2015年10月前半
皆様いかがお過ごしですか?先月は、栃木・茨城を中心に豪雨があり、多大な被害を受けました。農業関係者の被害は、言葉にはなりません。妻の実家では、稲刈りをしようと思っていたやさき、風で倒れてしまったので、当分稲刈りはできないと言っております。青森ではリンゴが3割落ちたと聞いております。お見舞い申し上げます。
10月4日の朝、インターネットを開いて、愕然としました。バングラディッシュで、農業指導員として働いていた、星さんという人が、イスラム国・アイシルに射殺されたというのです。後藤健二さんを含めて3人が殺されたことになります。日本政府は、現在のところ、ノーコメントです。おそらく、「テロリストには断じて屈しない」というような言葉が出てくるのではないかと思います。
前回のダイヤリーで書いたことが、こんなに早く始まるとは……。言葉がありません。集団的自衛権の法律がいかに誤りであったかと、私は思います。日本の国民が、どこにいても、何時でも命の危険を感じる時代が当分続くことでしょう。「安全・安心」は、単なるお題目です。自衛隊だけの問題ではありません。アイシルは、連合軍は、全て敵だというのです。
ところで、1964年10月10日は、日本でオリンピックがおこなわれました。その日を記念して、体育の日として祝日になりましたが、連休の移動で実感がなくなりました。東京オリンピック、懐かしく思い起こしております。
さて、シリア問題、難民についての安倍総理の発言について。イギリスのロイター通信のインタビュー、「シリアの避難民についての受け入れは、どのようにお考えですか?」。総理の回答は、日本では、移民については、労働問題が問われています。女性の活躍、労働者の活躍が当面の課題です。全く答えになっていません。人口問題と人道問題を混乱しています。他方、国連の常任理事国に入りたいということで、地中海の国々を訪問したが、全く無意味としかいえません。「日本は利己的な国だ。金さえ出せば良いと考えている」との批判が海外から出始めています。
1970年代後半、日本は、ベトナムからボートピープルという、避難民を受入れました。栃木県烏山町のカトリック老人ホームでは30人程度を受入れました。私も、教会の青年たちと、ホームを訪問し、ベトナムから脱出して来た人たちと親しく話し合う時があり、戦争がいかに酷く、残酷であるかを教えていただきました。
2百万人のシリアの避難民が戦争から脱出しようとしています。この人たちに援助をすることこそ、安倍総理のいう、「積極的平和外交」ではないかと思います。アメリカと戦いに行くこと、戦争に使う武器を輸出することが、積極的平和・抑止とは思えません。
また、菅官房長官の発言。歌手の福山さんが結婚したことに対してのコメント、「国のために、ママさんたちには子どもをたくさん産んで欲しい…」との、人権侵害とも思われる発言。集団的自衛権のために、生まれた子どもたちに自衛隊に入ってもらいたいと思うのですか?福山さんは、長崎県の被爆二世とも言われています。そのような人に対しての問題発言です。「おめでとうございます。」だけで十分ではありませんか?
さて、今回の読書ノートは、先ごろ芥川賞を受賞した、二つの作品についての私の感想を書きます。
1 又吉直樹著「火花」
これは、2百万部を超える大ヒットとなりました。多くの人たちも読んでいることかと思います。主人公・徳永と相方の山下が、「スパークス」という、コンビを組んで、10年間漫才をする体験を中心にした、悲喜こもごもです。もう一組は、徳永が、師匠と呼んでる、神谷と大林の「あほんだら」という、先輩漫才師たちの悪戦苦闘の話です。神谷たちの「あほんだら」は、とにかく客を笑わせるためには、何でもやろう、模倣ではだめだ。独創性、オリジナリティーが、漫才だとの考えでした。他方、徳永と山下は、中学生からの同級生でした。二十歳の時に、二人は大阪から東京へ出てきて、漫才を始めます。しかし、一向に客にはうけません。徳永の考えは、お客さんに笑ってもらえるためにはどうしたら良いか?ネタを必死に考えますが、5年くらいはさっぱりうけませんでした。そこで、生活のために、居酒屋で働いたり、アルバイトをしながら、公園での練習を連日しました。
神谷たちの「あほんだら」の方が、やや売れ出しました。最終的には、「スパークス」の方が、一時期、若者たちのテレビ番組のバラエティーに出ましたが、飛ばずじまいにおわり、スパークスは、相方が結婚することをきっかけに、30歳で解散し、徳永は、不動産の会社に就職します。神谷たちの「あほんだら」は、あきらめません。借金をしたり、飲み歩いたりの人生です。私がこの作品で最も心を打たれたのは次のところでした。神谷が、「漫才はなぁ、笑ってもらえればええんや!そのためには、やりたいことをどんどんやって、人を笑わせることや。笑わせるのと笑われるのは違うんや」と、徳永に話します。
小説の最後の頃、神谷と徳永は、居酒屋で会います。徳永は、神谷の姿に呆然とします。そして、神谷は得意そうになって、胸を見せます。自分の胸にシリコンを入れて、巨乳になっていました。「これで、飛び上がったら客たちにうけるやろう」。徳永は、それを見て、涙を流します。「神谷さんは、それでお客さんが喜ぶと思いますか?ジェンダー問題で悩んでいる人たちが沢山いるのです。体が女性でも、心は男の気持ちの人もいます。そういう人が見たらどんなに傷つくことか、考えませんか?」。それを聞いた、神谷もボロボロと涙をながします。「悪かった、俺は考えが甘かった。」
この話のやりとりを読んで、私は、又吉さんの優しさと思いやりに心を打たれました。そうなのです。客を笑わせればどんなことを言っても良いというものではないと、私は日ごろ思っています。かつて、エンタの神様という、日テレの番組で、次長課長というコンビが、多重人格(解離性人格障害)をネタにしました。栃木放送のパーソナリティーも、気軽に話題にしました。私は即、その番組に抗議をしました。障害者、特に、心に悩みをもつ人を笑いのネタにするとは、とんでもない人権侵害だと思うからです。
アメリカでは、数年前に、ゲイの大学生がからかわれて自殺をしました。それが、今では、GLBTの人たちが、アメリカでは、結婚を認められるようになりました。州によっては、まだ認めていないところもありますが、嗜好ではなくて、生来のハンディを、ネタにすることは、許されることではないと思うのです。
又吉さんは、ユーモアをネタにすることこそが、漫才だと信じているのではないかと思いました。そして、芸能界も、激しい競争の中で、スパークスのように、消えていく、芸能人たちが沢山いることを知りました。スパークス(spark)とは、日本語にすると、火花になります。話しの終わりでは、熱海市での花火大会の風景が出てきます。花火のにぎやかさに対して、スパークス(火花)は、鮮やかなコントラストだと思いました。
2 羽田圭介著「スクラップ・アンド・ビルド」
この物語は、28歳になる、パートタイマーの主人公・健斗、同居している母親、87歳になる祖父との生活が主題になっています。祖父は、足が不自由で、手も麻痺があります。家の中を杖をついて歩く老人の生活に、健斗は毎日イライラします。母親は、年老いた父親に冷たい態度で接します。年老いた祖父は、「すみません。ごめんなさい。生きていてもしかたないな。早く死にたいものだ。」と、毎日繰り返して言います。嫌気をさした健斗は、それならばどのようにして、老人の願いをかなえてやろうかと考えます。食べ物に青酸カリを入れてやろうか?その他、老人の言葉を聞く度に、色々なことを考え出します。
しかし、やがて、自分自身の生きることへの疑問を感じ、祖父への気持ちが和らいで行くのです。そして、健斗は、家を出て、自立を目指して、新たに出発をするという話です。壊れそうな家庭と人間関係、だがもう一度立て直そうとする家族関係は正に、スクラップとビルドの話です。
今回の芥川賞の二つの作品には、それぞれ考えさせられました。日本の政治・社会もあほんだらではありませんか?そして、それを、スクラップ&ビルド、政治と社会が、正常化されることを願うばかりです。
日本の秋の季節も、思わぬ台風や豪雨のために、静かに行く秋を惜しむような気持ちになれないのも残念なことです。今日一日が、平和でありますように 祈りつつ床に就く日々です。
「マイナンバー なんまいだーと聞こえます。」(時事川柳より)
「マイナンバー あの世に行っても 使えるの?」(時事川柳)
「ニュートリノ よりも軽い 民意です」(時事川柳より))
今月は、号外と10月31日に発行する予定です。
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