初志貫徹9月号
「燃えた夏」



 皆様、こんにちは。今年は台風が次々と来襲し、各地で甚大な被害を受けています。水不足が解消されたのは良かったのですが、まさに過ぎたるは、なお及ばざるが如しですね。今月も、話題をピックアップして書きたいと思います。
1 作新学院物語
 8月21日、栃木県代表、作新学院は、54年ぶりに真紅の大優勝旗を手にしました。
 歴史をさかのぼると、1962年(昭和37年)、作新学院は、春と夏に優勝をしました。しかも、春のエース八木沢投手は、夏の大会直前、病気になり、出場できなくなりました。私たち、県民はがっくりしました。しかし、救世主のごとく、加藤投手が、見事に投げきって、これまた優勝でした。その後、八木沢投手はロッテオリオンズ、加藤投手は、中日ドラゴンズ、キャプテン・中野選手と高山選手は、そろって国鉄スワローズ(現ヤクルトスワローズ)へ入団しました。
 中日ドラゴンズに入団した加藤投手は、やがて2軍から1軍に上がり、ジャイアンツの4番バッター、長嶋選手との対決でした。私は中学1年生だったと思いますが、ワクワクしながら、ラジオを聞いていました。その時は、確か、長嶋選手がツーベースを打ったと記憶しております。翌年のことと思いますが、加藤投手は、正月、家に帰る途中、車の運転を誤って、事故死してしまいました。あまりにも短い生涯でした。
 中野選手、高山選手は、何回か試合に出ていた記憶はありますが、いつのまにか野球界を去っていました。今年の決勝戦には、中野氏が、応援に甲子園にかけつけて、元気な声を聞かせてくださいました。多分72歳だと思います。
 八木沢氏は、プロ野球で監督をしたりして、現在もプロ野球界の役員をしていることが今回わかりました。
 甲子園で栃木県が優勝したのは、62年と今年の2回だけです。しかも、作新学院です。準優勝は何回かありますが、たった一度の優勝というのは、如何に困難化を思わずにはいられません。
 小針監督は、私の住む、宇都宮市宝木町にある、宝木小学校、陽西中学校、作新、筑波大学を経て、10年前に、作新学院の監督に23歳の若さで就任しました。そして、2011年から6年連続、夏の甲子園に出場しています。これまでに、ベスト8が1回、ベスト4が1回ありますが、多くの場合、1回戦は勝っても2回戦は敗退が多かった。しかも、負けた相手が、今治西高校が多かったのでした。その出身の友人が、四条町教会に出席しているのです。私は、おもわず、「今治西とは試合したくないけど、抽選ではしかたありませんね!」の、挨拶が何年か夏になるとありました。
 今年の高校野球については、ここで書かなくても皆様百もご承知のことと思いますが、私の喜びと興奮とはいまだとどまることを知りません。つづいての、アジア大会でも、今井投手、入江選手も大活躍、1位で突破して、次は、世界大会です。アメリカ、カナダ、ベネズエラなど、強豪との試合に突入します。
 あれから54年、当時11歳だった私、ああ、生きていて幸せだなあ。今年は最高の年になりました。作新学院は、我が家から2キロの所にあります。54年前の時には、野球選手たちが、盲学校の先輩たちから、マッサージの治療を受けたという、話も聞いております。先輩の中には、覚えていらっしゃる方もいるのではないかと思います。盲学校の理療科も、影ながらの応援をしていたのですね。
 さて、ここで一つ書き落としてはならないことがあります。全国の皆さんは、作新といえば江川卓てはないか?優勝をしたのは江川の時ではないか?と、思われる方が意外に多いのです。怪物江川で、マスコミは当初から騒がれていました。私も期待していました。
 それは、確か1973年(昭和48年)のことでした。春の選抜高校野球では、準決勝まで進んだことと思います。ところが、ベスト4で敗れてしまいました。夏こそは!と、私は期待していました。大学2年生の時でした。栃木県では、江川投手のボールには、三振の山を築きました。ほとんど0点に抑えました。2試合が完全試合、さあ夏の甲子園です。春がベスト4だから、今度こそ優勝だろうと、県民は、期待を膨らませました。
 夏の大会になり、1回戦は、まず勝ちました。2回戦の相手は、銚子商業高校でした。どちらも好投手の投げ合いになりました。0点の連続で、ついに延長戦です。その頃、空から雨が落ちて激しくなりました。江川は、ひたすら投げ続けました。延長12回、さすがの江川にも疲れが見えてきました。フォアボール、エラーなどもあったかと思います。ツーアウト満塁、ツーストライク、スリーボール。江川の渾身を込めて投げたボールは、悲しくも「ボール」との審判の声!押し出しサヨナラゲームでした。雨の中、呆然とたたずむ、江川の姿があったといいます。ああ、無情!
 作新学院は、2回戦にして敗退、甲子園の砂を袋に詰めて帰ることになりました。当時の名監督・山本さんはいいました。確かに江川は怪物だった。向かうに敵無し。だが、点数が入らなければ勝つことはできないんだね。一人では野球は勝てないのが良く分かりますよ。
 今回のチームは、小針監督を中心に、みんなそれぞれが考えて、一丸となって努力して戦った、やはり「弱そうに見えても、チームワークが一つになると強いんです」と、先日の放送でも語っていました。江川さんは立派だと思います。あそこまで、良くチームをリードしました。9年間で135勝で、惜しまれつつジャイアンツを引退しました。自伝「たかが江川、されど江川」をお勧めします。
 作新学院は、1885年に創立し、131年になります。これからも、高校野球は言うまでもなく、オリンピックで大活躍の萩野公介選手もそうですが、スポーツ界での活躍を地元から応援しています。
2 栃視協音楽会発表会について
 9月11日、今年も、視覚障害者の音楽会が、栃木県福祉プラザにおいて行われました。私は、The music Lovers の一人として、主に司会を担当し、ピアニカで参加しました。このグループは、総勢11人、ギター5人、ウクレレ1人、コーラス3人、そして、ピアニカから編成されています。今年も、5曲を練習しての発表です。その中で、私が語りをいれたのは、クライマックスの「花嫁」と、永六輔さん作詞の「上を向いて歩こう」でした。去る7月7日に83歳で死去した、永さんを追悼して選曲しました。
 「花嫁」の思い出については、以前のエッセイでも書きましたが、1971年2月11日、当時19歳の増田君と私が、電車に乗って、東京に行った思い出の一端を語りました。電車は、架線事故のために遅れました。全盲の19歳、二人はそれでも、寿司詰めの電車に乗って出かけました。その日のレストランで聞いた局、それが、クライマックスの「花嫁」でした。
 上を向いて歩こうについては、永六輔さんのラジオでの放送を紹介しました。それは、次のような楽しい話です。晩年、永さんは、パーキンソン病で苦しみ、入院をしました。その時の、リハビリの担当は、インドネシアから、看護師の留学に来ていた女性でした。看護師は、リハビリのときに、永さんに向かって、「この歌でリハビリをしましょう」と、言って、上を向いて歩こうの歌を歌い出しました。そして、「あなた、この歌を作った人、知っていますか?」と聞いたそうです。永さんは、恥ずかしいので、「僕は知らないよ」と答えました。
 次の日、永さんの担当医師に、そのことを伝えると、ドクターは「永さん、はるばるインドネシアから来ている人に嘘をついてはいけませんよ。あなたが作詞したことを、きちんと伝えなければだめですよ。」と言われました。次のリハビリの時、インドネシアから来た看護師が、またもや上を向いて歩こうの歌を歌いだしました。永さん、今度は、「その歌だけど、実はその歌は僕が作ったんだよ。」と言いました。するとその看護師はいいました。「永さん、また嘘をついてはだめですよ。」といわれてしまいました。
 そこで、笑いながら永さん、言いました。「恥ずかしくても嘘をついてはいけないよね。外国から来た、その人はどっちを信じたか?確認したかはいまだに分からないなあ」とのことでした。数多くの歌を作詞し、多くの人たちから愛された永さん、私たちの心にいつまでも残ることと思います。
3 私の読書ノート
(1)林真理子著「白蓮れんれん」
 白蓮は、主に大正から昭和の人です。2年前、村岡花子の「アン」にも登場しました。今回、私が読んだのは、94年に書かれた、白蓮の大作でした。様々な資料を駆使しての傑作です。
 白蓮は、天皇家の親戚にあたります。事情があって、九州筑豊の炭田の大富豪・伝右衛門と結婚をします。彼女は、東洋英和大学を卒業し、21歳のお姫様でした。伝右衛門は、50歳になろうとしており、何人も女性がいました。やがて、白蓮は、文学に目覚め、東京に通うことから、ひとまわりも若い龍介と熱烈な恋に陥ります。そして、最終的には、白蓮は離縁の宣言と再婚の発表を新聞で公表するのでした。
 当時は、センセイションを巻き起こしました。ただ救いなのは、伝右衛門側も、穏便に話をまとめ、この本のためにも、孫に当たる人が、当時の手紙などを協力してくれたので、事実として説得力があります。イギリスのチャールズ皇太子とダイアナ元妃の話ではありませんが、白蓮も自分に正直に生きた、大正時代の自由・闊達な女性でした。昭和も、戦後まで長命の人生を歩みました。
(2)林真理子著「女文士」
 これは、白蓮と同様、大正・昭和を生きた作家、真杉静枝の生涯を描いた長編小説です。当時の有名な作家が、次々と登場します。志賀直哉、武者小路実篤、有島武郎、北原白秋などなど。女性作家も10人登場します。林芙美子をはじめ、その頃の文壇の様子が良く分かります。
 秋の夜長、読書の季節ですね。「読書は心のオアシス」皆様のお勧めの本も教えてください。
 最後はオリンピックにまつわる時事川柳で締めます。
 「任期より 人気が気になる アベマリオ」
 「リオに来て 愛は苦しいと知りました」
 福原愛ちゃんに拍手です。結婚おめでとう!それではまた10月によろしくお願いします。


 


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