ニュースホットドック(9月号)
引越しして1年あれこれ


 皆様お元気ですか?
 今年の夏は、猛暑続き、台風が次々とやってきて、広島岡山・四国地方は大変な被害、200名を超える人たちが亡くなり、熱中症でも500人超と聞いています。
 さらに、9月4日は台風21号で関空が麻痺状態、海の上の空港が身動きとれず6日の未明には北海道で震度7の大地震。いよいよ関東大震災が近づいているのでは無いかと身震いがします。オリンピックは止めてはどうでしょうか?
1 マンション生活から1年
 昨年の7月15日に、我が家は、一戸建て住宅に別れをつげて、3キロ離れた、街中のマンションへ引っ越しました。マンションなんてかいても、外国の人たちから見たら、ウサギ小屋と言われることでしょう。
 12階立ての2階に住んで1年が経ちました。まず、ここに住んでのプラスマイナスを書きます。
 私にとってのマイナスは、鳥の声や虫の声がほとんど聞かれないことがあります。
 防音装置がありますから便利な点はあります。しかし、残念なことに、窓を開けても、周りがコンクリートの所為か、昨年まで窓越しに聞こえていた、鳥たちの声がほとんど聞かれません。ときおり聞こえるのはカラスの声です。
 これは私に取りましては実に寂しいことです。季節の変化を楽しむのは聴覚です。なんといってもこれはマイナスかな?と思います。
 家族の者にとっては、今まで庭先の小さな小さな庭に花を上、野菜を作っていたのができなくなって寂しいようです。ベランダはいざという時のために、植木などは置いてはいけないということのようです。
 二つ目のマイナスは、ひと月に一度ですが、エレベーターの点検があります。 10時から4時頃までなのですが、事前に告知されているので、出かけるときは、エレベーターが動いているうちに移動するようにしています。これは安全のためにはやむを得ないことですね。
 私は2階ですので、仮にエレベーターが止まっても、何とか階段で上り下りできると思いますが、12階の人たちは、さぞかし大変だろうなと思わずにはいられません。
 幸い教会へ歩いて行くと、鳥の声、虫の音が聞こえるので、季節の移り変わりを楽しむことができます。それでも、ものたりない時はインターネットで、波の音、鳥の声、虫の音を聞いて季節の変わりを楽しんでいます。蒸気機関車の音を懐かしく聞きます。
 次はプラスです。
 第1は、何と言っても歩いて教会へ行くことができることです。
 これまでは、親切な友人の助けをいただいたり、タクシーで教会へ行っていました。病気をする前は、バスに乗り、徒歩で教会へいきましたが、9時からの教会学校へ行くためには、8時半にはタクシーを呼ばなければならず、その後、優しい友人の協力を得て、車での送迎で助けていただきました。
 歩いて教会へ行ける事は、私にとっての「究極の修活」です。礼拝と共に、夜行われる祈祷会にも出席できることは恵みです。
 第2は、引越しをしたマンションのエレベーターに、点字のラベルと、音声ガイドがあることです。中古立て10年の建物ですが、嬉しい誤算でした。
 20年前からマンションにすんでいる視覚障害者の話を聞きました。その人は3階に住んでいらっしゃいますが、点字の表記も音声もありません。だれもいない時は、3階のボタンを押して行くとたいていは問題ないようです。ところが、何かの手違いで、3階と違うところに止まり、どこに止まったのか分らないという時があるそうです。 しかたがないので、もう一度1階までおりてきて、時には階段を上がると言っていました。
 私に取りましてはラッキーでした。そして、これまでにも書きましたが、ヤングママが多いこともあることでしょうか?「おはようございます。 どこへ行きますか?」などとエレベーターの中で声をかけていただきます。これはとても嬉しいことです。
 マンションの中も、一人で移動できることも、昔から単独歩行をしていたことがプラスになりました。
 最近盛んに言われていることば「ソーシャルインクルージョン(Social inclusion)
社会的包括。つまり、障碍者とそうでない人たちも共生社会を目指して生きようということですが、そのような仲間に入れていただけたことが大変感謝なことです。
 同行援護制度が充実し、今までに会うことが無い人たちの力を借りて、社会参加が拡充・広がっていることはすばらしいことと思います。
 その他、不便なことはいくつかありますが、私にとりましては、これまでの生活よりも遥かに楽しく豊かな生活となりました。
 そして、1年間祈り続けたこと、リフォームした住宅の売却も、買い手が与えられて、3度目の借金の返済にこぎつけられたことが、最大の喜びです。
 まあ家のため、マンションのために、よくも借金をしたものと、我ながらあきれかえっております。これも、ベフレのおかげで、低利子のおかげですね。
 貯金をするよりも借りたほうが、お得という場合もあるのですね。

2 私の読書ノート
 私本太平記」「(続)芳川栄治著の長編8巻を夢中で読みました(正確には聞きました)
 これまでの私の知識不足をたっぷりとリセットしていただきました。長いので、そのいくつかを書きます。
 足利幕府と聞けば、1333年に鎌倉幕府を倒したあと、足利尊氏を中心とした、政権が鎌倉を支配したことと思い込んでおりました。しかし、これは大きな誤りでした。
 鎌倉をめぐって、足利軍と、北条氏の奪い合いが続きました。そこに、天皇家も加わり、鎌倉、京の都は争奪戦が、1336年から1352年頃まで続いたのでした。
 足利尊氏もこの間、京都をを脱出して九州へ逃れた時期もありました。
 仲の良かった弟、足利忠義(ただよし)とも、権力争いが始り、忠義は、何と後醍醐天皇のいる、南朝へ味方するような事態となりました。そして、結末は、兄の尊氏の命を受けて、弟は毒殺されたという結末を迎えたのでした。
 1358年、尊氏は54歳で病のために亡くなります。園子、よしあきらが2代目の将軍となりますが、南北朝の争いは、1336年から92年までの56年間も続いたのでした。
 公家や武士たちは、争いのたびに、あっちへ味方したりこっちへ味方したりの日和見でした。
 尊氏が亡くなった、58年に、3代目将軍になった、足利義満が生まれ、1408年までの時に、政治・経済を立て直すのでした。
 金閣寺を立て、中国と貿易を促進して、1392年に室町幕府が統合されるのでした。
 さて、書き加えたいことがあります。
 それは、物語全体を通して、覚一という視覚障害者の琵琶法師が登場します。
 覚一は、母親が尊氏の叔母に当たります。尊氏はかくいちを保護し、各盲人たちが生活・自立できるようにと手助けをするのでした。
 その結果、琵琶法師たちの組織化がなされます。検校、別当、こうとう、座等の組織ができます。
 琴やびわの他にも、あんま、鍼で生活の自立ができるようになったと書いてありました。
 この本を読む限りでは、視覚障害者は、足利尊氏の保護と支援の元に、社会的存在が認められるようになったのかと、私は感じました、
 ところで、8月15日、人気漫画化・さくらももこさんが乳がんのために亡くなったとのニュースを聞きました。ここ2年さくらももこさんのエッセイを聞いてその豊かなユーモアに涙をながさんばかりに笑わせてもらいました。53歳とはあまりにも早い人生でした。
 人の命は分らないものです。さくらももこのエッセイについては、来月書きたいと思っております。
 今年は台風がいくつ来るのでしょうか?
 災害がこれ以上増えないことを祈っております。
 入院は エアコン効くか聞いてから(時事川柳より)



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