ニュースホットドック(8月号)
アメリカ通信


 皆様残暑お見舞い申し上げます。連日の猛暑、耐えられませんが、耐えるしかありませんね。絶えがたきを絶え、忍びが滝を忍び…とのフレイズを8月に思い出します。
 さて今回は、私の所属している点訳グループの友人が、お連れ合いの転勤に伴い、4月よりアメリカのオハイオ州にご家族で転居されました。今回は、オハイオ州からのレポートを紹介いたします。快く引き受けてくださいました深川園子様に感謝いたします。
●第1信、6月25日
 メールたくさんありがとうございました。
 沖縄の中学生の演説はテレビで見ました。
 今回は日本のテレビが見られるように設定したので日本のテレビ 主にNHKですが、ニュースはリアルタイムで見ることができます。ドラマやブラタモリ、相棒などは見られます。
 日本とアメリカの会談は日本のテレビとアメリカのテレビで同時に放送していて、同じ画面ですが視点が違うので面白かったです。
 5歳の女の子がなくなったニュースも見ました。なぜ周りが気が付かなかったのか、助けてあげられなかったのか不思議で仕方がありません。5年も。
 子供はもちろんかわいそうでしたが、そうなってしまった大人にも何らかの手助けが必要だったのだと思いました。結局、貧困や格差から悪いことが連鎖していってしまうのですよね。
 先日も幸せを感じる国のランキングがでていましたが、あんなにものが豊かな日本が54位でした。同じくらいの順位には戦争や貧困のある国がありました。どうしてだと思う?と子供たちと話をしました。
 こちらはとても豊かな気がします。連日発砲事件などもありますが、危険なところに近づかなければ大丈夫です。住んでいる人たちは明るく散歩にいっても元気に挨拶をしてくれます。学校の担当の方などもとてもやさしいです。
 結果としてやはり国の大きさ、土地の大きさがみんなをゆたかにしているというのは事実だと思います。家が大きいし、車を使い駐車場にも困らない、満員電車に乗らない、周りの人に干渉しすぎない、重い荷物も持たないし、ストレスが少ないのだと思います。
 基本的に、イライラするということがないと思います。みんな時間におわれていないです。
 高校も無料、貧困層には食事の提供もあります。国だけでなく教会の存在も大きいのだと思います。
 私もこちらへ来て、日本はなんて忙しかったのだろうとおもいました。次に何をしよう何かをしなくてはと、つねに考えていましたようにおもいます。こちらへきて、ゆっくりと何をすべきかを考えながら、行動に移すことができます。
 まだまだ、わからないこともたくさんあり、アメリカにも問題点もたくさんあるだと思いますが、色々なことを理解したうえで、こちらの生活を楽しんでいきたいと思います。  
●第2信 8月8日
 こちらは、アメリカオハイオ州です。4月初旬まで雪が降っていたかと思えば後半からは春と夏がいっしょにやってきます。本当に春だなと思ったのは1週間くらいです。その後、春のような陽気の日もあれば、夏のような陽気の日もあります。夏のような日はたぶん35度くらいあると思います。こちらは華氏で温度を表すので、90度を少し超えた感じでしょうか?こういう日は決まって夕方に夕立のような雨が降ります。春のような日は1日さわやかな日が続きます。夜は9時半ごろまで明るく朝は6時半ごろから明るくなります。夜が明るいので夕方になると、これから楽しい時間を!のように挨拶をされます。我が家も夕食後8時ごろに近所を散歩して歩くこともあります。オハイオは土地が平らなことと、温度もあまりあがらない、それから比較的安全?なのだと思います。散歩やウォーキングをしている人がたくさんいます。自転車で走っている人も良く見かけます。子供たちも自転車で走り回っています。冬は雪で全く外に出られないらしいので、この時期におもいきり楽しむようです。
 アラバマにいたときはこの時期暑すぎたことと、土地が平らでなかったので自転車に乗る人は見かけたことがほとんどありませんでした。
 雨が降る日は1日雨ということもありますが、次の日はまた夏 また次の日は春のような感じです。
 これから少しずつ秋らしい感じになり、また9月後半ごろバックツーサマーといって、夏の陽気が戻るそうです。そのあと 11月ごろからは冬、12月からは毎日大雪マイナス20度くらいになるそうです。
 冬にこちらに引っ越してくる人はオハイオをあまり好きになれないというそうですが、春から来た人はなんていい所なんだろうと思うそうです。うちはいい所だなと思っています。この時期、外には毎日蛍(日本の水場の蛍とは種類が違う)がたくさんいます。 家の周りにはリスやウサギがたくさんいて楽しく見ています。
 コロンバス?オハイオ州の鳥だと思うのですが、カーディナルという赤いきれいな声をした鳥です。ちなみにうちの子供たちの良く学校のシンボルがカーディナルで、その学校に通う子供たちはカーディナルと呼ばれます。学校によってシンボルも生徒の呼び名も違います。あと、このあたりのもう一つのシンボルは、宇都宮にたくさんある「とちの木」だと最近聞きました。お元気で!

 私の読書ノート
 芳川栄治著「私本太平記」
 この夏は、長編小説を読むことにしました。気分転換に、有川広の本も楽しんでいます。
 さて、私本太平記ですが、これは足利尊氏の生涯を読みやすく書いてあるものです。張るには、新平家物語を読みましたが、鎌倉時代からの連続としては、大変理解しやすいと思います。
 中学・高校時代の社会化では、足利尊氏は、鎌倉幕府を滅亡させ、天皇と争って、南北朝時代を二つに分けた。と、いった程度の学習でした。
 NHKの大河ドラマでは、さらに詳細にとりあげていましたが、やはり本を読まないと正確なことは理解できません。
 戦争中は、尊氏は、天皇に反逆した逆賊・不忠義者として教育されました。それに対して、楠木正成は、後醍醐天皇に忠義をつくし、露と消えた英雄となっていました。
 戦後、この本が発行されて、尊氏の評価が見直されるようになりました。長編で、8巻からなっています。
 まず、いくつかの出来事をピックアップしますと、
 1326年頃から、鎌倉幕府が衰退し始めます。それに伴い、寺の力が加わりますが、天皇も、沢山子どもが生まれているので、仲たがいが始まります。
 側室も沢山おり、自分の子どもを天皇にしたいとの願いが影響をあたえ、寺との連携で二派に分かれるのです。
 後醍醐天皇には、30人の子どもがいたといわれています。鎌倉幕府滅亡を全国に支持しますが、幕府に発覚し、捕らえられて、沖ノ島に流されます。
 足利尊氏は、北条家の娘と結婚をします。当初は、北条家に従って、後醍醐天皇と戦いますが、時代の流れと共に、二つに分かれた天皇・反後醍醐天皇を君子として奉り、1331年から2年間天皇家の争いに巻き込まれます。
 やがて、復帰した後醍醐天皇は、1333年から3年間、「建武の新政」という、天皇中心の政治改革を行いますが、足利尊氏と激突死、後醍醐天皇は、奈良県吉野を中心に南に兆艇を開き、尊氏は、新たな天皇を帝として、北部に兆艇を開きます。これが、いわゆる「南北朝時代」の始まりで、1392年まで続きます。
 実は、鎌倉幕府の時代から、天皇家は10年単位で、交代していたのでした。しかし、南北朝時代になり、それは権力の争いとなり、結局、足利幕府をバックにした、北朝の天皇家が引き継ぐことになったというわけです。
 後醍醐天皇は、1339年に亡くなりますが、足利尊氏は、1358年に亡くなります。
 これが概略ですが、この私本太平記には、多くの人物が登場し、幾たびも続く戦いで、どちらにつくかという、分かれ道に立たされます。
 源頼朝の時代には、家臣として忠誠を誓う・武家社会でしたが、足利幕府になると、立身出世、如何にして生き残るか、日和見主義の政治・戦いが中心となっていきます。
 私は、子の頃から現代へと移って来ているのだと思わせられました。
 その時の空気の流れで、どっちについたら得か出世するかというのが規範になりました。
 正に、今の時代と何ら代わりが無いのだな。日本の政治が、右往左往、右顧左眄の政治になっていませんか?
 昨年の小池百合子さんの希望の党問題も、この話に合うのではないかと感じます。
 私本太平記は、4巻まで読んでいるので、道半ばです。関心のある方、お勧めです。
 栃木県足利市にゆかりがありますので、遅まきながら読み始めました。
 暑さはまだまだ続き、台風も今年は多いですね。熱中症で亡くなった人が500人とか、大変な夏になりました。お互いに健康に留意して夏を乗り切りたいとおもいます。
 最後にニュースを書きます。日本ではあまり取り上げら手ていません。
 8月5日、インドネシアでは、マグニチュード7の大地震があり、死者500人余。避難民が10万人と聞いています。世界中が熱波に襲われています。
 日本のマスメディアのニュースが国内ばかりでは無くて、世界のニュースをもっと多く放送してもらいたいとねがいます。
 会長が ボコボコ打たれて 即入院(時事川柳より)


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