ニュースホットドック(5月号)
皐月によせて


 早いもので、ゴールデンウイークも終わり、暦の上では立夏となりました。今年は4月から夏日が続き、もう夏ではないかと思ってしまいました。ところが、立夏を過ぎたとたん、冬に逆戻り、沖縄へ行ったり北海道へ行ったりの天候です。
 今回は、5月にまつわる話を書きたいと思います。
 5月5日は子どもの日です。私は、1958年、7歳から家を離れ、盲学校に入学しました。家を離れての寮生活です。子どもたちが70人もいました。我が家は農家なので、子どもの日の頃は、田植えで忙しく、家族が訪問することなどは、夢のまた夢でした。
 5年生の時、1年生で入学した・高橋雄三君の家では、お母さんが、県南にある、葛生町から、沢山の柏餅を風呂敷いっぱいにして持って来ました。同室の私は羨ましくてたまりません。高橋君が、何時になったら、部屋のみんなに柏餅をくばるかな?と、期待していました。1日、二日と立っても、高橋君は、風呂敷の中の柏餅をそのままにしています。
 たまりかねた私は、「高橋君お母さんが持って来た柏餅、みんなに分けないの?早く食べないと悪くなっちゃうよ。」と言い出しました。彼はまだ1年生、私は部屋では年長の5年生。
 「はい、分かりました。」と、言って、押し入れから柏餅を出しました。部屋の皆は大喜びです。
 5月5日が来る度に、あの時のことを思い出します。今から55年前のことです。彼とは、5月になると、その話をします。本人は忘れかけていますが、その頃は、日本はまだ貧しい生活の中にいました。お母さんの愛情溢れる柏餅が本当に羨ましかったのだと思います。
 我が家でも、時々、近くで働いていた兄が、お菓子などを持ってくる時がありました。そんな時は、部屋の人たちとお菓子パーティーをしたこともありました。正に、家族のような関係で、今でも仲良く交流をしています。
 5月になると、もう一つあります。栃木愛信会です。
 恩師・鈴木彪平先生が亡くなって、もう38年になります。しかし、教え子たちが、栃木愛信会を、1960年に創立して間もなく60年になりますが、栃木県立盲学校の跡地・ホテルコンセーで、毎年集会を開いています。今年は、5月4日に、27人の人たちが集まりました。礼拝のメッセージは、鈴木先生の一番弟子の、元牧師の小林先生が力強い説教をしてくださいました。
 鈴木先生が召天して38年、このような集会は珍しいことかも知れません!しかし、兄弟姉妹の集まりは、私たちにとっては、慰めあい励ましあう、大変恵まれた時と思います。
 昨年は、私たちの会から二人が召天しました。寂しい気持ちもひとしおです。しかし、このような集まりを通して喜びと悲しみを分かち合うことの大切さを痛感しております。
 このことを、メール友に書いたら以下のような感想をいただきました。
 鈴木先生についてのお話しを、エッセイで聞きました。人間は、いつ何があるかわかりませんね。鈴木先生も、まさか自分が突然失明するなんて、思ってもみなかったでしょうね。
 大草原の小さな家のメアリーが失明すると分かったときに、教会で一人祈っている父さんに、オルデン牧師が言ったのが、鈴木先生が聞かれたのと同じような言葉でした。神は、きっとメアリーに、特別な使命をお与えになるのだろうというものでした。でもそのときの父さんは、だから失明しても喜べとは私には言えない と言って出て行きました。その後、盲学校を出て先生になる前に故郷に戻ってきたメアリーは、自分の人生がひらけた喜びを、教会のみんなの前で堂々と話したんです。鈴木先生がキリスト教徒になるきっかけになった話を聞いていたら、そのことを思い出しました。
 人間にとって大切なのは、つまずいたり転んだり失敗したりしたときに、どうやって立ち上がるかということなのではないでしょうか。転んでけがをして泣いてばかりいたら、愚痴や泣き言ばかりで終わってしまうけど、くじけずに立ち上がれば、少しずつでも前に進んで行けるし、きっと道は開けるのだと思います。そして鈴木先生は、自分だけではなく、たくさんの人を導く事ができたんですよね。それはみんなの為でもあり、結局は自分の為になっているんですよね。だからこそ、亡くなって38年たっても、たくさんの人が集まって懐かしんでくれるのだと思います。結局、暗闇を光に変えるのは、自分次第なんですよね。
 明日はお友達ともお会いになれるのですね。みなさんに合わせてくださる鈴木先生の分まで、楽しんできてくださいね。(5月3日のメールより 中略)


 わたしの読書ノート
 今回は篠田節子さんの本を読みました。
1 ブラックボックス
 氷点下食品がどのように、わたしたちの生活に影響を与えているか24時間体制で食べ物が生産され、コンビニへ流通していることが良く分ります。厳しいチェック体制の中、氷点下の工場、多くの外国からの研修生が働き、日本の食生活を支えているのです。
2  百年の恋
 主人公真一は、35歳にして、3歳年上の女性と再婚をします。彼女は、1流大学を卒業して、キャリアウーマン、真一よりも、4倍も高い給料を取っています。身長も彼よりも3センチ高い。
 いざ結婚をしてみると、家庭的なことは全くしません。分かれようと思ったら子どもが生まれてしまい、夫が家庭のこと、全てをしなければなりません。
 彼の仕事が翻訳のためとはいえ、疲れの限界にたっします。さてその結末は。
 そういえば、私の職場にも、かつて包丁を家におかず、コンビニで買ってきている新婚夫婦がいました。時代は変化しているのですね。お茶も、急須からではなくて、ペットボトルから飲む家庭も増えているとか?
 3  銀婚式
 主人公は、エリートサラリーマン、ニューヨークから帰国して間もなく、ジェット機がアメリカニューヨークトレーディングセンターに激突します。
 彼の友人は、その崩壊した建物にいました。リストラにあった彼は、東北地方の短大の教授として、新たな仕事につきます。離婚をしていましたが、ほんの僅かな誤解からの離婚であり、憎みあっていたた分けではありませんでした。
 短大の教授をしながら、孤独にさいなまれた彼も、ある女性との出会いがあります。もう1歩のところで、再婚にふみきろうとします。 分かれた妻と息子、そして、新たな女性との間に主人公は悩みます。そして、ある決断を最後にします。
4 長女たち
 なおみは、優秀なキャリアウーマンとして、20年働いています。 ところが、母親が思いがけずの認知症になります。仕事をやめて母親の介護の生活に入ります。
 一口に認知症といっても、人それぞれ皆異なるようです。マニュアル通りにはいきません。今や600万人、1千万人にもなろうかという「認知症」。大いに教えられます。
 篠田節子さんの作品の特徴は、小説を書くに当たり、徹底的に緻密な調査をします。それゆえに、小説を読む楽しみと共に、専門的な知識も学ぶことができます。
 今年も早5月、暑くなったり寒くなったり、健康に留意して真夏に向かいたいものですね。
 「あの人の中身はいまだ大蔵省」
 「記憶力 調整とっく 永田町」
 (時事川柳)より)


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