第32回 平和について考える




 こんにちは。お元気ですか。8日から甲子園で高校野球が始まります。本県からは作新学院が3年連続出場します。小針監督は、我が家の娘と小学校、中学校、高校と同級生でした。地元の出身ですので、今年は決勝戦まで進撃して欲しいと願っています。願わくば、62年の全国優勝から数えて51年!あの夢をもう一度、見させて欲しいです。
 ところで、8月は、私たち日本人にとって、平和の尊さを考える時ではないかと思います。まず、始めに、8月6日の下野新聞の第1面に掲載された「意見広告」をご紹介いたします。これには、私もささやかながら協力させていただきました。協力した人の全員の名前が出ているとのことです。また、今回のために、責任者の了解をいただいております。以下、意見広告の原文です。
 広島と長崎に原爆が投下されてから68年目の夏、核兵器のない平和な世界の実現と、放射能被害をもたらす原発によらない再生可能エネルギー政策への転換を日本政府に求めて、私たちは25回目の意見広告を掲げます。この1年、国連の場では「核兵器の廃絶の履行を求める決議」や「核兵器禁止条約の交渉開始を求める決議」が圧倒的多数の国々の賛成を得て、可決されました。これは2015年の核不拡散条約(NPT)再検討会議など、「核のない世界における平和と安全を達成すること」という国際政治の目的に向けたステップです。ところが、歴代の日本政府はアメリカの「核の傘」に依存する「核抑止力」の立場をとり続け、世界の流れに逆らってきました。私たちは日本政府がこうした態度を改めるように求めてきました。東京電力福島第1原子力発電所事故から2年余を経ながら、なお多くの人々が苦難を強いられています。東電は原発再稼動を容易にするために、事故が地震ではなく津波によって引き起こされたとする立場をとり、電力会社は地震を過小評価して活断層問題を避けようとしています。また、原発推進の自民党政権下で、原子力規制庁が策定中の原発の新基準づくりは、国民多数の原発ゼロ・脱原発の声をよそに原発再稼動を基調に進められています。独立した2系統の電源確保や第2の原子炉制御室設置を先送り、活断層定義を歪曲、加えて使用済核燃料の処分方法が未確立であるなど、原発再稼動は到底許せません。この半年あまり、県内においても、様々な団体が主催した集会・パレード、講演会などを通じて原発反対の市民運動は高揚しました。昨年11月11日に行われた「さようなら原発栃木アクション集会・パレード」には2500名余の市民が参加して国会周辺の“反原発10万人集会”と全国原発反対の行動に連帯しました。その後も宇都宮における3月10日の“まちなかパレードと講演会”、県北地方における活動をはじめ、県内各地で原発反対の市民運動が行われました。私たちはますます強まる国内外の核兵器廃絶の流れに沿って、新の非核三原則(持たず・つくらず・持ち込ませず)をつらぬき、原発を止めさせて再生可能なエネルギー政策へ転換することを訴えます。(以上です)
 今回私は、福島第1原発について、そして、電力不足についての個人的見解を書かせていただきます。
1 東京電力の無策は徹底検証されるべきである。
 あれから2年半を過ぎようとしています。しかし、汚染水がタンクに溜まり続け、この秋には満杯になりますが、どうしたら良いか、決められていません。毎日、流れ続けて、間もなく満杯になる汚染水のタンク。さらに酷いことには、汚染水が地下水となり、海へ流れ続けていることが、6月19日頃から分かっていました。しかし、公表されたのは、7月25日と、一月も遅れていました。これって本当かな?実は、最初から垂れ流しになっていて、隠蔽工作をしていたのではないかと思うのは私だけでしょうか?ロシアに亡命している、もとCIAのエドワード・スノーデンさんならば真実を知っているのではないでしょうか。報道されているのは、5千トンが海に流れ出ているというのです。これからどのようにして、多量の汚染水を止めるのか、処理するのか、東電ではお手上げと言います。東電がお手上げなら、私たちはどうなるのですか?トイレのないマンションです。
 選挙中に、「原発で自殺をした人は誰もいない」と言った大臣がいました。先日、病に倒れた吉田昌郎元福島原発の責任者も、犠牲者の一人ですし、原発の結果、自殺をした人は、酪農家、農業従事者等、千人におよぶと言われています。それでも、安倍総理は、安倍のミクスの流行に乗って、何とか原発再稼動をしようとしています。参議院選挙の後、「また、福島のように原発が水素爆発をしたら、誰が責任をとりますか?電力会社ですか?」との新聞記者の質問に対して、石破幹事長は、「それはあってはならないことです。しかし、絶対はありえないということが分かったのですから、そのようなことが起きたら、国家・政府の責任となります。」と明言していました。しかし、明言ですむのでしょうか?村や町を離れた福島の15万人はどうすれば良いのでしょうか。そればかりか、観光客が来ない茨城、栃木県等、何百万人という人が、大変な被害にあっているのです。
2 原発を守るために、新電力開発に消極的。
 原発が稼働しているのは、2機だけです。これも稼動しなくても、停電も全くなければ、節電の呼びかけも次第に小さくなっています。むしろ熱中症から「健康のために、エアコンをつけましょう!」との、アナウンスが大きくなりました。問題なのは、円安が進み、ガソリン、灯油が高くなり、火力発電の経費が上がりそれに合わせるように、2ヶ月続いて電気代が値上げされています。もうすでに、電気代が10パーセント上昇しました。「だから、原油輸入よりも原発が良いのですよ」と、電力会社と経産省は言いたいばかりで、世論の誘導をしているとしか私には思えません。新潟県の泉田知事に対して、安倍政権は、原発を認めるように圧力をかけています。「電気代が上がるのは、おまえのせいだぞ。」と言い続けています。橋下市長にした脅しと同じです。市長はやむなく関西電力の原発稼働を容認せざるをえませんでした。
 さて、ここでひとつ貴重なデータを私は知りました。日本で、ソーラーシステムによる電力の発電能力ですが、皆様どのくらいあると思いますか?もし、日本のソーラー電気(太陽エネルギー)を利用しての電力ですが、1260万キロワットだそうです。しかし、現在使われているのは、家庭用84万キロワット、企業用40万キロワットと、稼働率の10パーセントにしか過ぎないのです。1260万キロワットは、原発の10機分に相当します。栃木県内の総電力は、260万キロワットあれば運用が可能です。では、なぜソーラーシステムによる電力開発が進まないか?それは、電力会社が妨害をしているとしか思えません。家庭での太陽光による電力は、1キロワットを、42円で電力会社が買い上げてくれます。これは、そうとう高い額になります。電力会社に言わせれば、「原発ならば、1キロワット当たり、10円ですよ」となります。しかし、これは単なる計算だけで、原発への被害補償、除染、廃炉を計算したら、42円どころか、百円、千円になるのではないかと思います。ある試算によると、百兆円はくだらないというのです。それでも、原発を推進したいのです。私たちの年金や所得から、昨年来、復興税として、2.1パーセントの税金が引かれているのです。8月1日に発表された「復興税」ですが、昨年度、9兆7千億円のうち、3兆4千億円が使われずに残っているというのです。選挙が終わってから、意図的に公表されたとしか、私には思えません。
 それでは、1260万キロワットの可能なソーラーシステムがどうして推進されないかです。例えば、ソフトバンクが、北海道にメガソーラー電力会社をスタートしています。広大な土地を利用して始めようとしました。しかし、そこから前進できません。広い場所があり、発電できるのですが、そこからの送電には、電力会社の協力がなければ電気は送ることができません。結論は、電力会社こそ、規制緩和して、もっと自由に競争をして、電気代を安くすることです。原発にしがみついているだけでは、道は開かれません。
 もう一つの理由は、ソーラーシステムのパネルは、主に中国で生産されていますが、材料不足もあるようです。地熱発電も、温泉地では、開発されて来ています。百万円程、資本を投入すれば、お湯ですから無駄がありません。お湯が枯渇するのではとの心配もありましたが、現在は改善されています。原発は、絶対安心という、神話を信じて来た日本の政府、マスコミ、電力会社による「すりこみ」にしか過ぎませんでした。それは、「日本が戦争をすれば負けることはない」と、同じようなことではなかったのかと思うのです。
 では、これからどうしたら良いか。私は常日頃、私たちの社会では、あまりにも無駄が多すぎると思うのです。24時間店が開いているコンビニが日本には、10万店舗あると聞きます。私たちのライフスタイルをきちんとすれば、コンビニだって、10時に閉めれば良いと思います。夜中に買い物をしたい人は、予め買っておけば良いのではないでしょうか。もう一つ、視聴率10パーセントをめぐってのテレビです。12時に、番組を終えれば充分です。今や、テレビよりも、レンタルビデオ、インターネットの方が利用率は高いと思います。お笑いの番組がほとんどで、若者たちからも、テレビからそっぽを向かれ、中高年からも「最近のテレビはつまらないね」との声が大きくなりました。私の好きなジャイアンツも、視聴率は9パーセントを上下しており、サッカーの国際大会が、40パーセントなのです。テレビの時間を短くするだけで、電気料は相当節約されます。テレビがなくてもラジオがあります。
 平和を思う時、広島の原爆で犠牲になった15万人、長崎での8万人、そして、沖縄での24万人の犠牲者を無にしてはなりません。太平洋戦争では一般市民80万人を含む310万人が命を亡くしました。一人ひとりの命の尊さを思い、今、生きている私たちが、何をすべきか、日本人が問われていると思うのです。給料を上げて欲しい、年金ももっと欲しい、生活も豊かになりたい……。私たちの欲望は果てしなく膨張して行きます。ですから、振り込め詐欺、投資詐欺、保険詐欺がとどまる所を知りません。
 平和とは、幸せなこと、幸福なことだと思います。この時がいつまでも続けば良いと感じるならば、それは幸せ、平和の時と、思います。京都にある龍安寺(りょうあんじ)と、聞きましたが「足ることを知りなさい」と、書いてあるそうです。日本人だけが豊かであるよりも、貧困にあえぐ、20億、30億人の貧しい国と人を思いをはせることこそ、真の「グローバル社会」と言えるのではないでしょうか。1日1ドルの生活をしている人が世界には16億人いると言われているのです。「私は地球人たること」を分かち合いたいと願います。
 7月31日の朝日新聞の天声人語の一説に、沖縄の人から、ある時、「私は日本人でしょうか?」と、聞かれたことがあったと書いてありました。福島の人たちが今、「私たちは日本人でしょうか?」と、心で叫んではいないかと、私は感じています。このように、多くの人たちが悲しみ苦しんでいる日本は、本当に平和の国といえるのでしょうか?戦争で犠牲になった人たち、今なお世界で争いが続いていることに思いを寄せたいと考える最近です。
 



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