ニュースホットドック(3月号)
「オリンピックいろい」ろ

 

 皆様お元気でいらっしゃいますか。今年の冬は本当に寒かったですね。1970年以来の寒さと聞いております。3月に入り、ここ宇都宮では、ようやく春らしくなってきました。点字を読む私にはまちどおしかったです。 15度では、読むことができません。20度以上、できれば22度程度が、点字を読むのには理想的です。
 さて今回は、平昌オリンピックを含めて、これまでのオリンピックの悲喜交々をかきます。1964年の東京オリンピックを記憶していらっしゃる方は、60歳以上の人が多いかと思います。
1 平昌オリンピックその他
  まずは、2月25日に閉会式を迎えた平昌オリンピックについての感想を書きます。日本と韓国は時差が無いので、私はラジオで多いに楽しむことができました。メダルが長野オリンピックを超えて13個と、マスコミでは騒いでいましたが、私は、1人1人の選手のスポーツへの取り組みとコメントに最も興味をもちました。
 主な印象を書きますと、小平奈緒の、500mで金メダルをとった時のコメントでした。
 「これは、皆様のお陰です。そして、これで終わりでは無くて、これからです。私は求道者ですから」……とのコメント。求道者とは、道を求める人、キリスト教等では、まだ良く分からないから、人の道・真理を求めていくときに使っています。
 31歳の小平さん、すばらしい姿勢・コメントだと感銘を受けました。
 これに関連して、98年の長野オリンピック、スピードスケート・500mで金メダルをとった、清水宏保の言葉が、20年たった今日でも、私の心にひびきました。以後、私も清水さんのその言葉に触発されております。
 清水さんは以下のように語りました。
 「わたしは、これからも意識のレベルを高く持ち続けて行きたい。絶えず、目標を高く持ち続けたいといいました。私も、その言葉に刺激され、人生絶えず意識を高く持ち続けて、レベルアップをもとめて生きたいと思いました。私に取っての意識とは英語の勉強のことでした。
 平昌では、フィギュアの、宮原・坂本の堂々とした取り組みとコメントに感激です。宮原さんは、怪我をしましたが、自己ベストを次々と出しました。大学1年生・19歳とは思えないほど(これは失礼ですね)、私の19歳との比較です。
 冷静に自己分析し、メダルにはこだわらず、自分との戦いに焦点を会わせていました。フィギュアのレベルの高さが、すばらしい勢いで進んでいるのでしょうね。
 坂本さんも、17歳、高校生とは思えないどうどうとした演技とコメントでした。これも、高校生には失礼な話と思います。そのように先入観を持ってはいけないのですね。
 男子の羽生、宇野もすばらしかった!特に、羽生さんは、大怪我をしての復帰です。4年前に続いて金メダルの連覇には脱帽です。自分が優勝すると明言し、それをかなえたという、強い精神力を感じました。
 その他にも、カーリングの、日本選手団の明るい声、スケート・高木美帆、菜那姉妹を中心にした「パシュート」のチームワークには感動しました。300日間、寝食を共にした生活だったと聞きました。正に練習のたまものです。「継続は力なり」との名言を思い出しました。
2  東京オリンピックにまつわる話
 1964年の東京オリンピックのことを思い起こしながら、2020年のオリンピックを迎えることは大切だと思います。
 あの時、私は中学1年生でした。バレーボールでの金メダル、東洋の魔女と呼ばれ、強敵・ソ連に決勝で勝ちました。三宅さんの、ウエイトリフティングの金メダル体操競技の活躍に、日本中がわきたちました。
 それらの話と共に、私は若くして亡くなった、円谷幸吉のことを、この際書きます。
 円谷さんは、オリンピックでは、銅メダルを取りました。マスコミも、日本人の多くが、68年のメキシコでは金メダルだ!と、期待を持ちました。
 ところが、68年1月13日に自殺をしました。27歳の若さでした。ニュースでは、円谷は、メキシコオリンピックへのプレッシャーに押しつぶされたのだろうということになっていました。
 円谷は、1940年5月13日、福島県須賀川に生まれました。地元の須賀川高校を卒業後、自衛隊に入隊、マラソン選手として実力を出し、先に書きましたように、はだしで走る、エチオピアのランナー、アベベが優勝しました。
 マスコミは、円谷選手では無くて、他の人だと予想をたてていましたが、それ以来俄然円谷さんへの期待が高まったのでした。そして、メキシコオリンピックを目の前にして、「幸吉は、もうすっかり疲れきって走れません。」との遺書を残して、68年1月9日に亡くなったのでした。
 私も、そのニュースを最近まで信じていました。ところが、昨年の文藝春秋に新事実が掲載されました。おそらく、関係者の多くが亡くなっての新事実と思います。
 文藝春秋では、円谷さんの手紙が見つかったことから、遺族の証言によっての掲載記事でした。
 それによると、円谷には結婚を約束した女性がいました。そして、オリンピックが終わったら結婚をしたいと、二人で約束をしていたのです。 ところが、自衛隊の指導官が、猛反対でした。円谷を呼んで、「おまえは何を考えている。メキシコの金メダル以外のことを考えるな。結婚なんてとんでもないことだ。」と、叱責しました。
 そしてさらに、婚約者の女性には、結婚をあきらめるようにと指導官が説得したのでした。円谷は、オリンピックが終わるまで待って欲しいとの願いがありました。しかし女性は、自分の存在が、彼のオリンピックの邪魔になってはいけない。そう思って、泣く泣く、別の人と結婚をしたのでした。絶望に落ち込んだ、円谷幸吉は、ついに、自らの命を絶ったというのでした。
 実に哀しい話です。オリンピックは国のためとの意識が非常に強く、国威発揚でした。いまでもマスコミの報道は、視聴率のためとは、過剰報道ではないかと思うほどです。
 2年後の東京オリンピックでは、このような悲劇にしてはならないと思います。
 64年は、10月10日と秋の大変良い時でしたが、再来年は、真夏のオリンピック、アスリートの健康よりも、放映権のビジネス主義には、疑問を持っています。
 メダルをとった人だけを優先しています。金メダルは5百万円、銀メダル、2百万円,銅メダルは百万円の報奨金が与えられます。自己ベストを出した人にも百万円くらい出しては如何でしょうか?
 日本の代表でオリンピックに参加しているのです。飛行機から降りるのもメダルを取った人から順に外に出て、メダルをもらわなかった人達は最後まで飛行機に残されるのです。この格差は何とかして欲しいと思います。
 参加者全員には、日本国民の期待と支援があったはずです。今後、改善をして欲しいと願います

3 私の読書ノート
 2冊の本です。
 山本有三著「路傍の石」 栃木県出身の作家。明治から昭和にかけての代表的な小説家です。高校生の時に読んだ本を改めて読みました。当時は、主人公・ごいちの生き方を興味深く読みました。今回は新たな視点で、日中、日露戦争、当時の社会現象に興味をもちました。大インフレに伴っての銀行破綻、国民の貯金はすべて消えて、国民は貯金をおろせなくなったというのです。現在の日本も、超低金利、これはひどいと思いませんか?
 安倍総理の言うように景気が良くて絶好調ならば、金利をかつてのように、せめて3%の金利にして欲しいです。金持ちが株を売り買いして儲ける社会。1千兆円の国の借金を何時返すのですか?
 若竹千佐子著 「おらあ おらあでひとりいぐも」  63歳になる主婦が7年の勉強を経て、芥川賞を受けました。岩手県遠野市をテーマに、夫を無くした、主人公、桃子が、どのようにして失意のどん底から立ち直ったかという本です。
 岩手県の方言も、それほど違和感がなく読むことができました。
 最後に、3月11日の、東日本大震災、そして昨年の3月27日の、茶臼岳での雪崩によって、亡くなった高校生7人と引率の教師の死を偲びつつ、今回のエッセイを閉じます。
 小平奈緒さんの言った「百花繚乱」の春になると良いですね。(一部継承略)


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