2015年5月後半





 今回は、今月読んだ本の中から、遠藤秀作さんの作品を紹介します。遠藤さんは、1923年から1996年の人生でした。慶応大学仏文科を卒業、60年「白い人」で芥川賞を受け、66年には「沈黙」で、谷崎潤一郎賞を受け、95年には文化勲章を受章しました。
1 白い人
 第2次世界大戦中のパリでのできごとです。ドイツ軍が、パリを数年間侵略します。その中にあって、フランス人も、ドイツに従う人たちと戦う人たちに分裂します。主人公は、母親がドイツ人であったために、フランス語とドイツ語を話すことができ、ドイツ軍に協力します。その結果、逮捕され、拷問・陵辱される二人の中に、大学時代の友人がいました。友人といっても、その心には嫉妬心・憎しみが心の中に渦巻いていました。
 ドイツ軍に逮捕された友人の1人は、カトリックの神父になっていました。彼は、フランスを救うために抵抗していたのですが、拷問によって殺害されました。その手伝いをしていたのが主人公でした。
 白い人とは、白い服を着ている神父をさしており、主人公の心の中にある、罪悪感(罪とは何か)、戦争がもたらす残虐性(同じ国民同士の憎悪)などについて、鋭く問いかけている本です。遠藤さんが、フランスとドイツの戦争から、作品を書き、芥川賞を受けていたことは知りませんでした。仏文科を専攻した遠藤さんは、フランスの実情からこのような作品を書いたことと思います。エゴイズムと男女の愛をテーマにした、夏目漱石著「こころ」と、問いかけている問題は極めて類似していると思いました。
2 沈黙
 これは、江戸時代初期、徳川幕府は、キリスト教を禁止し、キリシタンたちを迫害しました。穴を掘り、逆さずりにしたり、拷問をして、信仰を捨てて改心するようにと徹底しました。踏み絵が、その手段に使われました。時には、海へつれて行き、杭を打ちつけて、縄でキリシタンを縛り付けて満潮になるのを待ちます。改心すれば許されます。しかし、多くのキリシタンは、天国への希望を持って死んでいきました。
 「沈黙」は、その中で、はるばるポルトガル、スペインから日本に宣教師としてやってきた人を取り上げました。宣教師は、あらゆる拷問に耐えました。しかし、ついに疲れ果て、彼は、キリスト教から改心するという話です。
 私は、高校時代、キリスト教に興味をもち始めていた時でしたので、ガッカリした記憶があります。日本人の幼い子どもまでが、ゼウス様と、唱えながらパラダイスを夢見て、天国へ旅立って行きました。何故、宣教師が改心(ころぶといいますが)したのだろうか……?との疑問をもった記憶があります。
 しかし、私が大学に入ってから、考えが変わりました。遠藤さんは、その小説を通して、キリスト教の信仰から改心した宣教師を、こよなく愛し、神様も、助けの手を伸ばしてはくださらず、沈黙をたもったままだけど、あなたのことを愛して、分かっているよと、言っていますよと、私たちにメッセージを送っているのだと感じました。そして、その神の愛は、今でも変わることがないのです。人の心は、「ころころと変わるから心というのです」と聞いたことがあります。しかし、神様の愛と許しは、沈黙していても、あなたをジッと見つめ、守って下さるのですとの、遠藤さんの信仰ではないかとのメッセージだったと思いました。
3 海と毒薬
 これは、昨年の「メルシーとちのみ」でも、一部書きました。第2次世界大戦中、軍部は、九州大学に命令して、アメリカ人をはじめとする捕虜たちに対して、医学の実験をしました。ペスト菌・その他、通常では実験できない細菌を、投与していたのでした。そのデータは、おそらく全て、戦後、アメリカの手に渡ったのだと思います。森村誠一著、「悪魔の飽食」では、中国において、捕虜たちにたいして同様の実験をしていました。731部隊と言われていますが、戦争終結と共に、資料・データはアメリカの手に渡り、関係者は不問に付されました。
4 毅然として死ねない人よ。それでいいではないか(2014年発行のエッセイ集)
 遠藤さんは、19年前の96年に亡くなりました。しかし、沢山のエッセイを書きました。この本は、晩年の遠藤さんのエッセイをまとめて、昨年発行されたものです。亡くなる1年前に主に書かれたエッセイです。高齢化社会を迎えるこんにち、生きるとは何か?死を迎えてどう生きたら良いか?筆者の正直な考えが書かれており、多くのことを学びました。
 1つだけ、書きますと、イエス・キリストには12人の弟子がいたというが、遠藤さんは、本当は13人の弟子がいたのではないかというのです。その弟子の名前は、ずぼらといいます。タバコをプカプカふかし、酒をガブガブ飲んで、寝坊はするし、適当に生きている弟子。正にそれは私でした。でも、キリストは、そのずぼらという、弟子をこよなく愛していたというのです。私はずぼら、そのずぼらをキリストは愛していたのです。ですから、私は、キリスト信者になれたのです。
 そして、最後はみんな死んでいきますが、最後はどんなことになるか誰にも分かりません。認知症になるかも知れません、それでも良い、「死にたくないよ!」と、泣きわめくかも知れません。良いではありませんか?毅然として、かっこよく死んでいかなくても、もちろん、できればそれでも良いのですが、今日1日生かされているままで、ありのままに生きて、ありのままに死んでいければ、あちらには、平和と希望が待っていますから、人生明るく、楽しく生きたいものだといったことが、私の心に安心感を与えてもらいました。
 遠藤さんは、本日取り上げた、極めてシリアスな問題、問いかけの他に、コリアン先生とのペンネームをもっていて、実に楽しい作家でもありました。例えば、迷惑電話がかかって来ると、おもおもしい声で、「こちらは、ただいまお通夜の最中でございます。」と言うのです。さすがの売り込み業者も「失礼しました」と、電話を切ってくれるとのことです。オレオレ詐欺にもこのようなことができたら良いですね。
 ユーモアがあって考えさせられる本に、「おばかさん」という本があります。皆様にお薦めいたします。今月後半は、本の紹介にて失礼いたします。真夏のような5月でした。6月はどうなりますか?健康に留意して、6月を迎えましょう。お元気で。
 追伸、5月生まれの皆様おめでとうございます。そして、実は、私・5月30日で64歳になりました。私を生んでくれた、今は亡き両親に感謝。今日まで生かされていること、神様に感謝いたします。






 私のダイアリー  /  トップページへ