初志貫徹8月号
「命の尊さを考える」



 皆様、残暑お見舞い申し上げます。リオオリンピック、高校野球、まさに、スポーツたけなわです。それに反して、7月から連日、世界のいたるところで、自爆テロに犠牲者が続いています。
 8月6日、NHKラジオジャーナルでは、5月に広島を訪れた、オバマ大統領と会った、坪井さん(91歳)の話を聞くことができました。坪井さんは、71年前の8月6日、原爆に被災されました。奇跡的に助かり、その後、病と闘いながら教師になって、子どもたちに原爆の話をし、退職してから、30年余りにわたり、国内はもとより、世界で、核廃絶を訴え続けて来ています。今回のインタビューの中で、坪井さんは、以下のように語りました。
 「そりゃあ、わしだって原爆を落としたアメリカに対して、恨みと憎しみは何年たってもあります。どんなに忘れようとしても、30%はありますよ。しかし、それだけでは平和にはなりません。被害者意識ばかりでは、平和にはなりません。オバマ大統領が、今回、初めて広島に来たということに対して、本当に立派だと思います。核廃絶について、大統領と会って、握手をしました。謝罪を言わなくても、来てくれたこと、握手をするだけで、気持ちは伝わってきました。言葉にしなくても、大統領の気持ちは良く分かります。私たちは、憎しみの連鎖ではなくて、未来志向、これから平和を作るため、核廃絶のために、一歩でも前進することが必要なのです。」と、熱く、力をこめて語っていました。私の心も熱くなりました。91歳の坪井さん、年齢には関係なく、平和への祈りと情熱は、やはり原爆を体験しての切なる願いと痛感しました。
 さて、7月27日の朝、私は突然のニュースを聞いて、心臓が止まるのではないかと思うほど驚きました。神奈川県相模原市にある、津久井やまゆり園では、19人の人が無残にも殺害され、30人におよぶ人たちが入院したというのです。中には、重症の人も多いというのです。詳細は、これ以上書かなくても、皆様ご存知と思います。この障害者施設を襲ったのが、以前そこで働いていた職員と聞いて驚くばかりです。ある人は心の病ではないか?ヒットラーに傾倒しての影響を受けてのことではないか?ヘイト・クライムではないか?被害妄想ではないか?などのコメントがありました。いずれにしても、これから3ヶ月、精神鑑定を受ける分けですが、筆舌につくせない、日本における最も悲しいニュースではないかと思います。
 このニュースを聞いて皆様、様々な意見をおもちのことと思います。被害者側にたっての気持ちの人が多いかも知れません。私はそれと共に、容疑者の親の気持ちが最も強く感じられました。父親が小学校の教師、彼も教師を夢見ていたというのです。両親にとっては、どんなに苦しく、悲しいことかと思います。もし我が家の子どもがそのようなことをしたら、私はどうするだろうか?と、即座に脳裏をかすめました。
 ここ20年にわたり、同様のニュースが毎年起こっているからです。95年には、オウム真理教が、サリンを地下鉄に撒いて、13人が亡くなり、3千人を超える人たちが、今でも後遺症に苦しんでいます。大阪池田小学校では2001年に、子どもたちが8人かと思いますが、突然襲われて、幼い命が奪われました。そして、数年前には、秋葉原で、トラックが人々のところに飛び込み、多くの命が奪われ、沢山の人たちが重症を受けました。地下鉄サリン事件を別にすれば、だれでも良いから殺したかった!と、いうニュースになっています。そのような話は、日常茶飯事の悲しい出来事になっております。
 日本には、心に病をもつ人たちが、3百万人を超える人たちが苦しんでいます。現在は、そのような人たちを、病院で隔離するのではなくて、社会の中で治療をしようという方向になっております。これは、方向性としてはとても大切なことだと私は思います。問題なのは、その入院と社会での生活の判断が難しいことだということです。家庭と医師、危険を伴う場合は、警察との密接な連携が必要なのですが、今回のやまゆり園の場合は、事前に防ぐことができたのではないかと思うだけに、残念でなりません。
 これに関連して、私は、10年余り前の、福岡県バスジャック殺人事件を思い出しました。17歳の少年が、殺人恐れがあるという、母親の考えで、入院しました。そして間もなく、精神科医は、もうこの少年は、社会に復帰して、更生できますとの、判断で、措置入院を解除しました。 しかし、母親は、まだ息子は心配ですから、入院させてください?と、医師に頼みましたが、医師は、それを聞かすに退院させました。それから数日後、その少年は、サバイバルナイフを持って、急行バスに乗り、バスジャックをしました。結局、60代の元教師を殺害し、乗客の小学生に怪我をさせたという事件がありました。
 現在では、親が子どもの心の異変に気付いて医師に相談しても、入院させることはできません。医師も簡単に入院を認めません。警察に話をすると、「警察は民事には不介入です。なにか事件が起きないと、人権の問題があるので動けないのです」というのです。かつて、埼玉県桶川市では、ストーカーにさいさん悩まされた短大生が警察に訴えても、受け付けてもらえず、殺害されてしまいました。2年前には、東京八王子市では、18歳の女子高生もストーカーによって殺害されました。
 日本全国に、social disease(ソーシャル ディジーズ)「社会的病魔」というべきものが広がっているのではないでしょうか?子ども、高齢者、障害者、女性、社会的弱者が危険にさらされているように感じてなりません。外出していても、私も、恐怖感を感じるようになりました。全く知らない人から襲われる危険があるのです。スマホを持ち歩き、ぶつかっても謝らない人が多いと、ラジオでさかんに聞くのです。子どもの権利条約、障害者差別解消法などができても、有名無実にならないようにと願うばかりです。
 『私の読書ノート』
 今回は、小池真理子著「仮面のマドンナ」を紹介します。ミステリーの一つですが、先に書いた障害者の話と関連があります。
 東京のとあるディスコで、ガス爆発が起こり、80人を超える人たちが一瞬にして亡くなりました。人の見分けがつかないほどです。主人公・寿々子は、何とか助かりましたが、からだ全体大火傷、言葉もはなせなければ、上肢・下肢とも、全く動かすことができません。話はそこから始まるのです。
 そのディスコに居合わせた、玲奈という女性が、寿々子と同じようなコートを着ていたことから、寿々子が死んで、玲奈が生きていたことになり、寿々子が玲奈になってしまいます。車椅子の生活になり、話すこともできない、寿々子。27歳のOLだった彼女が、突然、身動きのできない障害者になってしまいました。自分は、生きていてなんになるのだろう?死んだ方が良いではないか!と思い始めますが、リハビリをして、少しずつ回復するうちに、どんなことがあっても、私は生きたい!生きて空気をすいたい!美しい空を見たい!と、生きる力が出て来るのです。
 ここからは、興味のある方は、読んでみてください。思いがけない顛末を迎えることになります。
 「新たなる 病を受けし 我なれど 主共に立ちて 我を支えん」
 「目も見えず 歩行もやっとで 歩きます それでも我は 感謝なり」(啓司)
 次回は9月15日です。

 




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