初志貫徹4月
「人は出会いによって変わる」
皆様、こんにちは。4月も半ばになりました。桜も散って、いよいよ若葉の季節になります。この時期になると、盲学校に勤務していた頃、5月の遠足のことを懐かしく思い出しております。我が家の娘も就職してスタートしました。4月7日から13日まで、埼玉県大宮で研修に行ったようです。
そういえば、町の中を歩いていると、就職したばかりの若者たちが、ゾロゾロ歩いている光景に遭遇します。以前は、道路で「みなさん、私は何もできません。ばか者です」などと声を高らかに叫ぶ、新入社員の研修がありました。自己を徹底的に打破し、それに耐えての「自己啓発」とか聞きましたが、これはネガティブな研修だと私は思いました。そんなことをしなくても、職場では、先輩たちから、みっちりと指導をしてもらった方が良いのではないかと思います。
さて、今回は一人の作家、黒柳徹子さんについて書きます。
黒柳徹子さんは、皆様良くご存知ですね。1933年(昭和8年)8月9日に生まれました。長崎に原爆が落ちた日なので、誕生のお祝いはなかなかなかったとあります。今年83歳になります。NHK第1号のテレビ女優として採用されました。そのほかラジオ、舞台、テレビ等、マルチタレントとして活躍中です。
時代を追って、私の記憶をたよりに書きますと、「窓ぎわのトットちゃん」には、小学校1年の時、3ヶ月で、公立小学校を退学し、自由学園で楽しく過ごしました。小林校長先生と、面接では、3時間話っぱなしでした。校長・小林先生は、最後までトットちゃんの話を聞いて、自由学園の入学を認めてくださいました。太平洋戦争中は、疎開で東北地方に行きました。
現在の教育論によるならば、トットちゃんは、ADHD(注意欠陥多動性障害」と呼ばれるかも知れませんが、自由学園において、トットちゃんの個性が認められて、すくすくと成長しました。戦争のために、その学校は閉鎖せざるを得なくなりました。自由学園の授業体系は、時間割は、自分のやりたいこと・好きなことから勉強を始
めて良いとの、まさにおおらかな授業でした。
読んでいない方には、是非お勧めです。我が家では、30年程前のことですが、盲学校にある点字の本を借りて、読書嫌いの息子には、活字の本を手渡して、毎日少しずつ音読をさせました。最初は嫌がっていましたが、なれるにつれて、笑いながら最後まで読み通した思い出があります。それをきっかけとして、父と息子は、5冊の本を、一緒に読みました。一人では読みたくないけれど、親子で読書をすることによって、楽しい思い出をつくることができました。
さらに、3歳下の女の子とも、トットちゃんの本は一緒に読みました。娘の方は、読書が好きになり、今でも本屋にいっては、ユーモアのある本、医学の本を買ってきては読んでいます。以前は、お風呂まで本を持って行き、長いお風呂なので、クレームが出たこともあります。
次は、「トットチャンネル」という本です。これは、黒柳さんが、NHKのラジオドラマ、テレビの声優・女優として採用される時の体験、様々な苦労話です。黒柳さんの声には、特徴があるために大変苦労した様です。特に、当時は、ラジオドラマ、テレビも生放送だったので大変でした。黒柳さんは、大学では、声楽を専攻していましたが、音楽では生活ができないということは自覚していたようです。お父様が、バイオリン第1奏者でしたから、よくよく分かっていたことでしょう。
さて、今回読んだ本は、昨年、新潮社から出版された「トットひとり」というエッセイ集です。先に書いたことを含めての総集編といっても良いかも知れません。
テレビ番組、「ザ ベストテン」をはじめ、徹子の部屋の思い出、黒柳さんが出会った楽しい思い出・悲しい思い出が沢山書かれてあります。黒柳さんが、独身だということは知っていましたが、3回お見合いをしたことは初めて知りました。その他にも、38歳の時に、アメリカへ1年間留学して、素晴らしい出会いがあったことも感動的でした。
私にとって、黒柳さんの思いでは、小学校時代、1958年からの数年間、NHKラジオ第1放送で、夜6時半かと思いますが、「一丁目一番地」という番組が15分連続ドラマとして放送されていました。いわば、サザエさんのような家庭ドラマでした。黒柳さんは、確か、サエコさんという、若い娘さんを演じていました。彼女が25歳の頃だったと思います。その前にも、「ヤン坊ニン坊トン坊」という番組があったそうですが、私が生まれて間もない1952年頃のドラマかと思います。
テレビでは、小学生時代、三匹の子豚「ブ フ ウ」という楽しい人形劇を学校で見るチャンスがありました。忘れられないのが、70年代に、テレビ人形ドラマ、ひょっこりひょうたん島でした。マジョリタンというシリーズで、ペラおばさんの早口の音声を見事にしていました。TBSラジオ、毎週土曜日の永六輔の番組には、何度も出演していましたし、飛び入りでも出演して楽しい話を聞かせていただきました。
黒柳さんは、視覚障害者のためにも積極的に協力してくださいました。まず、東京にある盲学校、筑波大学附属盲学校と言っていた頃、学校を訪問し、生徒たちに、演劇指導をしていたと聞いております。さらに、高田馬場にある、日本点字図書館を訪れて、朗読ボランティアもしてくださいました。本間館長の奉仕に感激し、朗読ボランティアを協力していただいたと聞いております。「徹子の部屋」にも、本間館長が何度か出演されました。私がテレビで番組を聞いたのは2回でした。
その他にも、ユニセフの親善大使を引き受け、戦争に苦しむ子供たちの国を訪問し、慰め励ましたこともありました。
トットちゃんとは、お父さんが、男の子が産まれて来ることを疑わないで、徹子さんをトットスケと呼んでいたそうです。そして、彼女自身も、幼い時から、トットちゃんと呼んでいたそうです。
そして、今回の「トットひとり」の最後に、黒柳さんが、アフリカ地方、多分ケニアではないかと思いますが、スワヒリ語では、トットというのは、子どもという意味だと知ってビックリと書いていました。黒柳さんのご両親は、クリスチャン夫妻でした。彼女も幼児洗礼を受けていますが、広い視野を持って、他民族、他宗教にも興味と関心を持っていました。
ご本人は百歳まで現役でいたい!でも、お友達は、みな天国へ行ってしまって「トットひとり」になったけど、みんなの分も、精一杯生きたいと思っています。この前向きな生き方には、私も大変励まされました。暗い社会、暗澹たるニュースの多い現代ですが、このように、くよくよしないで、明るく陽気に活動することができたら素晴らしいと思わずにはいられません。
さて、4月29日は、盲学校の同窓会の集まりがあります。盲学校では、子供の時から数えて50年間かかわりがありました。クラスメイトとは、兄弟のようなものです。先輩・クラスメイト・後輩たちに会うことを楽しみにしております。もし、同窓会の仲間がこれを呼んで参加したいと思いましたら、是非ご出席しませんか?思い出を語り合いたいものです。
次号は、5月15日を予定しております。皆様も、楽しい若葉の時、ゴールデンウイークをお過ごしください。
「何曜日 俺に会うたび 聞く医者だ」(高齢者川柳より)
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