番外編@ 我が人生旅日記を読んで
(赤坂昇一)




 今春、栃木県立盲学校を退職された阿久津啓司先生(今後は阿久津さんと略す)が、とちのみ会のホームページに「我が人生旅日記」を連載しています。私は最初から感心しながら読ませていただいております(34話まで読みました)。それにしてもよく詳細に記憶されているものだと感服しております。私は阿久津さんが入学される3年前の昭和30年4月に栃木県立盲学校高等部本科1年に入学し、春光寮に入寮しました。そのころの盲学校は宇都宮市大和町、東武線の江曽島駅から約100mのところにありました。学校周辺には商店街があって、寮のご飯で物足りなくなると、パンは時田パン屋、ラーメンはひます屋、やきそばはおかめ屋に食べに行ったものです(私が入学してまもなく宇都宮市の市議会選挙が行われ、春光寮から50mほど東に平河パン屋があって、その社長が市議会議員に立候補して、買いにいくとサービスがすごく良いので、そこにも買いにいきましたが、その社長は落選して、それっきり平河パン屋さんには買いに行きませんでした)。寮の食事は、三食とも全員が揃ってから、食べることになっていましたが、寮長に交渉して昼食と夕食はいった順から、食べさせてほしいと交渉したのですが、これが結構大変で、次の言葉をみんなで朝食の際、唱えてからならよいと言われ、それを寮生会が了承して昼食と夕食は食堂にいった順で食べられるようになりました。その言葉とは「この食物を作って下さった農家の人達と多くの皆様方に感謝いたしましょう。」というような文言であったように思います。正確な文言を覚えておられる方がおられたら、教えて下さい。
 入学してまもなく校庭の改良工事が行われ、板塀が取り壊されて、土塀が築かれその上に鉄条網が張られておりました(現在は土塀が取り外されております)。校庭の改良として水はけをよくする工事も行われた関係で、その年の運動会は行われませんでした。その頃は、11月3日に「寮祭」を盛大に行っておりました。予算は1万円で(1万円は今の10万円以上でしょうか)、実行委員に柳、野口、設楽、故小森禎司さん等が内容などを吟味されて実施されました。前日はレコードコンサート、これも歌謡曲・ジャズ・クラシックと分かれて行われました。当日は、校庭でキャンプファイアーをしてから、寮内を練り歩き、関係のない寄宿舎にもおしかけて喜びあったものです。私も昭和32年には、寮生会長を拝命していたのですが、委員会などに私自身が参加した記憶がないのです。ただ、修学旅行を寮祭が終了してから行うようにと澤田寮長に言われて、変更した記憶があります。この寮祭も昭和33年に澤田先生が寮長をおやめになって中止になったと思っております。したがって、阿久津さんが入学された年には寮祭はなかったから、旅日記には書かれていない訳です。あのころの盲学校の常啼は三療中心で、進学と言えば、理療科の先生になるための東盲(東京教育大学附属特設教員養成部、現筑波大学理療科教員養成施設)に進むぐらい。大学には、故小森禎司さんが進まれたぐらいです。視覚障害者にとってのあん摩マッサージ指圧師・はり師・きゅう師は、大事な職業教育ですが、能力に応じて、その人にやりたい職業に就くことを行うことが、最も大切だと思います。これからもそのような方針で進んで行くことと思います。
 演劇と言えば、担任の先生が図書館から探してきたものを放課後1ヶ月ほと練習して、演じた程度。弁論大会は、校内をはじめ盲学校の大会や県内の高等学校の弁朗大会に参加して、好成績を挙げた私の同級生で、旧姓田村幸子(現恵坂)さんもかなりの成績を挙げました。今、思えば私の弁論などは貧弱なものだったと思います。それと比較すると現在は、演劇の台本を生徒さんが作成したり、大学進学も多くを数え、それぞれの職場で活発に活躍されておられます。その基礎としての教育を熱心になさった阿久津さんの功績たるや偉大なものだったと評価されます。栃木県立盲学校には素晴らしい先生方が揃っておられたと思います。阿久津さんが、栃盲でなく中央の学校で教鞭をとられていても、また素晴らしい生徒さんをお育てになったことでしょうが、栃木県内の視覚障害者のことを思えば、これで良かったのかと思います。私が専攻科1年の2学期から、大和町から駒生町(聾学校後、現在は教育会館・コンセーレ)に移転し、寮生はスクールバスで送迎されました。校長先生も澤田先生から小野里先生に代わりました。両者の違いは、澤田先生は、何事においても校長先生が陣頭指揮をして、気に入らないとやり直しをさせられたようですが、小野里先生は、お体も大きく、温厚な方でしたが、行事の運営については、担当職員に指示をして良い悪いの判断はしなかったようですから、そういうことから言えば、先生方の心は楽だったと思います。
 まとまりもなく書いて参りましたが、阿久津さんのクラスメイトは人材が揃っていたようですね。気候不順の折から、お体大切にとちのみ会の皆様方の御健康と御活躍をお祈り申し上げます。



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