2015年6月前半





 今日は6月6日。
 中国では、450人を超える人たちを乗せる船が転覆し、今だに捜索中である。生存への希望は悲しいかな望むことも難しい。鹿児島県の口永良部島では、火山が噴火し、島民137人が隣の島へ非難している。人生とは何と悲しいことか!
 さて、今回は政治のことを書かないではいられない気持ちである。5月26日から、集団的自衛権に関する10の法律についての集中質疑が行われていた。質問する側、答弁する側とも、前もっての提出議題なので、議論がかみ合わず、聞いていても、イライラするばかりであった。そんな折、一昨日、6月4日、納得の行くニュースが耳に入って来た。国会の憲法についての参考人招致で、3人の憲法学者が、明快な回答をしてくれた。二人は、早稲田大学の教授、1人は慶応大学の教授であった。推薦したのは、自民党、公明党、次世代の党、民主党等であった。その3人、とりわけ、自民党・公明党の推薦した憲法学者を含めて3人とも、集団的自衛権は、「憲法第9条から考えるならば、明らかに違憲である」と、明快な回答を出してくれた。これを聞いて私は、久しぶりに膝をたたいた。さすがに憲法学者、時の権力者たちに、妥協をしなかった。憲法学者としての、見識を否定する訳にはいかないであろう。
 そもそも、昨年の7月1日に、内閣で、集団的自衛権を閣議決定し、5月には、安倍総理がアメリカで、かってに公約をし、それから、法律を国会に提出することは、国会を軽視し、衆議院で3分の2を超えているからという、力による暴挙であり、手続きも本末転倒としかいえないのである。
 そこに来て、大新聞の多くは、沈黙をたもったり、容認するような態度で見過ごしていた。国会が始まってから、やっと、「問題が残らないか?」、「平行線である…。」等といった、コメントが出るようになった。
 前回も書いたが、安倍総理が、アメリカに行って、オバマ大統領と会見している時に、日本からは千人を超える人たちが、国連に集団的自衛権の反対に、また、アメリカを始め、他国からも、それに加わり、総勢7千人が国連を中心にデモ行進をしたというのであるが、日本の主な新聞は全く掲載しなかったし、テレビ・ラジオもニュースにしなかった。私は、朝日新聞に、そのようなニュースがあるかどうかと電話をしたが、朝日新聞は把握していなかった!情けなや!
 私のような、名もなき一市民が知りえた情報である。これは私の思い違い、勘違いかと、何度も、関係者に問い合わせたが、間違いでないことを確認したのである。
 話を元にもどそう。6月4日の3人の憲法学者の先生たちは、一口同音に憲法9条は、戦争を放棄しているのであり、時刻を守るならばいざしらず、他国まで、武器を持って行って戦うことが、自衛権には到底あたらない。憲法を極言なく逸脱しているとの見解である。国会議員の先生たち、そんなことも分からないのか!とばかりの、統一見解であった。
 これに対して、菅官房長官は、「憲法学者の中には、集団的自衛権が、憲法9条に抵触しないと思っている憲法学者もいるはずだ。」と、コメントしていました。菅さんは、いったい何を根拠に、外国へ出て行って戦うことが、戦争放棄なのか、分かっていないのではないか?
 68年間、内閣法制局が、憲法理解を忠実に法律の立場、憲法の立場から見解を出していたことを、2013年の選挙の結果によって、変わった1つの内閣の拡大解釈で、日本が戦争へと、回れ右して良いのだろうか?国会議員の皆さん、もう一度「ポツダム宣言」を読み直して欲しい。
 今回、私はポツダム宣言を、朝日新聞に掲載されていた全文を読みました。1945年7月26日に公表されていました。その中で、ハッキリしていたことは、この戦争の責任は、日本国民ではありません。戦争を始めた、軍部の指導者にあります。したがって、その責任も、その指導者に全ての責任があります。一刻も早く戦争を終わらせないと、日本国は、さらなる犠牲と ダメージが、日本国民の上に起きることになります。日本の軍部は、1日も早く、戦争を終結することを望みます。……と、いったようなことが書いてありました。
 つまり、連合国は、天皇に責任を負わせようとしていなかったのです。陸軍を中心とする軍部は、天皇陛下の命が危ないのではないかと心配したかと言われていますが、本当は、自分たち、軍部の身の行く末を案じていたのではないかと、私は思わずにはいられません。現に、昨年書いた「メルシーとちのみ」では、原爆は以前から予告されていたというのです。ロシアも、8月に入ってから、日ソ不可侵条約を破棄して、あっというまに、北方四島を占領してしまいました。ポツダム宣言を、7月中に受入れていれば、広島と長崎に原爆が投下されずにすんだのです。
 自民党の推薦した憲法学者が、勇気をもって、集団的自衛権が違憲であるといいました。敬服に値します。学者としての見識をみごとに守ったのだと思います。それと同時に、その後で、3人の人たちが、「今は、自分の信じることを、胸をはっていえないで、ビクビクしながら言わなければならないことは残念なことです。」と言っていたことが、私の胸に突き刺さりました。日本の空気がそのようになりつつあるのだと思います。自民党の中にも、半数ぐらいは、内閣のやり方に反対の意見をもっていると聞いております。
 私が聞いた話には、実は、この話には裏があるというのです。憲法改正から堂々とやるべきだと信じる国会議員がいます。まずは、憲法を改正してから、集団的自衛権に行くべきであり、今のようなやり方は、基本的には間違えている。自衛隊の人たちにとって、何のために戦い、もしも命を亡くした時の保障が無いではないかとの不安です。戦争中ならば、天皇陛下のために命を捧げ、靖国神社に祭られるとの保障がありました。しかし、現在、このような状況で、海外へ行って戦って命を失っても、順境したというだけで、経済的保障はあるが、国のために命を捧げたとの、国家的保障がなされていない。しかも、国民の70%が、反対しているというのです。国会で、圧倒的多数で可決されても、憲法がこのままでは、よって立つべきものがないというのです。
 そこで、憲法学者の皆様から、改めて、今回の「集団的自衛権」が、いかにあいまいなものであるかを、ハッキリさせて、話を原点に返そうという動きがあったのだという仮説です。憲法改正に最も積極的な人の1人に、栃木県の選出議員、船田元さんがいます。憲法改正委員会の委員長です。船田さんは、慶応大学出身の人です。今回の、憲法学者3人を推薦した有力者が、船田さんでなかったかと、私は推測しております。あくまでも私個人の推測ですので、誤解のないようにお願いいたします。
 今回、もうひとつ書きたいことがあります。それは、翁長沖縄県知事がアメリカに行ったことについての、マスコミの取り上げ方です。大新聞は概ね、冷たく取り上げていました。即ち、ハワイの知事は、沖縄の基地の問題は、国と国の問題だと、冷遇であった。ワシントンでも、あまり真剣に議論されなかったなどと、メディアでは取り上げていました。
 ところが、沖縄の新聞では、全く違っていました。ハワイ州の知事は、沖縄出身の日系アメリカ人ですが、翁長知事に「大変かと思いますが頑張ってください」と、励ましたと言うのです。また、ワシントンでも、共和党のマケイン議員等は、「沖縄で、県民がそのように不安をもち、心配していることは、聞いていなかった。考えなければならない。検討する必要がある。」等との発言が数名の議員からあったとのことです。大新聞は、何故か、このような記事はほとんど取り上げていませんでした。
 週刊誌によると、新聞だけは、消費税を免除してもらいたいから、政府に擦り寄っているのではないか?と、書いています。新聞の消費税と、集団的自衛権の問題、日々、命の危険にさらされている、沖縄の人たちのこと、どちらが大切なのでしょうか?翁長知事は、「これから、自分は、基地が無くなり、沖縄県が、美しい自然の県になるために、命がけで戦うと言っています。もし基地が無くなれば、観光地として生まれ変わることができるはずだ」と言っています。基地への政府の援助とアメリカ軍の援助に頼りきっているようでは、いつになっても、明るい沖縄、平和な沖縄にはならないというのです。翁長知事に拍手を送りたい気持ちです。
 最後に、普段、私が感じていることを書きます。もし、他国の戦争に自衛隊が出かけて行ったら、その人たちだけの問題では終わらないと思います。日本にもミサイルが飛んで来るかも知れません。若者たちも、究極的には兵役の義務が課せられると思うのです。戦前の本を読めばわかります。そんなことを思えば、幼い子どもを持つ親たち、現在大学生を中心とする、20代・30代の皆さん、何も考えず、行動しなくても良いのでしょうか?選挙にも行かず、「誰がやっても同じだ。俺には関係が無い」と、言えたのは、つい4年前の東日本大震災、福島第1原発が水素爆発するまでのことと思います。
 来年から18歳以上のひとたちにも選挙権が与えられるようです。もはや新聞だけでは信じられない時代になりました。私は、テレビよりも、今では、民間ラジオのニュースや週刊誌、文芸春秋の方が、遥かに信憑性があると思います。さらに、海外からのニュースも必要ですね。
 今回は、政治ニュースに力が入りました。戦前と戦後の唯一の違いは私たちに選挙権があるということだと思います。来年の参議院選挙が、その岐路に立つ時と思います。ニュースに惑わされず、一人ひとりが考えて判断する時代になりました。
 平和かな 本音をいってよ やじなみに(時事川柳より)






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