ニュースホットドック(10月号)
さくらももこを忍ぶ
さくらももこ 1965年5月8日 静岡県清水市に生まれる。2018年8月15日、53歳で逝去
皆さんこんにちは。季節は、あの耐えられない猛暑から秋の足音がハッキリと聞こえる季節になりました。あちこちで文化祭や運動会がたけなわです。
今回はあえて、平成の漫画家・さくらももこさん(以下敬称略)についての思い出を書きます。
私が、さくらももこを知ったのは、確か91年ごろの、ヒット曲「おどれぽんぽこりん」との出会いでした。盲学校で、体育の先生が、今年の運動会はこの曲をみんなで踊りましょうとの提案で、生徒・職員みんなで練習をしました。
さくらももこの、ちびまるこの漫画は、時々我が家のテレビからも流れていました。私は、何だかばかばかしい漫画だなあ、とぐらい思っていました。ちびまるこの声が、失礼ながら、私の耳には合わなかったのかも知れません。
おどれぽんぽこりんを何度も踊って楽しい気分になったのは間違いありませんでした。
月日が流れ、7年前、私が退職して、宇都宮市総合福祉センターでの、朗読ボランティアによる、対面朗読を依頼した時、「何かおもしろい本が無いかなあ?」と、家出呟いた時、娘が、「さくらももこのほんがおもしろいよ」と言ってくれ、彼女は、20冊も持っていました。
私は、その中から数冊の本をボランティアセンターに持って行き読んでいただき、さくらももこと出会ったのでした。。
さくらももこは、テレビやラジオにはまったく出演しませんでした。一人息子にも、自分がさくらももこであることも隠していたほどですからね。
その代わり、ももこのエッセイを読めば、彼女の全てがありのまま、赤裸々に書いてあるので、エッセイを読めば、さくらももこのすべてが分るということになるのです。
私が読んでいただいたのは数冊です。小学生の頃、高校生を終えて就職して働き出した頃、そして漫画家の人生、家庭内のやり取り…。どれもこれも、ちょっと大げさな表現はありますが、ユーモアにとんでいます。
ここでは、私が忘れられない、ももこのエピソードを記憶のままに書きます。
1 お茶で水虫を治す話
ももこが、ある時、足におかしなものを感じました。母親、「それはおまえ水虫だよ。」と言います。二つ上の姉は、こらももことんでもない、と、言って、姉はももこへの水虫感染禁止10か条を書きます。タオルは自分の物しか使ってはいけない。洗濯は自分の洗濯する…10か条。
さあももこは水虫をどうやって直すかと思います。皮膚科に行きましたがなかなか直りません。そこで、ひらめいたインスピレーション。ここは、お茶で有名な静岡ではないか!お茶なら直るかも知れないぞ!しかし、ももこの考えには、医師でも反対でした。お茶の葉を水虫の幹部に付けて頑張りました。やがて不思議なように、そのお茶の効果が出て、ももこの水虫が治ったのでした。その後、お姉ちゃんに水虫が移ってしまいました。怒り出したおねえちゃん、ももこの言うとおり、お茶の両方を始めましたが、こちらはなかなか直らなかったという話でした。結局は、やはりお茶が水虫に有効であるとの結論でした。
2 雨が降らない時にタンクを買い貯めたお母さん
今年は雨が降らないと天気予報で言ってるよ。と、母親が言って、大量のタンクを買い集めました。家族の人たちは誰も信じません。お母さんは、雨が降らなくて、水が足りない時は、みんなにやらないからね!と、怒りまくりました。
お母さんは、タンクをしばらく物置に入れて雨が降るのをいまか・いまかと待っていました。ところが、その夏は、雨の多い夏でした。かわいそうなタンクとお母さん!、今でも物置の中に眠っていますとの話でした。
3 ももこ、便秘と格闘!
ももこは、ひどい便秘に苦しみ、ついに痔になってしまいました。
ある時など、トイレに立てこもり、2時間も格闘しました。何か,痔を直したい!便秘を治したい!と悩んでいたももこ、ある時、どくだみが健康に良いと聞きつけました。そして、どくだみを、肛門にに入れてみました。そしたらたちまち効果が出てきたではありませんか。便秘から解放され,痔も直ったとのことでした。何でもやってみたいとのももこのチャレンジ精神、漫画家への道もこれで成功したのでしょうね。それいらい、快眠・快弁は、健康の元ですよと、ももこは幸せになりました。
4 ももこが漫画家になった話
高校を卒業して、ももこはアルバイトをあちこちでしました。実家は八百屋です。でも、なかなか長続きがしませんでした。
やっと就職してパソコンを使っての事務員になりました。ところが、しょっちゅう昼寝ばかりの日が続きました。ももこは、店長さんに呼ばれて、どうして昼間から眠っているんだ!お前は夜何をしてるんだ!といわれてしまいました。
店長。それなら漫画家になった方が良いよ。パソコンの上で眠られていては困るからね。務めて半年足らずで、ももこは仕事をやめて漫画家になったという話でした。
5 ももこの父親は外国旅行が大好き
ももこが、事務所を立ち上げて、職場のスタッフと外国へ行く時は、父親も、俺もももこと一緒に外国へいくからね。と言って聞きません。
ある時、台湾へ行きました。そしたら、台風がやってきて、1週間何処にもでられなかったという、悲しい話もありました。はたまた、いろいろなものを食べ過ぎて、一晩父親が下痢で苦しんだのでした。
父親はそれでもこりずに、ももこが、インドへ取材に行く時も、おれも、ももことインドへ行くよと言って、ももこの行くところにはたいていくっついて行ったそうです。
ももこは、一度結婚をしますが離婚をします。そして実家に戻ると、母親がぼやきました。全く、嫁にいかないお姉ちゃんと、でもどりの娘、我が家はどうなってるのかねえ!
そんなときもありましたが、ちびまるこを書いている時と思いますが、集英社の担当者と仲良くなって、ももこは再婚をして幸せになったのでした。男の子が与えられ、息子も、漫画家になったと聞いています。
3階建ての事務所を立てて、10人を超えるスタッフを抱えました。そして、会社あげての忘年会はとっても楽しく趣向を凝らした隠し芸大会だったとありました。
ももこが10年間も癌で苦しんだという話は今回ニュースで知りました。
プライベートな話は、あくまでも漫画でのエッセイだけで自分の姿は出しませんでした。これが、本物の漫画家の生き方なのかとも感じています。
生まれながらの漫画家、笑いが大好き、ユーモアの人生 、さくらももこは、短い人生でしたが、後悔は無いのかと私は思いました。
残された連れ合いと息子さん、事務所の発展をお祈りします。
週刊誌によると、320億円をたたき出し、今後の印税を思えば、我らの心配にはおよばないことでしょう。
私の読書ノート
是枝裕和著 万引き家族
これは映画にもなり、世界からも認められました。カンヌ映画賞です。
私は、最近読書をしました。
細かい話は省略します。樹木希林さんがつい最近亡くなりましたが、この作品では、はつえというおばあちゃん役を演じているそうです。 はつえは75歳、身寄りの無い人たちが6人集まりはつえの年金を頼りに助け合います。
是枝監督は、亡くなった親の年金で暮らしていたというニュースをヒントに、書き下ろした本です。
家族の中で、子どもの虐待、夫婦のDVが耐えません。この作品は、人間の絆、家族とはを私たちに問い直しているのではないかとかんじました。
読書は心のオアシス。10月は読書の秋、芸術の秋です。大いに読書に励みたいと思います。