7 おわりに




 近代の盲人達の奮闘を知れば知るほど、その苦難に涙すると共に、そのエネルギッシュな躍動に感銘を受けました。両毛に盲学校が何故4校も創設されたのか?理由ははっきりしませんが、絹織物の生産があり、資金・人材が集まり底辺で支えていたのかとも考えてみました。桐生は、当時県内の3番目の大都市で、現在の太田市・伊勢崎市はこの大正期以降の発展した町といえます。どう証明できるのか分かりません。4校の創設と統廃合は様々な理由から、群馬県は前橋の群馬県立盲学校、栃木は宇都宮の栃木県立盲学校に統一されていった。現在の視覚障害者のおかれている状況は決して満足する段階ではないが、ここまでの環境整備には多くの知らざる盲人達の自らの奮闘があったならばこそとも言えます。原稿を書き上げるにつれ、また私も奮闘しなくてはならないかと感じました。



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