2015年10月後半





 皆様、こんにちは。10月も今日で終わります。カレンダーも残り少なくなって来ました。朝夕めっきり寒くなり、ああ、今年も間もなく終わりだとしみじみと感じております。日本はもとより、世界のいたるところで、争いが続き、シリアからのヨーロッパへの避難民が70万に達し、その内の3分の1にあたる、25万人の女性や子どもたちが、強姦されたり、自ら生活費を得るために、体を犠牲にしているというニュースを聞いております。戦争とは、このように残酷であることを、痛感しています。何百年・何千年たっても、わたしたちは争いを好んでいるのでしょうか?民族・宗教・イデオロギーの違いから、人の命を命とも分からなくなってしまい、麻痺してしまうのですね。
 この時期になると、クリスマスという言葉が飛び交うようになります。クリスマスの意義は、平和を作り出すことにあるのですが、このギャップの大きさに唖然としています。それでも、平和を願わずにはいられません。アフガニスタンの国境なき医師団の病院が、アメリカ軍の誤爆によって、50人以上の人の命が奪われたこと!謝罪ではすまないことだと痛切に感じています。
 さて、今回は1冊の本を紹介して、人間の心の中にある、愛と憎悪について書きます。今回、読んだ本は、村山由佳著「星々の舟」という本です。2003年に発行され、直木賞を受賞しました。400ページに及ぶ長編です。この本の題名から受ける印象は、人の人生は、それぞれが、運命という星の舟に乗って、嵐に、もまれながら生きていくということではないかと感じました。
 水島重之は、第2次世界大戦で、徴兵され、中国に渡りました。そこでの体験は、最も最後に書かれています。中国では、朝鮮人女性の多くが、強制的に慰安婦として、日本兵の相手をさせられました。具体的な話が数多くありますから、作者・村山さんが詳細に渡って調査したことによるものと思います。
 戦後、重之が帰国してから、大工として働き、順調に仕事は発展して、何人も雇うような経済状況でした。重之は、晴代という女性と結婚をして、戦後間もなく、貢という長男を産みます。それから10年余りして、次男・暁が生まれますが、妻が病弱なために、暁が生まれて間もなく亡くなってしまいます。
 その頃、家政婦として、家の手伝いに来ていた、志津子と、重之が再婚をします。実は、重之と志津子の間には、すでに、沙恵という、娘が産まれていました。暁とは1つ違いの義理の妹ということになります。そして、重之と志津子の間に、さらに、美希という女の子が産まれるのです。この4人の子供たちの人生が、物語の中で展開していくのです。
 順番に書きますと、長男・貢は、戦後間もなく産まれ、大学に進学します。そして学生紛争に巻き込まれて、積極的に、体制と戦います。やがて、公務員として就職し、勤めて30年になります。何の問題もないかのように思われますが、ふとしたことから、職場での若い女性と親密な関係にのめりこみます。
 次男・暁は、1960年頃に産まれます。志津子がつれて来た、沙恵とは1つ違いなのですが、お互いに 実の兄妹だと信じて疑いませんでしたが、思春期になって、ふとしたことから、母親が違うことが分かってしまいます。もともと仲の良い二人、沙恵の身におきた思わぬ事件から、暁と沙恵とは急接近して、愛情が燃え上がります。ついに、兄妹としては超えてはならない、レッドラインを超えてしまい、親に内緒にしていたことが、発覚します。憤る父親から勘当をされて、暁は大学を辞めて、どこぞとも分からぬ所にいなくなります。母親の志津子は、義理の息子、暁をこよなく可愛がっていましたが、重之は許しませんでした。そして、この話は、志津子がくも膜下出血で突然亡くなる事から話が始まっているのです。暁は、北海道に住んでいました。義母の死を、妹、美希から連絡を受け、迷いに迷ったあげく、葬式に出かけて行きます。それは家を出てから15年も過ぎていました。暁と沙恵は1つ違い、その妹・美希は、沙恵とは4歳下でした。沙恵が、物静かで優しい性格に対して、美希は、明朗活発な性格でした。
 美希は、20代後半になっていましたが、独身です。しかし、妻子のある男性と不倫関係にありました。その彼は、息子が交通事故にあったと聞いて、美希の元を離れて行きます。自己の存在を見失った美希、いったい何のために生きるのか…と、思い悩むのでした。
 これが重之の家族で、生きている4人の子供たちの人生の生き様です。人生の不道徳、人生の不条理とも受け止める人もいるかも知れません。義理の兄妹であるがゆえに、あってはならない道に迷い込んでしまった、暁と沙恵。それでも、義兄・暁への思いを捨てきれない沙恵の気持ち、一生独身で生きるという星の舟を漕ぎ続けるのです。
 作者・村山由佳さんは、この物語から、女性としてのタブーに、果敢に挑戦して、表現の自由から、書き綴ったことと思います。それが評価されて、2003年に、直木賞を受けたのだと思います。
 この本を読んで、私は、旧約聖書にある物語を思い起こしました。今から約3千年前、イスラエルの国では、有名なダビデが王になっていました。ダビデには沢山の側室がおり、子どもたちも沢山いました。その1人、アブサロムという王子には、タマルというとても美しい妹がいました。一方、もう1人の王子・アムノンは、タマルの美貌に、身も心も奪われ、ある時、仮病を使って寝込み、タマルに来てもらい、料理をしてもらいつつ、彼女を強引に襲います。タマルは、「あなたがこのようなことをしたのですから、人と神様に責任を取らなければなりません。」といいます。つまり、ユダヤの社会では、義理の兄妹であっても、当時は結婚を許されていたのでした。しかし、アムノンは、あんなにタマルを愛していたのに、そのことから、タマルに対して、憎しみをもつようになるのです。結局、アブサロムの怒りをかって、アムノンは殺されてしまうのです(サムエル記・下13章)。
 3千年経っても、人の心の中にある、罪は、変わりません。それどころか、最近のニュースでは、親子が殺しあうニュースも日常茶飯事となっています。人の心の奥底に潜む罪、キリスト教では「原罪」といいます。このテーマは永遠の課題になっています。太宰治は「人間失格」、夏目漱石は「心」、「三四郎」等でも、この心の中にある、原罪をテーマにしていると思います。
 村山さんは、64年、生まれですから、現在51歳です。12年前に書かれたこの本は、彼女が39歳の時に書いたものです。この作品に対する評価は、賛否両論あるかと思いますが、女性作家の立場から、読者に向かって、「あなたはどう考えますか?あなたはどう生きますか?」と、問いかけているように感じました。この本を、録音図書で聞きました。
 読書の秋です。皆様も読書を楽しんでは如何でしょうか?
 もう1冊、栃木県出身の、女性作家、水木良子さんも、今年51歳ですが、「岸辺に向かう」で、最近、田中正造さんの人と人生を、女性の立場から書いております。足尾鉱毒事件は、明治から昭和にかけておきました。しかし、現在も福島での原発、沖縄の基地問題は、政府による、利益中心主義として、昔から今日まで何ら変わらずに国民の犠牲の上に成り立っています。
 「テレビには 安部チャンネルだけが 映ってる」(時事川柳より)
 次回は、11月14日を予定しております。







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