、彼女がどんなに酷い目にあったかを告白します。しかしロバートは、マリアを愛し、その人民戦線の一人として、危険な鉄橋爆発へと向かいます。「自分はなんのために、こんな危険な戦いをするのか、それは愛する国のため、マリアのためだ。」と言って、出かけるところで物語は終わります。
 私は、「誰がために鐘は鳴る」を高校生の時に読み、感動した記憶があります。ヘミングウェイは、ノーベル文学賞を受賞しています。代表作としては、「武器よさらば」、「陽はまた昇る」、「老人と海」等があります。
 戦争にまつわる本は数多くあります。「はだしのゲン」は、広島に原爆が投下されたことを中心に、たくましく生きた少年ゲンとその仲間たちを通して、戦争の悲惨さを訴えております。また、井伏鱒二の「黒い雨」は、広島に原爆が投下された後、娘が被爆し、癌に侵されていく様子を克明に描写されています。
 私は、戦後生まれた者です。戦争の本当の経験はありません。しかし、今日でも、シリア、エジプト、イラク、アフガニスタン、スーダン等では、内戦が続いています。子どもたちをはじめ、市民が戦争の犠牲者になっていることを忘れてはならないと思います。戦争に従軍した看護師たちの物語も沢山あります。8月9日以降、ソ連軍が宣戦布告をした時、北海道、北方領土で仕事をした女性たちが尊い命を奪われました。戦争のために、犠牲となった人たちのことを思う8月にしたいと私は思います。安部総理が、8月15日にどうするか、小泉総理と同様の行動を取るか、私は注目しています。日本は、平和を作り出すための国となることを、切に願っております。「君死にたもうことなかれ」とは、戦争に行く弟への与謝野晶子の言葉でした。



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