第37回 クラス会、あれこれ
みなさん、こんにちは。お元気ですか?10月に入ると、何となく落ち着かなくなるのは私だけでしょうか?もうあと3ヶ月となりました。モズの声も聞こえる頃かと思います。退職をした私には、それほどあわてることはないのですが、1年が終わるということに、何となく落ち着かなくなります。物寂しさからかも知れません。
さて、今回は私たちのクラス会の思い出を書きたいと思います。
昨年、「我が人生旅日記」で詳細に書きましたので、ここでは細かいことは省略します。1958年に、栃木県立盲学校に入学した私のクラスは4人でした。それから中学部、高等部専攻科と進み、卒業する時は9名でした。72年の3月に卒業した私たちは、はや41年が過ぎて、多少の差はありますが、ほとんどが62歳になりました。そしてこの9人が、これまでに思わぬ病気になったことはありますが、とにもかくにも、みな元気で、1年に一度のクラス会をほぼ毎年続けているのも珍しいと言われています。この41年間で、クラス会が開かれなかったのは、1回か、2回かと思います。私たちのクラス会はお互いに忘れないようにしようということで、最初の25年くらいは、毎年1月15日の成人の日に行っていました。しかし、それぞれが結婚をしてからは、出産・入学・成人式とか、大学受験等とぶつかり、都合の悪い人が多くなりました。さらに加えて、どういう訳か、成人の日に雪が降る日が多いのでした。そんなこともあり、ここ15年は寒い冬は取りやめにして、夏の頃に行うようになりました。私はクラス会と書いていますが、実は、私たちが卒業して2年を過ぎた頃から、1年、2年下のクラスにも声をかけての、拡大クラス会となりました。さらに知人・友人・家族も増えて行きました。卒業してから10年もすると、参加者は多い時には30人にもなり、平均して20人前後は毎年集まって、それはもう、にぎやかで楽しいクラス会となっています。幹事は、毎年交代で行っているので、場所もその年によって変わります。
これまでに家族ぐるみでの宿泊の交流会も数回ありました。鬼怒川温泉が2回、塩原温泉が2回、日光市湯西川温泉などにも宿泊しました。若い頃は吉沢君と私が幹事で、鬼怒川に宿泊を企画しましたが、みんな都合が悪くなり、オジャンになったこともありました。そのクラス会の中で、忘れられない思い出がいくつかあります。卒業して3年目の頃だったかと思います。私たちより、2学年下の歌姫たちの沢山いるクラスにも来てもらいました。その中の一人に増田君は密かに心を寄せていました。そして夢が叶って、彼女からお酌をしてもらう時、増田君の手が「ガタガタ」と震えてしまって、指先からお酒をこぼしたという「こぼれ話を今回、聞くことができました。その夢は、はかなく消えましたが、思い出は楽しく残りました。正に、思い出酒でした。
それから数年後、私たちが鬼怒川温泉に宿泊した時のことでした。皆元気な28歳頃だったと思います。旅館で宴会をして、私たちは鬼怒川温泉の町を散歩していました。80年頃でしたから、温泉街も活気がありました。夜の10時頃かと思いますが、1台の車が私たちの近くに停車しました。運転手が1人、若い女性が2人、乗っていました。そしてドアが開いて、私たちに向かって「ねえ、遊んで行かない?」という声が聞こえました。私たちの大半は、そのような話には乗らないことが賢明だと思っていましたが、ほろ酔い気分の1年後輩のN君、「僕、女の子、何にも知らないの?教えてくれますか?」と言い出しました。するとその女性、「いいわよ、優しく教えてあげるわよ。」と言うではありませんか。あわてた私たち、N君に「おいおい、調子に乗ってそんな所に行くなよ。」と、必死に止めたものでした。全盲の彼が、わけのわからない所に行ったりしたら、財布は空っぽになって帰って来ることでしょう。飲んだ勢いとはいえ、危ない、危ないです。
次に私が幹事をした時の思い出です。確か今から15年も前のことかと思います。1月15日の成人の日にクラス会を企画しました。場所は、今はなくなってしまった、宇都宮市内の大山肉屋でした。町の中でもあり、料金も手ごろ、2次会のカラオケ、さらに締めは、ラーメン屋も近いので決めました。ところが、前日の朝から大雪が降り始めました。あわてた私、できれば別な日にしようかと思って、店に電話をしました。すると、「もう昨日から20人分の料理をしこんでありますよ。」と、言われてしまいました。こうなるとやるしかありません。翌日の成人の日です。雪は止みましたが、積雪15センチでした。はたして何人が来てくれるかなあ?と、不安と心配で落ち着きませんでした。しかし、あんずるなかれ!申込んでくれた仲間たちが全員来てくれました。ありがたいこと!日光の増田君等は、日光駅で「これから宇都宮にタクシーで行くのですが、どなたか一緒に行きませんか?」と、大きな声で呼びかけたところ、2、3人が便乗して、料金もそんなにかからなかったというのです。「臨機応変」、判断力の良い彼に感服でした。もつべきものは頼りになる仲間たちです。また、5回の泊りがけのクラス会の中で3回、私は当時、小学生の二人の子どもと一緒に参加しました。23年前のこと、吉沢君が幹事で、塩原温泉の橋本旅館に宿泊しました。私はお風呂に入ることもあり、5年生の息子と泊まりました。1月14日から15日にかけてのクラス会だったと思います。朝になって、廊下で、ばったり出会ったのが、妻の実家の娘、つまり義理の姪でした。これには驚きました。妻の実家が大田原市なのですが、青年会の新年会で泊まりに来ていたのでした。偶然とはいえ、その不思議さに驚いてしまいました。
さて、私には忘れられない失態がありました。つい4年前のこと、幹事は吉沢君でした。確か2月16日の日曜日ではなかったかと思います。場所は宇都宮駅東にある、ポートホテル(以前はフェアシティーホテル)でした。12時からスタートしたのですが、飲み放題は良かったのですが、その日はホテルということもあり、私は美味しいビールをグイグイといただきました。それから2次会は同じ駅東にある、カラオケ「歌うんだ村」でした。悪友・増田君が、栃木県鍼灸師会の研修会を終えて、2次会からの参加となり、その他数名も加わって、宴はますますにぎやかになり、当初2時間のカラオケも3時間となりました。1次会で、すでに出来上がっていた私ですが、3時間の2次会までは、何とか、しっかりしていたと思います。飲めや歌えの3時間が、あっという間に過ぎました。幹事の吉沢君が、何台かタクシーを手配してくれたのですが、私は「自分が普段利用している、陽西タクシーを使うから大丈夫だよ」と、断ったのでした。これが大きな間違いでした。私は携帯電話を使って、陽西タクシーに電話をしたのですが、何度かけてもタクシーは来ませんでした。真冬の寒空、それでも私はタクシー会社に電話をかけ続けました。「もしもし、阿久津ですけどね。あのポートホテルにいるのですけど、タクシーはまだですか?」、いったい何度かけたことかと思いますが、タクシー会社の受付の人、「阿久津さん、あんたはポートホテルにはいないよ。フロントに聞いたり、泊まる人の確認をしたけどいないんだぜと、いったいどこにいるの?」と、いうではありませんか。その時です。カラオケハウスから出てきた女性が、「お客さん、ここは、ホテルではなくて、歌うんだ村」カラオケ店ですよ」と言われて、私は絶句してしまいました。飲み過ぎ、思い込み、勘違いでした。寒空の下、1時間は過ぎていました。タクシー会社には、平身低頭、お詫びの連続でした。それからというもの蟄居謹慎して、2次会のカラオケには、要注意です。みんな気分が良くなると、たいていの場合は1時間延長ですからね。
家族でカラオケに行く時は、4時間楽しんでも、考えながら飲むので、酩酊することはありませんが、昔ながらの仲間と一緒になると、我を忘れて童心に帰るのです。私の先輩の中には、忘年会の帰りかと思いますが、自分の家だと思って、元気良く「ただいま」と家に上がりました。すると、「あら、今日はずいぶんご機嫌が良いのですね。」と、奥さんの声とちょっと違う声が聞こえました。その人、あれ、おかしいなあ?と、思っていると、「あの、お宅は隣の家なのですけど」と、言われてしまいました。落語のような本当の話のようです。私のように、足元がフラフラする病気をもっている者は、くれぐれも気をつけなければならないと自戒しているのですが……。カラオケは楽しい、されど飲み過ぎにはご用心ですね。
私たちのクラスメイトは、みな元気にもみじの人生を迎えていますが、1つ下の後輩の中では二人が天国へ旅立ってしまったことは悲しく残念なことです。鬼怒川温泉で元気だったN君、32歳で心筋梗塞のために1夜にして亡くなりました。また、高等部の時に、放送クラブで一緒に頑張った、中村君は7年前に54歳で亡くなってしまいました。その他にも、最近、先輩や後輩、さらには盲学校に勤めていた時の教え子たちが、若くして数多く天国へ旅立っています。夜、目が覚めると、その人たちのことを思い出すことが多くなりました。
☆付録☆
ある盲学校での話ですが、先生たちが飲み歩き、階段から落ちて、骨折をした人がいたと聞いています。後日、校長先生から厳重注意がありました。念のために栃木盲学校ではありませんでした。階段を下りる時には気をつけること、できれば階段は利用しない所が良いですね。命あっての楽しみですね。
良いニュースは、私たちのクラスの中から一組のカップルが誕生したことです。橋本京子さんと大月君が、30歳の時のクラス会で久しぶりに隣りあわせになって、話しをしたことがきっかけとなり、めでたくゴールインしました。つい最近その息子さんが、結婚をしたと聞きました。じーじ、ばーばとなることを祈っています。これからも、仲良く「暮らすかい?」で生きたいものです。
次回は10月19日を予定しております。
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