第24話 大学2年生(1973年)



 1973年(昭和48年)、私は大学2年生になりました。大学生活と教科書の準備にも大分慣れてきました。一般教養は相変わらず点字の教科書はないままでの学習環境でしたが、高校時代に勉強したことの繰り返しが多かったように思います。倫理学だけは興味深く聴かせていただきました。また、政治学という教科を選択しましたが、担当の先生は、アメリカのマーチン・ルーサー・キングの研究家であり、アメリカにおける黒人差別の問題を、政治学の立場から講義をしていただき、とても楽しく有意義な授業でした。その先生からキング牧師の生の録音メッセージを数本聞くことができて、感激した思い出があります。試験はレポートで「黒人差別について」、キング牧師の作品を読んでの提出でした。私は、ペイトンさんからその点について前から聞いていたので、ジャストミートでした。ペイトンさんは、白人の牧師で結婚をしており、ふたごの息子がいました。しかし、黒人の女の子を幼女として家庭に迎えていました。このことは、後日私が里親になる動機付けにもなっていると思います。
 さて、大学2年生では52単位を習得しましたので、10人を超える先生方との新しい出会いがありました。それぞれ忘れられない思い出がありますが、今回は二人の先生の思い出を書きます。
 一人目は、澤正男先生です。澤先生は、東京都立新宿高校で教鞭をとられて、退職後、桜美林に講師としていらっしゃいました。澤先生の声を聞いた最初の授業、私の心は驚きと喜びで興奮しました。といいますのは当時NHK第2放送では夏休み中に「大学受験講座」の英語読解という番組があり、「講師は都立新宿高校の澤正男先生です」という番組を、私は専攻科の2年間、聞き続けていたからです。よもや大学で直接教えていただけるとは夢にも思いませんでした。何と感謝なことか。澤先生には2年・3年と教えていただきました。2年の時には英文読解、3年の時には、教育指導法だったと思います(先生は現在は召天されていらっしゃいます)。英語読解では、『What Is The Man?』というエッセイを読みました。人は何のために生きるのか、人生とは何か、というような内容だったと思います。筆者の結論は、人は自分だけのために生きては意味がない、他者のために生きることがすなわち、自分の人生の喜びであり、目的ではないか、といったようなことだったと思います。その2年B組の英語の授業の最中、澤先生は、いきなり次のようなことをお話になりました。澤先生は、日本基督教団東京白山教会の信徒でした。そして、先生の言葉をほぼ記憶のままに書くと以下のようになります。「私は恥ずかしいのですが、戦争の体験もあり、韓国人に対して差別をしていました。実は私の息子が韓国に留学して、ある女性と恋愛をして結婚をすることになりました。私は猛反対をしたのです。クリスチャンでありながらとは分かります。しかし、いざ自分の息子、しかも将来は牧師になろうという息子です。日本の教会でどのようなことになるかはおおよそ想像がつきました。ですから反対をしました。すると、息子はこんなことを言いました。『おやじは韓国人が嫌いなのか、それとも俺の彼女が嫌いなのか、彼女に会いもしないで反対するとは、無知の差別ではないか。俺の愛した女性に会ってから反対するならば許せるけど、会いもしないで反対するなんてとんでもない差別だ。』」。このように澤先生は話されて、授業の中でボロボロと涙を流しました。「僕がわるかったのです。息子に心から謝りました。僕の深い反省から君たちにも言います。人の噂や評判で他者を評価してはいけないのです。その人に会って自ら確認をしなければいけませんね。」とおっしゃいました。私は澤先生の誠実な人格の心の奥底に触れた気がしました。その日は、私も心が熱くなったのを覚えています。澤先生の英語は、言うまでもないことですが、ラジオで聞いた英語と同じで、イギリス英語の美しい英語でした。当時70歳近くになっていらっしゃったかと思いますが、心臓がわるく、ペースメーカーを付けながら東京都心から1時間以上の通勤でさぞかし大変だったと思います。
 澤先生の思い出はもう一つ忘れられない思い出があります。大学3年の教育指導法の授業でした。指導案の作成法の書き方などについては、淡々と授業を進めていらっしゃいましたが、後期のある授業でこう話されました。「もし、君たちの中で幸いにして教師になる人が出たら、私からひとつだけ贈ることばがあります。それは、1時間ごとに授業に真剣勝負をして欲しいということです。そして、第2次世界大戦から学んだことですが、自分の教育理念、信条にしたがい得ない時は、即刻、辞表を校長に提出しなさい。魂まで殺して仕事をしないでもらいたいのです。教員になって家を出るときは、ポケットに辞表届けを持って出かけなさい。」という言葉でした。私は、その言葉を聞いて、身震いしました。それだけの責任があるのだということを、先生は伝えたかったのだと思いますし、澤先生は、その意気込みで、新宿高校で長年教壇に立たれたのだと思いました。澤先生からの激励の言葉を退職まで覚えて心の中で反芻しましたが、そう簡単に辞表を出せる人生ではなかったのが、私の人生でした。
 次に池谷先生の思い出を書きます。池谷先生も、澤先生と同様NHKの大学受験講座を担当していらっしゃいました。現役時代は東京都立日々谷高校で教師をなさっていらっしゃいました。当時、新宿高校と日々谷高校は、東京大学へ送り出す生徒の数が上位の進学校でした。私は大学のランク付けには反対ですが、それがその頃の評価でした。私が2年・3年の時に、英文学の作品を教えていただきました。池谷先生もクリスチャンの先生でしたが、時々信仰的な話をしてくださいました。例えば、「自分は無神論者だというけれど、欧米でそれを堂々と言うとビックリされますよ。あなたは、神も仏も信じない程、自分が偉いと思うのですか、ときかれますよ。神や仏を信じないということは、自分も信じられないということです。俺が信じるのは自分だけという人がいますが、その自分さえ結局信じられなくて、自殺をする哲学者が数多くいます。」。池谷先生は、ウイリアム・シェイクスピアの研究をなさっており、私の思い出す限りでは二つのことを覚えております。シェイクスピアは、私たちの人生を舞台にたとえ、一人ひとりが舞台に立つ主人公であること、そして、あなたの人生の中ではあなたが主人公なのだから、どのような人生にするかは、あなたが人生の作家であり、主人公なのです。と話されました。そしてまた、シェイクスピアの原点は sense of wonder であるというのです。人生は「驚きの感覚性によって生かされている人生、どんな小さなことにも、驚きのまなざし、心の感受性をもって生きることが大切です。」。池谷先生はそのようなことを、幾度となく話されました。「神が存在するかどうかについては、いろいろな考えがあるでしょう。私が思う限りでは、神は、人間に永遠を思う気持ちを与えてくださいました。ですから、そのことを考えられるのは人間だけですから、私は神の国、永遠の国を信じています。」ともお話になっていました。3年生の最後の授業での贈る言葉では、「君たちの人生は順風満帆という人生ではないかも知れません。そんな時には、立ち止まってポーズを取ることです。つまり、あせって何かをするのではなくて、人生を振り返り考える「間」の時と思って休んでください。病気もあるし、職場での試練にも遭うでしょう。その時ポーズをとってみると、周りのこと、自分のことを、冷静に見ることもできるのです。」。そのようなお話だったと思います。池谷先生のご自宅は、町田市から車で30分程度の所にお住まいになっており、ある時クラスメイトの車に乗せてもらって、池谷先生のお宅にうかがって、しばしお話をすることができました。本当に貴重なひと時でした。
 さて今回の最後は、私の英会話学習法です。第22話のところでは、平山さんの学習法について書いていただきました。私の英会話学習法は、平山さんからヒントを得て、大変大きなアドバイスをいただきました。平山さんと共通なことは、高校時代からNHK英語会話の点字版を、東京光の家の点字図書館から買って勉強したことです。その他に、当時文化放送から「百万人の英語」という番組が放送されていたので、とても勉強になりました。平山さんの帰国後、早速勉強を始めたことは、アメリカの放送FEN(日本にいる米軍の人たちのための放送局)を聞くことでした。40年代のサスペンス、喜劇ドラマを毎晩9時から10時まで放送していました。私も平山さんのアドバイスにしたがって、分かろうと分かるまいと、1時間はラジオの前に座って聴きました。英語は聴くことから始まります。特に会話はそうだと思います。最初の頃は、全く分かりませんでした。テレビよりラジオドラマがよいのは、全て聴き手がストーリーを追うことができるのです。私たちにとりましては、場面がクルクルと変わる英語のテレビ番組は、余程のことでないと分かりません。ましてアクション映画はお手上げです。
 さて、そのように聴き続けていたある日、30分のサスペンスドラマを理解することができました。目の前の舞台の幕が開いたような感じでした。それから今日まで「一に聴く、二にも聴く」です。
 次に英語を話すことですが、私の場合は、最初大学入試のために覚えた500ばかりの例文を、5年ほどお題目のように毎日唱えていました。忘れてしまうのが怖かったのです。それは盲学校の教員になってから2年間程続けましたが、ある時を境にやめました。それは、英語で夢を見られるようになったからです。もう大丈夫だ。私は英語が話せるという自信が与えられました。上手いかどうかは別問題です。大学時代も一人で歩きながら、Q & Aを時には口に出して英語で話すのです。「今日の天気はいいね。」、「ああそうだね。」、「今日の大学の授業はなんだい?」、「ええと、…」といったような具合です。周りの人が聞いたら、かなり変人と思われると思います。それが進むと、人との会話を聞くと、私の脳が英語に変換を始めます。「それは焼け石に水だね」と聞くと、さて英語では何というかな、という具合です。気になりだすと落ち着きません。「a drop in the bucket」というのに会うと安心するのです。今はラジオ・インターネットで、好きなだけ英語を聞くことができます。日本の新聞に載っていないニュースを英語で聞くと、「我が意を得たり」です。ゴルフプレイヤー、石川遼君の「英語のシャワー」というコマーシャルが最近流れていますが、これは間違いではないと思います。営業妨害をする気持ちはありません。本人が、英語を勉強したいと思ったら「習うより慣れろ」ですね。英語の力は語彙の力とも言われていますから、忘れてもいい、そしたらまた覚えることです。講演会やどなたかの挨拶を聞いている時、私の脳の中は、自然に英語へと変換が始まります。ひと言加えますと、英語から日本語への通訳は極めて難しいのです。その人の考え方や使われる単語の意味が正確に分からないと通訳はストップしてしまうのです。プロの通訳者でも、何でも通訳できるわけではありません。ある時、その時は日本語から英語への通訳でしたが、宇宙の話をしていたとき、「うちゅうじん」という言葉が出てきたそうです。そのプロ通訳者、思わずspacemanと、言ってしまいました。実は、宇宙塵(うちゅうのゴミのこと)でした。



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