2015年12月後半
「クリスマスプレゼント」
今年も、残すところ1週間となりました。どうして、12月25日がクリスマスなのか?これは、イエスキリストが生まれたという日ではありません。キリストの誕生を祝う日ということです。いずれにしても、クリスチャンにとって、救い主が誕生したことは大きな喜びであるには違いありません。全世界で、10億人を超える人たちが共に喜びを分かち合う時です。
私が知る範囲では、ローマ帝国が、300年に渡り、キリスト教を迫害しました。しかし、どんなに迫害を続けても、彼らは、キリストを信じ続けました。そして、広がっていくのをみかねた皇帝が、国教と認めざるをえなくなりました。その時に、当時のお祭りの日にちを「クリスマス」に決めたと聞いております。冬至が終わり、これから日が伸びる春に向かっての喜びの時としたいのだと思います。確かに、日本でもこれから寒い日は続きますが、新年を向かえ日の出が早くなり、明るい日中が日をおって長くなることは嬉しいことです。
さて、今回は12月14日から15日にかけて、岩手県盛岡への旅をレポートいたします。
72年から73年にかけて、私の友人舟山さんとは、下宿で一緒でした。私は桜美林でしたが、舟山さんは、東海大学・数学科に入学していました。そういえば、下宿をした所も、盛岡さんという人でした。その2年間、私にとりましては心強い先輩でした。その後の42年間、途絶えた時もありましたが、年賀ハガキやメール・電話で連絡をとりあっておりました。
今年の10月に電話で、「盛岡スコーレ」高校でクリスマス礼拝があるけれども、良かったら話をしてもらえないかな?との、嬉しい電話がありました。これは私への神様からのクリスマスプレゼントと想って喜んで引き受けました。
14日の午後、妻と私は、12時29分のやまびこという新幹線に乗りました。盛岡到着は、14時54分でした。学校の手配をしていただき、ホテルルートインに、着きますと、舟山さんが出迎えてくださいました。私と再会するのは、30年ぶりになるかと想います。
妻は「二人で心行くまで話しをすると良いのでは…」との計らいにより、私たち二人は、舟山さんの案内で、駅から近くの「ぴょんぴょん」という、韓国のレストランに行きました。そして早速お勧めの「冷麺」をご馳走になりました。初めての経験です。スープは透明で、味は白い麺という話。コリコリとして、とても美味しく歯ごたえがあります。
舟山さんの話によりますと、岩手での名物は、わんこそば、ジャージャー麺、そして冷麺と言うそうです。私は、20年前に、盛岡に行った時に、わんこそばを食べました。一生懸命に食べましたが、50杯でダウンしてしまいました。ご一緒に出張してくださった、福本先生は60杯まで食べられました。福本先生は、去る11月30日に突然、召天してしまいました。あんなに元気な先生でしたが、人の命とは分からないものです。そうわかっていても、毎週教会でお会いしていた先生が礼拝の次の日に亡くなるとは…言葉がありません。そんなことが私の脳裏を掠めました。
舟山さんとは、3時間懐かしい学生時代のこと、そして近況を語り合いました。3時間があっと言う間に過ぎてしまいました。私はホテルに帰り、舟山さんは車で自宅へ帰りました。幸いに今年は温かく、雪も無く、私にはありがたい天候でした。
15日の朝、ホテルで朝食を食べて、8時20分、予約どおりタクシーに乗って、10分後、目的地のスコーレ高校に到着しました。応接間で、舟山先生・担当の新井先生・校長先生と挨拶をして、9時になりました。妻と私は、案内されて階段を上り下りして、講堂に入りました。高校生が330人と聞いていましたが、とても静かな雰囲気でした。やがてクリスマス礼拝の式が始まりました。「荒野の果てに」の賛美歌で始まり、開会の言葉は、かつて校長をしていた舟山先生でした。その後、校長先生が、私の紹介をしてくださいました。私のもち時間は、9時25分から10時10分ということになっておりました。私の演題は、「出会いとチャレンジ」という、おはこのテーマにいたしました。ヨハネによる福音書9章1節から3節を呼んでいただきました。それは、生まれつきの盲人が、イエスキリストに出会って人生が変えられた話です。私は前もって、三つのポイントに絞っておりました。
1つ盲学校での恩師・鈴木彪平先生によって、キリストとの出会いがありました。二つ、大学での先生方との出会い、三つ目は、アメリカでの教会の経験から、ジェシー・ジャクソン牧師指導の下にある教会でのあいことば、"I am Somebody"というプレゼンテーションを、生徒のみなさんと会い話をしました。わが人生旅日記という、自分史を書いておいたことが幸いし、原稿を読まないで話すことができました。
その中の一例、沢先生との話しをここに紹介します。これが、スピーチの後で、驚くべき反応がでたのです。その原稿の一部を採録します。
一人目は、沢正雄先生です。澤先生は、東京都立新宿高校で教鞭をとられて、退職後、桜美林に講師としていらっしゃいました。沢先生の声を聞いた最初の授業、私の心は驚きと喜びで興奮しました。といいますのは当時NHK第2放送では夏休み中に「大学受験講座」の英語読解という番組があり、「講師は都立新宿高校の沢正雄先生です」という番組を、私は専攻科の2年間、聞き続けていたからです。よもや大学で直接教えていただけるとは夢にも思いませんでした。何と感謝なことか。沢先生には2年・3年と教えていただきました。2年の時には英文読解、3年の時には、教育指導法だったと思います(先生は現在は召天されていらっしゃいます)。英語読解では、『What Is The Man?』というエッセイを読みました。人は何のために生きるのか、人生とは何か、というような内容だったと思います。筆者の結論は、人は自分だけのために生きては意味がない、他者のために生きることがすなわち、自分の人生の喜びであり、目的ではないか、といったようなことだったと思います。その2年B組の英語の授業の最中、沢先生は、いきなり次のようなことをお話になりました。澤先生は、日本基督教団東京白山教会の信徒でした。そして、先生の言葉をほぼ記憶のままに書くと以下のようになります。「私は恥ずかしいのですが、戦争の体験もあり、韓国人に対して差別をしていました。実は私の息子が韓国に留学して、ある女性と恋愛をして結婚をすることになりました。私は猛反対をしたのです。クリスチャンでありながらとは分かります。しかし、いざ自分の息子、しかも将来は牧師になろうという息子です。日本の教会でどのようなことになるかはおおよそ想像がつきました。ですから反対をしました。すると、息子はこんなことを言いました。『おやじは韓国人が嫌いなのか、それとも俺の彼女が嫌いなのか、彼女に会いもしないで反対するとは、無知の差別ではないか。俺の愛した女性に会ってから反対するならば許せるけど、会いもしないで反対するなんてとんでもない差別だ。』」。このように沢先生は話されて、授業の中でボロボロと涙を流しました。「僕がわるかったのです。息子に心から謝りました。僕の深い反省から君たちにも言います。人の噂や評判で他者を評価してはいけないのです。その人に会って自ら確認をしなければいけませんね。」とおっしゃいました。私は沢先生の誠実な人格の心の奥底に触れた気がしました。その日は、私も心が熱くなったのを覚えています。沢先生の英語は、言うまでもないことですが、ラジオで聞いた英語と同じで、イギリス英語の美しい英語でした。当時70歳近くになっていらっしゃったかと思いますが、心臓がわるく、ペースメーカーを付けながら東京都心から1時間以上の通勤で、さぞかし大変だったと思います。
沢先生の思い出はもう一つ忘れられない思い出があります。大学3年の教育指導法の授業でした。指導案の作成法の書き方などについては、淡々と授業を進めていらっしゃいましたが、後期のある授業でこう話されました。「もし、君たちの中で幸いにして教師になる人が出たら、私からひとつだけ贈る言葉があります。それは、1時間ごとに授業に真剣勝負をして欲しいということです。そして、第2次世界大戦から学んだことですが、自分の教育理念、信条にしたがい得ない時は、即刻、辞表を校長に提出しなさい。魂まで殺して仕事をしないでもらいたいのです。教員になって家を出るときは、ポケットに辞表届けを持って出かけなさい。」という言葉でした。私は、その言葉を聞いて、身震いしました。それだけの責任があるのだということを、先生は伝えたかったのだと思いますし、沢先生は、その意気込みで、新宿高校で長年教壇に立たれたのだと思いました。沢先生からの激励の言葉を退職まで覚えて心の中で反芻しましたが、そう簡単に辞表を出せる人生ではなかったのが、私の人生でした(この原稿の前半を話しました)。
その話の中で、「わたしは価値がある」、I am somebody.トイウコン言葉を、生徒のみなさんと共にコールして終了しました。聖書の中で、「あなたは高価で貴い」というのがあります。ひとりひとりは、とても大切な存在であり、お互いに神様の子どもとして大切だという意味です。
スピーチを終えて、応接間に戻り、先生方と話しておりましたら、驚くべきことを知りました。沢先生のお孫さん、沢知恵(ともえ)さんが、スコーレ高校にしばしばいらしゃっており、何と校歌を作詞作曲しているということでした。前理事長の奥様と沢知恵さんが親しく交流しているということでした。実に不思議な出会いでした。人間の計画とは思えない、神様の導きを感じないではいられませんでした。
沢先生の息子さんは、正彦先生で牧師になり、私たち夫婦も、メッセージを直接聞いたこともあります。妻は、そのパートナーのキム・ヨン先生とも出会いの時がありました。知恵さんとはお会いしていませんが、何時の日かお会いしたいと願っております。
ランチは、スコーレ高校の生徒さんたちが調理してくださった豪華な食事をいただきました。高校の目標は、「生活は教育」とのことです。やがて、高校でも、生徒たちによるレストランもできるとのことでした。
かくして、今年のクリスマスは忘れられない素晴らしい時となりました。人と人との出会いによって人生が変わり、希望と喜びが与えられることを感謝しました。
さて、1年間ご愛読いただきました、「わたしのダイヤリー」は、今回をもって結びといたします。今年も喜びと悲しみの1年でしたが、神様に守られここまで来られたことを感謝いたします。来年は、私は65歳になります。事務局のサポートをいただいて、月に一度、新たなテーマでエッセイを書きたいと考えております。
クリスマスおめでとうございます。そして来年が平和な年でありますように、共に努力してまいりましょう。ご健康とご活躍をお祈りします。
「メモ」
沢知恵さんは、インターネットによりますと、1971年生まれ、東京芸術大学出身。シンガーソングライターとして活躍。日本と韓国のかけはしとして活躍。レコード大賞でも受賞の経験があります。
キム・ヨン牧師、日本キリスト教団に所属し、全国で講演活動を行っています。正彦先生は、病気のために、若くして召天されました。
来年は、毎月の15日を予定しております。カムサハンニダ! Have happy holidays!
シャローム!
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