第38回 時代の矛盾
9月28日の天声人語に次のようなことが書かれていました。91歳の認知症の方が線路の上を徘徊していて、電車にひかれました。JRは、介護をしていた妻に対して、720万円の賠償金を請求したというのです。24時間、昼夜をとわずの老老介護です。これはあまりにも過酷なことではないでしょうか。鉄道と利用客に迷惑をかけたことは間違いがありません。しかし、24時間介護をしていた妻に対しての賠償は、高齢者の増えている日本では過酷過ぎるのではないでしょうか?このような話は、これからますます増えて行くことでしょう。このような事故に対しての保険制度が必要ではないかと、つくづく思うのですが、皆様は如何でしょうか?特養に入居したくても、100人以上の人たちの空くのを待たなければなりません。また、入居すれば、月額13万円近く費用の負担がかかります。所得によっては、2割負担になるという話しも出始めました。その前に、2ヵ月ごとに、老健施設を何回も引越し、しなければなりません。私の義母は、88歳でしたが、2ヵ月ごとに4回、施設をぐるぐる移動しました。どんなに辛かったことかと思います。これもケアマネージャーの指示によるもので、厳しい現実でした。10年、同居した義母が亡くなって、11月で、はや5年になります。介護保険とは、いったい何なのでしょうか?「百年は心配不要」と、言われていました。
また、最近では、病院に入院すれば、点滴をしていて、食事は食べられないというのに、ゼリー状の食事が否応なく3回配られ、月末になると、食事代として、数万円の請求が来ます。病院経営上、それをしないと立ち行かないのかと思います。しかし、これは患者中心ではなくて、経営のためであり、仁術ではなくて、算術の時代ではないかと思います。一月、個室に入院すると、80万円の請求が来ました。医療費については、高額医療補助が出ます。しかし、支払うべき請求は50万円になるのです。日本の社会も、貧富の差が広がり、格差社会が蔓延しています。
また、個人情報の保護と叫ばれていますが、若者たちは、ラインといって友人立ちでメールで繋がり、互いに噂話、非難、中傷をした結果、島根県では、16歳の少女が仲間たちによって、殺害されました。10月8日にも高校3年生の女子生徒がフェイスブックで知り合った男性によって、ストーカーから突然殺害されるという被害が起きました。両親の気持ちを思うと言葉がありません。私のことを分かってよ!とばかりに、SNS(ソーシャルネットサービス)で、プライバシーがスマホを始め、ネットで誰がどこで食事をして、何を食べたかまで、公表する人が多くなりました。会社では上司に気を遣っている社員が、休日、家で休んでいると、SNSに登録させられて、「いいね」というところをクリックしないと、「何だ昨日は、俺のツイッター見なかったの」と言われる職場もあると聞いています。休日くらいは、ゆっくりさせて欲しいのに、どうして管理されなければならないのだ。スマホ・iphone・タブレット、私には何のことやら、さっぱり分かりません。我が家の高校生の娘は、さっき学校から帰って来たばかりなのに、夕食を終えると、早速、携帯のラインを開いてのチャットに入るのです。学校では相談できないこともあるんだよ、との娘の言葉、そんなこともあるかも知れませんが、次の日に話せば良いのではと私の言葉もうわのそらです。メールやライン依存症に完全に、はまっていますね。そんな私も、いつの間にか、インターネット依存症になっていると思います。家族で見るテレビ番組が、つまらなければ、私の手は、自然にパソコンに手が伸びるのです。世の中は、便利になっているのに、不思議な社会、矛盾した社会へと変貌しているのではないでしょうか?
先日のニュースの中で、フィギュアの安藤美姫さんが出産しました。すると、それに対して、賛成か、反対かの意見までネットで炎上をしました。世の中は、身内か、仲間でないかで判断をしているように感じられます。安藤美姫さんの出産にしても、家族の中のことならば、赤飯を炊いてお祝いをしても良いのではないかと思うくらいです。ヘイトスピーチは、在日韓国人を批判してのデモをしますが、安倍昭恵さんは、「どうして、日本と韓国が仲良くならないの?私は仲良くなりたいわ」と、総理とは別行動を取りました。このように、個人とプライバシーは守るべきだといいながら、実際は、個人のプライバシーを守るどころか、自ら公表する時代へと変わっていませんか?
また、私たち中高年も、人が恋しいのかも知れませんね。ラジオ番組を聴いていると、同じ人が、あちこちのラジオにメールを書いています。自己の存在を確認したい、してもらいたいとの欲求があるのです。人間には、生きたい・知りたい・仲間になりたいとの三つの欲求があるそうです。この欲求がないと人は孤立し、独善的になって行き、向上心がなくなって行くのではないかと思います。最近、「絆」と、良く言われますが、現代社会よりも江戸時代・戦後の貧しい時代、「3丁目の夕日」や「フーテンの寅さん」の時代の方が、堅い絆で人々は結ばれていたと、私はつくづく感じています。宮沢賢治の「雨にも負けず」が、まさにそれを物語っています。
さて、ここで時代の矛盾としかいえない二つの点を書きます。
1 TPPとデフレ脱却
日本の政府は、デフレから脱却してインフレにして、経済効果を計ろうとしています。そのために金融緩和で日本銀行から10兆円とも言われる程のお金を国内にバラまいています。インフレにして、物価を押し上げ、国民の賃金を上げて、景気を良くしたいという、3本の矢と言われています。他方、TPPに加わってバスに乗り遅れまいとしています。しかし、TPPとは、基本的にはそれぞれの関税を撤廃して、規制緩和をして、自由貿易にしようとするものです。本当に自由貿易になったら、外国からドンドン考えられない程の安い値段で入る訳ですから、実態は、これまで以上のデフレになるのではないかと思います。例えば、米にしても、カリフォルニア米、オーストラリア米等は、味も良いと聞きますが、それらが関税撤廃で日本に来たら、現在の国内米よりも半額以下になることと思います。その他、野菜にしても、衣料品にしても、物価は安くなると思います。これは、私たちの生活を考えれば歓迎すべきことと思います。しかし、それは同時に労働者の賃金もカットされてしまうことになると思うのです。ここ10年間で、私たちの給料は10パーセントカットされました。
そもそも、アメリカはTPPで日本を巻き込み、郵便貯金に手をつけること、保険業の規制緩和に着目しています。例えば、自動車の保険について、軽自動車の保険が安すぎるとアメリカは主張していました。最近では、大型車の保険も軽自動車なみにしてはどうかというようになりました。それは、外国車の関税をグンと安くして、日本での販売ルートを広げたいとの意図があると言われております。
このTPPとデフレ脱却には大きな矛盾があるのではないかと思うのですが、如何でしょうか?それならば、EPA経済相互交渉で、国対国の経済合意による貿易の方が良いのではないかと私は思います。
結論的には来年以降、消費税値上げによって、当初は物価は4パーセントくらい値上がりするでしょう。しかし、年金は今年1パーセント、来年も1パーセント下がりますから、年金生活者は消費を極力控えます。需要が落ちれば物価を上げたくても、徐々にデフレの方向に向かうと思われます。安倍のミックスは、最終的には失敗するのではないかと私は思います。そして、国民の生活は一層、苦しくなり、格差社会が広がっていくのではないかと心配しています。
「来年は八の力で痛みます」(時事川柳より)
2 原発問題の矛盾
10月1日、小泉元総理が、大変興味深い発言をしました。フィンランドに行って分かったのだが、地中深く使用済みの原発を10万年おいても、どうなるか分からないようなのは、むしろリーダーが原発0を宣言して、環境循環型の政策をとれば良い。日本の原発は解決すべき手立てが全くないのだから、国民の不信感を募るばかりではないか…といったような発言でした。自民党の中にも、そのような人が沢山いる訳ですが、安倍のミックスの力に押されて、なりを潜めています。ところが、政府は日本の原発の技術は世界に誇るべきものである。そう言って、ベトナムやインドに原発を輸出しようとしています。自国では止まることのない汚染水、その一方で輸出をする。地震国である日本で福島第1原発のようなことが再び起きたらどうなるのでしょうか?その時には日本を脱出しなければならないのではないかと思うほどです。絶対安全は、いまや絶対危ないになってしまったと思います。
自国では危険極まりないものを、海外へ輸出するという矛盾を、どのように理解すれば良いのでしょうか?最近の新聞調査の結果で、オリンピック招致の時に、安倍総理の言った言葉、「福島の原発は完全にコントロールされてます。」ですが、国民の9パーセントが信じられる、76パーセントが信じられないとの回答でした。日本のトップの発言の76パーセントが信じられないです。リーダーは元気一杯で海外で、自信たっぷりですが、76パーセントが疑って、こんな矛盾だらけの政治となってしまいました。それなのに、国会は睡眠中です。国会議員を80人減らすとの約束はどこへ行ったのやら……。来年以降、給料が上がるかについては、上がると思うは、22パーセント、上がらないは60パーセントでした。企業も上げる予定は10パーセントでした。もはや国民の大多数が政府を信頼していないのです。にもかかわらず自民党が選挙で圧勝しました。国民の半分程度しか選挙に行かなかったのです。後から文句をいっても「遅すぎます」ね。
ところで、私の尊敬している、関根一夫牧師が東京に住んでいらっしゃいますが、インターネットで教会でのメッセージを配信してくださっています。そのメッセージの中で、深く考えさせられる話がありました。関根先生がオーストラリアの神学校で学んでいる時でした。日本のニュースを聞いたオーストラリアの友人が、「どうして日本では、1年間に3万人以上の人たちが自殺をするの?」との問いでした。先生は、この質問に何とも答えることができなかったと言っていました。私も答えられません。日本でならば、あれやこれやと原因を並べ立てることはできるかも知れません。しかし、97年から2011年までの14年間、毎年3万人を超える人たちが、まぎれもなく自殺をしたのです。合わせると42万人になります。いったいどこの国の戦争かと思うほどです。去年も3万人は下回ったとはいっても、2万8千人にもなるかという数です。この矛盾、どうしたら良いのでしょうか?もはや経済力ではなくて、その支えは人と人との信頼関係、生きる希望を見出すことではないかと思うのです。
最後に、関根牧師から配信されたメールの中から、心に残る文を引用させていただきます。
「この時代に生きる私たちの矛盾」(アメリカのコメディアンである、ジョージ・カーリンが、彼の最愛の妻が亡くなったときに、ボブ・ムーアヘッド牧師の説教を引用し、友人に送ったメールの一部抜粋だそうです。)
ビルは空高くなったが人の気は短くなり、高速道路は広くなったが、視野は狭くなり、お金を使ってはいるが、得る物は少なく、たくさん物を買っているが、楽しみは少なくなっている。家は大きくなったが、家庭は小さくなり、より便利になったが、時間は前よりもない。たくさんの学位を持っても、センスはなく、知識は増えたが、決断することは少ない。専門家は大勢いるが、問題は増えている。薬も増えたが、健康状態は悪くなっている。飲み過ぎ、吸い過ぎ、浪費し、笑うことは少なく、猛スピードで運転し、すぐ怒り、夜更かしをしすぎて、起きたときは疲れすぎている。読むことは稀で、テレビは長く見るが、祈ることはとても稀である。持ち物は増えているが、自分の価値は下がっている。喋りすぎるが、愛することは稀であるどころか、憎むことが多すぎる。生計の立て方は学んだが、人生を学んではいない。長生きするようになったが、長らく今を生きていない。月まで行き来できるのに、近所同士の争いは絶えない。世界は支配したが、内世界はどうなのか。前より大きい規模のことは為し得たが、より良いことは為し得ていない。空気を浄化し、魂を汚し、原子核を分裂させられるが、偏見は取り去ることができない。急ぐことは学んだが、待つことは覚えず、計画は増えたが、成し遂げられていない。たくさん書いているが、学びはせず、情報を手に入れ、多くのコンピューターを用意しているのに、コミュニケーションはどんどん減っている。ファーストフードで消化は遅く、体は大きいが、人格は小さく、利益に没頭し、人間関係は軽薄になっている。世界平和の時代と言われるのに、家族の争いは絶えず、レジャーは増えても、楽しみは少なく、たくさんの食べ物に恵まれても、栄養は少ない。夫婦で稼いでも、離婚も増え、家は良くなったが、家庭は壊れている。
忘れないでほしい、愛するものと過ごす時間を。それは永遠には続かないのだ。忘れないでほしい、すぐそばにいる人を抱きしめることを。あなたが与えることができる、この唯一の宝物には、1円もかからない。忘れないでほしい、あなたのパートナーや愛する者に、「愛している」と言うことを。心を込めて、あなたの心からのキスと抱擁は、傷を癒してくれるだろう。忘れないでほしい、もう逢えないかもしれない人の手を握り、その時間を慈しむことを。愛し、話し、あなたの心の中にあるかけがえのない思いを。分かち合おう、人生はどれだけ呼吸をし続けるかで決まるのではない。どれだけ心の震える瞬間があるかだ。
次回は11月2日を予定しております。
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