ニュースホットドック(11月号)
3人の恩師との出会い


 皆様こんにちは。お元気ですか?
 11月に入り、紅葉の季節になりました。 台風26号が秋を惜しむかのように、またもややって来るかも知れません。私の記憶では、台風が、11月28日にやってきたという記憶があります。
 今回は、盲学校時代に教えていただいた3人の先生との再会について書きます。
 9月下旬、私は旭明二先生のいる老人ホームを訪れました。
 旭先生は現在83歳。1958年・昭和33年に、盲学校の教師として赴任されました。どうしてはっきり覚えているか?それは、長嶋茂雄が、立教大学から読売ジャイアンツに、堂々と入団した年、そして、私が小学1年生になった年だからなのです。
 旭先生には、私たちが高校3年生の時の担任で、修学旅行も引率していただきました。さらに、盲学校に就職してから大変お世話になりました。先生は、栃木県立盲学校の校長の時に、23年前に退職されました。
 昨年お連れ合いを亡くされてから、体調を壊して、医療的ケアのある、老人ホームに入所しました。9月の訪問は3度目になりました。
 お会いする度に元気になるお声を聞くことが何よりも嬉しいことです。
 今回は先生の部屋で、1時間近くゆっくり話をすることができました。最も楽しいのは、私の高校時代の、盲人野球の話です。先生は教師の時、退職してからも、盲人野球。今では、グランドソフトボールというそうですが、教師の時には監督・審判をしていらっしゃいました。
 先輩たちの黄金時代、私たちの低迷時代もありました。その後、栃盲は、関東地区でも盲学校野球大会で、何度か優勝をしました。
 旭先生の教員生活の大多数は、盲学校の教師としての人生だったと記憶しております。
 思い出は数限りなくありますが、ひとつ忘れられないことがあります。
 野球部で、放課後5時頃練習をしました。多くの人たちは、学校に隣接してある寄宿舎生でしたが、私だけが、バスを乗り換えての江曽島学園の生徒でした。練習が終わると、私は旭先生に手引きをしていただき、バスに乗り、東武駅前で降りました。それから東武電車に乗るのですが、旭先生はデパートの1階で、「喉が乾いたなあ!」と、言って、牛乳をごちそうしてくださいました。その美味しかったこと!今でも忘れられません。
 そんな、懐かしい思い出を話して、帰宅しました。
 二人目は、小学時代お世話になった、沢村修先生のいらっしゃる老人ホームでした。
 10月のとある日、同講演後の支援を受けて、訪問することができました。
 沢村先生は、私の住んでいる家から数分のところに住んでいらっしゃいました。お連れ合いを10年前に亡くされ、娘さんも、病気のために、亡くなりました。
 一人の生活は大変なので…とのことで、5年ほど程前に老人ホームに入所しました。3年前の、音楽発表会の時には、応援に来てくださいました。その後、私も行きたいと思いつつ、一人ではなかなか行けませんでした。そして、今回再会のチャンスが与えられました。
 沢村先生とは、沢山の思い出があり、わが人生の旅日記にも書きました。今回先生からお聞きしたいことがあったのです。
 先生は1924年に生まれましたので、今年94歳です。戦争の経験をしていらっしゃるだろうと気づきました。私が生徒の時は、まったく聞いた記憶がありません。戦争の体験は思い出したく無い、話したくないという方もいらっしゃいます。
 沢村先生の体験を聞かせていただきたいという願いがありました。
 先生も、おひとりの部屋で生活していました。懐かしい小学生の頃の話をした後で、 「ところで、先生は、戦争の体験をなさったかと思いますが、私たちは、一度もお聞きした経験がありませんが、よろしかったら聞かせていただけませんか?」と、1歩話を進めました。
 すると先生は、「そうだな、子供達には戦争の話はしなかったな。まあ、話しても分かってもらえないこともあるからな」とおっしゃってから、ご自分の体験を話されました。
 それによると、先生は、戦前現在の教育学部、当時の師範を卒業されてから、満州に行ったそうです。1945年の3月に師範学校を卒業されました。それから、満州にある学校で、教師として働き始めました。半年もたたないうちに、日本は敗戦を迎えました。やがて、ソ連軍が満州に侵略して来ると、先生は捕虜として、シベリアに抑留されました。1946年から1年間は、冬はマイナス30度の極寒の土地です。先生の仕事は木を切ることだったそうです。沢山の人たちが寒さと飢餓、そして病で亡くなりました。沢村先生はそこを乗り切りました。日本へ帰れるかと期待していましたが、次の年は、朝鮮へ連れていかれたとのことです。そこでの生活は、シベリアに比べれば大したことが無かったよ。とのお話でした。
 捕虜として、農業の仕事や道路の整備をしたかと思われます。
 1948年・昭和23年日本に帰国し、栃木県立盲学校に就職したということでした。
 今年94歳になる沢村先生、様々な悲しみと試練とを乗り越えられた生きざまに、ただただ感激というよりも、その気力の強さにあっとうされて帰宅しました。
 火曜日と金曜日には、別なところにあるデイサービスに行っているとのことですが、今は塗り絵を楽しんでいるよ。と、おっしゃっていました。
 最も懐かしい思い出は、ジャイアンツ全盛期の時、私たちは、沢村先生がジャイアンツファンだったことを知っていたので、「先生に本シリーズ聞かせてください。」と、お願いして、巨人対南海ホークスの試合をラジオで聞かせていただきました。
 そのことは、沢村先生も楽しそうに話していらっしゃいました。
 3人目の出会いは、片岡大作先生との再会です。
 これは、10月6日の、栃木愛信会の講師として、私共の会で、片岡先生に講演をお願いしました。
 片岡先生は、日本キリスト教団宇都宮教会の最長老でいらっしゃいます。私が中学3年生の時の担任をしていただきました。今から思うと、私たちが15歳、片岡先生が38歳だったことになります。
 あれから52年の歳月が流れました。教え子の私も、今では盲学校を退職して7年になります。先生がクリスチャンであったのは、生徒の時から聞いてはいましたが、個人的な話をあまりなさいませんでした。
 今回ふとしたことから、無理をお願いして講師として来ていただくことになったというわけです。
 片岡先生は今年90歳です。4年前にお連れ合いを天に送られ、一人暮らしをしていらっしゃいます。
 当日の先生のお話は、旧約聖書を50分程度、実に明快にお話されました。旧約聖書と新約聖書を、100日かけて読まれたという話には、参加者一同驚嘆しました。
 1日1章で読むと、3年か係るのです。1年に1回通読するのも大変なことなのです。私には大きな刺激になりました。
 今回は、くしくも3人の先生方にお会いし、多くのことを思い出し教えられました。病弱・虚弱な私ではありますが、生かされている今を、丁寧に・生きたい、意識のレベルを高く持って、生かされている今を大切にしたいと自覚を新たにしました。
 同窓生の皆様、是非沢村先生・旭先生にお会いになってください。喜ばれると思います。


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